オレゴン日記---99年8月〜12月

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[日記目次]

991230(木)
 沙羅と私はユニタリアン教会に入ろうかと思っているが、明日美は反対。私たちは家族で加われる小さなコミュニティ(数十家族程度)が欲しい。核家族だけでは子供たちの世の中や人間を見る目が狭くなってしまう。アメリカではコミュニティというと一番手っ取り早いのは教会に属することだ。私は禅センターへ行くが、それは私だけで、沙羅は禅はきらいだから家族で参加するわけにはいかない。ユニタリアンなら教義が緩いから入りやすい。明日美は宗教色のあるものには全て拒絶反応を示す。知らない人の前に出るのを嫌うから、コミュニティに属したいなんていう気持ちはない。ある程度慣れてくればいいかもしれないがそれには何年かかかる。

991228(火)
 久しぶりにきつい締め切りで2日間がんばった。子供たちはもう卓球がけっこう打てるようになってきた。沙羅もまずまず打てるから4人でやったりする。私と明日美と元太だと子供2人でけんかになりやすい。卓球は好きだから、卓球台の周りでネガティブな言動があると私はとても厳しくなる。ふだんなら内心いやでも聞き流すような台詞でもきつくとがめる。
 ローラーブレードも結構おもしろい。元太、明日美とリッチモンド小学校に行って試したりしている。ある程度なめらかな舗装の上だと滑る感じがあってよい。私は走ると膝が痛くなりやすいが、ローラーブレードならその心配はあまりなさそう。いつになく5日くらい晴天が続いているが、風は冷たい。でも私の風邪はようやく軽くなってきた。症状はあるが体力はほぼ回復した。
 ミニトランポリンをもう1つ買って、2つの間を跳んで行ったり来たりするようにしたのは成功。動きの幅が広がって楽しい。冬は雨が多いから室内で楽しめるものがあほしい。

991225(土)
 昨日はクリスマスイブ。ユニタリアン教会に行って、クリスマスキャロルを歌ったり、メンバーの人達のクリスマスの思い出を聞いたりした。この国ではクリスマスが殆どの人々に共通の大事な行事であることが伝わってくる。ある中年の女性は、農家に育ったが、子供のとき、小さな蓄音機をプレゼントにもらった。一家全員が暖かいキッチンに集まってクリスマスの一日を過ごしたのだが、彼女はその間ずっと同じ曲を何時間も繰り返してかけていた。でも誰も文句を言わなかったそうだ。その思いやりが今でもとてもうれしいと言っていた。
 今日は元太は6時半から目を覚ましていて、ストッキングの中を見たいというのだが、こっちはそんなに早く起きたくないから、沙羅が「7時半まで待ちなさい」と言い、なんとか待たせたが元太は最後泣いていた。よっぽど見たかったのだろう。
 午前中はプレゼント開き。一番大きいのは卓球台。沙羅の発案で宝探しみたいにして、10箇所くらいにヒントを隠して、それをたどると卓球台を隠してあるところにたどりつくようにした。地下室は卓球をするには少し窮屈だが、物置の棚を動かせばなんとか台の後ろに1メートル半くらいはとれる。左右もちょっと狭いが、まあなんとかなるだろう。とりあえずは台の後ろ1メートルくらいしかない状態でやってみた。私以外は初心者だからそれでも十分楽しめる。卓球は小学校中学校のときに少しやって、大学院のときにはずいぶんやったのでなつかしい。
 午後はキャレンの家でパーティ。精神科医がいたので、日本ではプロザック系の抗鬱剤は今年の6月に認可されたと言ったら、「何でそんなに遅かったのか?」と驚いていた。

991223(木)
 ここ2、3日風邪ぎみなのをいいことに布団に入ってBruce ChatwinのSonglinesを読んでいる。オーストラリアのアボリジニーは徒歩旅行を歌にする。その歌を知っていれば先人の跡をたどって歩くことが出来る。トーテムの動物によってとかげの道とかカンガルーの道とかあるらしい。言語と歌に関しては平均的ないわゆる文明人よりもずっと高度なものを習得している。この本には、nomad、つまり遊牧民への讃歌みたいな部分があって、歴史上の有名人物や著者の会った人達の引用をつらねて、人間はひとところにとどまっていると頭がおかしくなる、という考え方をサポートしている。私はピースマーチで8カ月間ほぼ毎日別のキャンプにテントをたてて寝たわけだが、たしかにひとところに落ち着かない生活というのも慣れてくると楽しくなってくる。とにかく退屈はしない。

991220(月)
 昨日の禅センターはもう冬休みのスケジュールになっていて、坐禅とお勤めの後はディスカッション。仏教徒として、クリスマスシーズンをどう切り抜けるか、というテーマ。アメリカの仏教徒はキリスト教に対する気持ちが複雑なので、クリスマスがけっこう精神的な葛藤の時期になるようだ。クリスマスは家族が集まって一緒にお祝いする大事な日だから、たいていは家族内で宗教的に孤立している仏教徒にはつらいところだ。

991218(土)
 木曜日の夕方、バレーのくるみ割り人形を一家で見に行った。天井桟敷だったけど、バレーは芝居と違って多少遠い方が全体の動きがつかみやすいようだ。冬の雪のシーンの後の春の花の踊り見たいのがよかった。明日美のバレー教室で無料の券をくれたから行ったのだが、明日美は自分の習っている動きがあまりでてこないのでちょっとがっかりしていた。つま先で立ったり歩いたり旋回したりという難しい技の連続のようだった。あれが特に美しいとは思えないのだが。
 金曜は元太を連れて、ポートランド・ブレイザーズのバスケの試合を見物。はじめてだった。ジャンプ・シュートすると見せてガードをそこに引き付け、水平に3mくらい跳んで着地直前にシュートする、というフェイントをけっこうやっていた。ずいぶん滞空時間が長い感じがした。6mくらい離れたところからぽんぽん入る。ゲームメーカーとかいって、チームを指揮する小柄なプレーヤーが両チームに1人ずついる。彼らは私と同じくらいの背たけだ。2m10cmくらいの巨人のそばにいると子供みたいだ。試合は2時間くらい。1時間くらいはおもしろかった。後はちょっとあきてきた。
 今日は慈光の教える英作文クラスの続きの集まり。慈光と相乗りしてエリックの家にはじめていった。笹竹に囲まれて、石灯篭や仏像があって、日本的な庭になっている。中はキリスト教的な絵がけっこうかざってある。エリックが描いたそうだ。彼はカトリックの修道僧として9年間修行して、その後ジーンに出会ってそれ以来一緒に暮らしている。そして今はチベット仏教の十数人ほどの小さなサンガを率いている。エリックは不在。昔修行した修道院に里帰りしていたのだが、そこで非常に難しい人間関係の問題が生じて、そのもつれた糸をほぐすのを手伝ってくれと頼まれて滞在を伸ばした。彼はすぐれた心理療法家でもある由。
 ずっと小さい頃から詩を書き続けてきたけれど、家族や友人の外側の世界には自分の詩は全然届かないという嘆きを書いた女性に感動した。

991215(水)
 今日もだいたい休養。夕方元太をバスケットボールの試合に連れていった。今回は何度かちゃんとボールを受けてチームメートにパスしていた。ボールを受ける練習をしばらくやったかいがあった。しかし、バスケは好きじゃないという。プロバスケットボールの券を無料でもらったので明後日元太と行く。アメリカに13年いるが、プロスポーツの試合を見るのはコロラドで一度ロッキーズの野球の試合を家族で見に行ったのと、ポートランドで今年女性のサッカーのワールドカップの予選が会ったとき明日美と見に行ったくらい。バスケははじめてだ。

991214(火)
 日曜はワークショップの2日目。最後のジャーニーは自分の存在の意味を問う、というえらく大上段のテーマを与えられた。期待と疑問が半々、という状態でやってみたのだが、このジャーニーの中で出会った偉大なスピリットが私のことを無条件に深く愛している、という感じを強く受けて呆然とした。キリスト教徒が神の愛、ということを強調するのがわかるような気がした。スピリットの世界は意図の世界だから、愛情に混じり気がない。
 今日は夢分析のJoellさんに会った。週末のワークショップといい、妙にくたびれるけどおもしろい。内容は丸秘。帰りに、今日期末試験が終わる沙羅のために花とケーキを買った。
 午後、元太とポケモンの映画を見に行った。4時25分は早かったのか、それとももうあまりはやっていないのか、映画館はがらがらだった。見終わってうちに帰ってからポケモンの凄さがわかった。うちの猫がポケモンに見える。クリスマスツリーの飾りがポケモンに見える。このごろはハンバーガー屋にポケモンカードありますみたいな屋外表示板があったり、スーパーのレジにポケモンカードホルダーが置いてあったり、すごいブームになっている。

991211(土)
 朝7時に電話がかかってきて、沙羅は出産の手伝いに行った。産婦人科の資格を取るために、助産婦をやっている自然医学のキャサリンに師事して、彼女の受け持っている妊婦の出産には何を置いても手伝いに行くことになっている。今朝はまだ朝だからいい方だ。夜だったら一晩の睡眠がふっとんでしまう。今日は私もシャーマニズムのワークショップがあるので、いろいろ電話してなんとか2人とも行き先を見つけた。明日美は同級生のジェニファーと母親のローラのところ。午後はジェニファーの父親が明日美も一緒に連れて行ってくれるという。この2人は離婚しているので、こうやって週末には子供をキャッチボールすることがある。元太は朝は近所のブランディーのところ、午後は同級生のニックの家まで昼休みに私が連れていくことになった。
 ワークショップは神話等に見られる主観的な世界観をジャーニーで経験しようというもの。全てのものがそこから発生したというvoid(古代ギリシャの「カオス」)は、近くには行けても中には入れない、入るのだがそのことは憶えていない。入る度に少し違う人間になっている、という感じがおもしろかった。

991210(金)
 火曜と木曜はリッチモンド小学校の給食を手伝った。普通は沙羅がやるのだが、来週期末試験だし、今週末私はシャーマニズムのワークショップで土日とも殆どいないからその埋め合わせということもある。これが結構楽しかった。5年生の子供たちが数人手伝うのだが、彼らも教室よりも生き生きしているような気がする。
 11時に行って準備を手伝い、11時半から幼稚園〜2年生が食べる。カフェテリア形式で一列に並んだ生徒がカウンタ上のミルク、ジュース、ハンバーガー、チキンナゲットなどを渡すのがこっちの役目。僅か25分くらいでこれが終わると手伝いの子供たちが10分くらいで食べ、テーブルにモップをかけて、年長の3〜5年生に備える。これも25分くらいで終わって、またテーブルにモップかけ、食器を洗い(皿等はプラスチックの使い捨てだが、料理や分配に使ったヴァットやボウル、大スプーンを洗う必要がある)、12時半ごろにはもう終わり。
 今日は夕方Wy'east Unitarian Universalist教会のポットラックに行った。これは各人が食べ物を持ち寄ってちょっとしたパーティをすること。ゲームや歌や、ジャズバンドの演奏。子供たちもはじめ(特に明日美が)いやがったが、わりとすぐに溶け込んで他の子供たちと遊んでいた。元太は4才のときの幼稚園の同級生マーチンがいるので彼や他の同年代の男の子たちとはしゃいでいた。私は、勉強会のことなどきいた。英作文や読書グループがあるというからけっこうおもしろいかも。

991207(火)
 昨日、今日はわりとのんびり、仕事の区切り。『明るい旅情』(池澤夏樹)を少し読んだり。この本で紹介されているイズラエル・カマなんとかいうハワイアンの歌手を聞いてみたくなった。のびやかで情緒のある声をじっくり聞きたい。去年今ごろハワイに行ったのだが、そのとき町で流れていた曲の中にもけっこういいなあと思うのがあった。
 昨日久しぶりに母に電話。11/20ごろから沙羅の誕生日、感謝祭、元太の誕生日とお客さんの滞在でごたごたして電話しなかった。だいたい月に2回くらい電話しているか。この間漢字クロスワードに凝りすぎて腰に激痛が走ったというのでちょっと心配していたが、もう大丈夫らしい。従兄の日出夫さんがこの日記を読んでいるらしいと母が言うのでびっくり。まさか本当に誰か読んでいるとは思わなかった。一応ウェブで読めるようにはなってるが、誰にも日記のことは話してない。ホームページに行けばみつかるわけだが。とはいえ、読んでくれる人がいるのはうれしい。もともと、しらない人でも読めるような形で日記を書くというのがこの日記の目的だから。

991205(日)
 禅センターは接心で主だった人々がいないので今日の朝はお勤めなし。私も行きたかったが、元太の誕生日もあるし、来週はシャーマニズムのワークショップに行くということもあって今回は断念。
 午後、39番通りを南に2キロくらい行ったところにあるWy'east Unitarian Universalist教会に家族で行った。沙羅も私もコミュニティに属したいという気持ちがあるのだが、アメリカでは一番手っ取り早いのが教会に属すること。私の行っている禅センターでもいいわけだが、沙羅は禅センターに拒絶反応があるので家族としては行けない。この教会のことはキャレンから聞いていた。ユニテリアンはキリスト嫌いの沙羅にも近づきやすいという利点がある。
 
991204(土)
 沙羅の誕生日、感謝祭とお客さん、そして元太の誕生日でちょっとくたびれた。MLの方もまたおもしろい発言が出て、返事を書いてしまう。翻訳がなかなか進まない。朝、元太とジョーダンをつれてローレルハーストパークへ。なだらかなスロープで元太は見事にスケートボードを操って一度に100メートルくらいノンストップ。ジョーダンと私はサッカーボールを蹴りながら追いかける。
 貴美子さんは今日でうちを去ってWendy Millerのうちへ。沙羅が一緒にこいというのに元太が拒否して、沙羅が怒った。こういうとき後々まで感情的にしこるのは私だ。他人のあらあらしい感情の発露で私のどこかが傷ついて後までうずく。

991203(金)
 元太の8歳の誕生日。放課後、同級生のジョーダンと明日美とをつれて室内プールへ。川向こうのはじめていくところだった。はじめ元太とジョーダンは寒いといっていたが、遊びはじめたら大丈夫だった。私は、はじめて背泳ぎのバタ脚でちゃんと進むようになった。前はいくらがんばっても体が沈んでだめだったのだが。
 トイストーリー2を大串一家と貴美子さんとジョーダンで見た。これは傑作。楽しく、気持よく見られてずいぶん笑った。大人も子供も等分に楽しめる。
 ジョーダンはうちに泊まった。2人で夜遅くまで、義父のジャックが元太に送ったレゴの忍者の城を組み立てていた。今夜はいくらでも遅く起きていていいと言っておいたのだ。

991202(木)
 シャーマンのスーザンに久しぶりに会った。パワーアニマルに質問するときに、「・・するべきでしょうか?」というのはまずいのだが、ついそうきいてしまいたくなる。自分で決めるのはしんどいから誰かに決めてもらうという気持ち。そのかわりに、「・・したらどうなるでしょうか?」ときくのがよい、という。
 帰りにミレニアムでクリスマスプレゼントのCDを買った。1枚はAphex Twin。これはレイブのMLの人が推薦していたもの。自分用。もう1枚はSmoke Signalのサウンドトラック。この映画はインディアンのしなやかな感性が気持よい佳品。これは沙羅のため。

991201(水)
 ローラーブレードを試した。歩道は結構こまかなでこぼこがあってそんなにうまく滑れない。木の床の上だとスーッと気持よくいくのだが。ローラースケートリンクならおもしろいだろう。足首の内側の骨の出っ張りが押されて痛くなる。ちょっとがっかり。
 いやがる元太をバスケットボールの試合に連れていく。30分コート上にいて、ボールに触ったのが4回くらい、その全部ファンブルして結局1度もパスやシュートをせずに終わった。手でボールを受けるというスポーツをまだ全然やったことがない、ということがハンデになっている。2試合目はやりたがらず、まあこれは無理もない。泣きそうになったのであわてて外へ出て帰った。元太は友達の前で泣き顔を見せるのをひどくいやがるのだ。バスケットボールを受ける練習をしよう、と話した。
 私も実は落ち込んでいて、試合を見ながらこっちが泣きそうだった。誰にも話したくない。そういえば最近こういう感じはわりと少ない。

991130(火)
 FredMeyer(食料品と雑貨のスーパー)に行ってフィルムの現像を頼んだ。そして、ローラーブレードを自分用に買ってしまった。安売りで靴が24ドル、保護具(膝、肘、手首)が20ドル。おとといのローラースケートがよかったので、試してみる気になった。
 シャーリーも帰って、家の中が静かになった。沙羅はクリニックから帰ってきてとてもくたびれた、と横になった。私が明日美をバレーのレッスンに連れていき、手書きの方の日記をせっせと書いた。明日美は手足が細長くてばねがあるのでけっこうさまになっている。帰るときに先生から「明日美は見込みがある」といわれた。

991129(月)
 ジェフ、ヘザー、デイビッドが朝サンフランシスコに向けて出発。
 数日間お客さんがいていろいろゲームをしたりダウンタウンに行ったり話をしたりおもしろかったけど、刺激過剰で精神がくたびれた。
 nothingnessへの信頼ということを数日間わりとうまく心に留めてきたがこの辺でちょっとくずれて自意識が強くなってきた。

991128(日)
 朝、禅センターで法話だけ。昨日のバザーの残りがあったので、玉光の穴空き石の水彩画と坐禅蛙を買った。後者は毎朝あいさつする仏像として。子供の頃蛙をたくさん殺した供養の意味もある。絵の方は宗鏡が私の日本旅行中の労をねぎらう意味でただで簡単な額に入れてくれるという。
 法話は修行の深さと広がりについて。深さは接心で、拡がりは日常生活で。
 午後はニックの誕生日パーティで元太を連れてOaks Parkのローラースケートリンクへ。元太ははじめ何度かころんでがっかりしていたが、一休みしてから急に調子づいて、その後どんどん滑っていた。私と手をつないだり離したり。私も、滑る快感というものがちょっとわかってきた。若い頃は足もとが滑るスポーツだけ苦手だった。スキートかスケートとか。自分の力で動くものじゃないと信用できない、という感覚があった。今はもう少しあなたまかせになれる。

991127(土)
 シャーリー、ジェフ、ヘザー、デイビッドと我々でダウンタウン。土曜市に竹の笛を売る男がいて、ちょっと欲しかった。尺八みたいなやつ。でもフルートもまだまともに吹けないのにまた色気を出すのはまずいと思って買わず。
 ジェフとシャーリーは元太にすごくいいスケートボードを買ってやった。専門店で元経験者のジェフがじっくり吟味して板とローラーを選び、元太が描いたポケモンの模様で滑り止めのシートを切り抜いてもらうことになった。ジェフは気前がいいし、心にかなう贈り物をする。
 Powellsでは前から欲しかった中公文庫のイリアッドとオデッセイア、各2冊ずつを買った。1冊$2.95は安い。それと『ロボットの魂』。これは9月に買った『光のロボット』の前編に当たる本だ。ロボットが意識を持つとはどういうことか、という話。
991126(金)
 沙羅の友達ハイディの30才誕生日を記念して私と沙羅、ジェフとハイディ、エイモンとジェン、ハイディとジョンの4組でLa Rumbaというレストランへ。ここはサルサを踊る店。中流のメキシコ人といった感じの客層。30分の練習の後みんなどんどん踊る。1組に1平方メートルくらいしか場所がないような感じ。でもおもしろかった。沙羅はこういうとききつい言い方で私の間違いを直すので気が気じゃないが。ドンドンドンドンドンドンという単調なリズムを聞いているとただひたすらジャンプしたくなる。でもそれだとサルサではない。

991125(木)
 今日はThanks Givingのご馳走。シャーリーが中心になって七面鳥、クランベリーソース、小さなカボチャの詰め物等、デザートは蒸しプディング。七面鳥をオブンに入れた後、大串一家、シャーリー、ジェフ、デイビッド及びキャレンの一家と樹木園でハイキング。雨が降っていたけど良かった。
 食事の後Pictionaryといって、カードに書かれた言葉を絵にして表わしてチームメートに言葉を当ててもらう、というゲームをやった。 991124(水)
 夜はダルマレインで鈴木俊隆師の『Zen Mind, Beginner's Mind』のクラス。瞬間瞬間、無の中から出てくるものを信頼する、という感じが少しわかった気がしてうれしかった。
 帰ると沙羅の弟ジェフと、デイビッド(シャーリーの夫の息子)が来ていた。サンフランシスコから車を運転してきたのだ。

991122(月)
 沙羅の37歳の誕生日。あまりうれしい誕生日ではないという。

991121(火)
 沙羅に特別の朝御飯を作った。ワッフル、生クリーム、かりかりのベーコンなど。ベッドに運ぶ。ベッドといってもうちのはキングサイズの布団だが。日本ではこういう巨大な布団は見たことがない。綿の布団だが幅も長さも2メートルくらい、厚さが15センチくらいで、したがってすごく重い。毎日動かすわけにはいかないから敷きっぱなしだ。幸い、ポートランドは日本よりずっと湿気が少ないから黴びることはないが。夏の晴れた日などは一部分だけ折って窓から入る日差しを裏側に当てたりする。

991120(土)
 朝、シャーリーと一緒に元太のバスケットボールの試合に行った。写真撮影がからんで遅れに遅れ、1時間もうるさい体育館で待たされて頭に来た。元太はバスケははじめてなので、どうしていいかわからなくてただ走り回っていた。
 昼から明日美のサッカーチームと親達が対戦。私も1年ぶりくらいでプレーした。親はもちろんいろんなレベルの人がいて、全然動けない人も、自分のところにきたボールを蹴り返してりっぱに役に立っていた。こういう、いろんな年齢層の混じった試合は楽しい。

991119(金)
 シャーリーは買い物や料理や皿洗いや掃き掃除をどんどんやってくれるので、つい甘えてやってもらう。すごい働き者なのでこれくらいは「リラックス」の部類だという。元太は二けたの数五つを足して100以上、200以上になる計算をどんどんできるようになった。明日美は午後ずっとシャーリーに付き合って買い物したりクッキーを作ったりしてハッピー。私はごってりある翻訳を少しずつ片づけるが、眠い。

991118(木)
 沙羅の母親のシャーリーさんがコロラドから来たので、子供たちを連れて空港まで迎えに行った。ボールダーは恐ろしく乾燥していて土埃がひどい由。この秋雨が少ないのは全国的な現象らしい。ポートランドはおかげで過去一カ月、当地では珍しい秋日和が続いた。そのせいか黄葉がとてもきれいだ。
991117(水)
 朝は夢分析のJoellさんとセッション。夢の中で、水中マスクをかけていたのだが、はじめ沙羅のをかけてよく見えず、いったん水から上がって自分のをみつけてかけたらよくみえた、というエピソードの意味が、彼女に指摘されてやっとぴんと来た。人の見方で世界を見ようとすればそりゃ見えないはずだ。水から上がるように合図した僧について、彼女は「あなたの中に夢分析を続けたくない人がいるようだ」と言った。そういえば水中を探検するというのは夢分析のメタファーとして理解しやすい。「あなたは行動派ではないかもしれないが、非常に反骨精神があるみたいだ」とも言われた。
 夕方は道元クラス。「家常」を読んだ。飯と茶についてそこら中で言及されているということ以外はほとんどちんぷんかんぷん。「困」という字がfatigue(疲労)と訳されているのがしっくりこず、うちに帰ってから調べたら、たしかに疲労という意味もあるが、易では「進退きわまる」という意味だし、字の構造としては木が箱に入っていて成長できない様子を表わす、というから、普通の疲労ではなく、進むも退くも不可能な場所でもがくことによる疲労のことなのだろう。それを超越するには、「跳ぶ」あるいは「眠る」ことだと「家常」では言う。それが坐禅だという。
 ほとんどわからんが、ロールシャッハテストみたいに適当に自分の解釈を言える自由さはある。多分もともとそういうふうに書かれているのだろう。一義的な解釈が出来ないように。それとも道元の仲間内ではあれでちゃんと通じていたのだろうか?

991116(火)
 元太が2年生の記念写真でしかめづらに写っているので、撮り直しを頼むことになった。これで3年連続だ。一昨年の撮り直しの日、元太はいつ呼ばれるかと思ってずっと待っていたのについに呼ばれず、撮り損なった。先生は撮り直しを公表せずに、わかっている範囲の生徒にだけ知らせたのだ。それにしても、アメリカ人は写真は笑顔でないとだめ、という固定観念が強い。一昨年のなど、笑っていないというだけで別に変な顔をしていたわけでもないのに。写真を撮られるときはほほえまなければならない、なんて私としては個人の権利の領域の侵犯だと思ってしまう。ちょっと大げさかもしれないが。きのうの書き順のことといい、私は妙なところで権威にたてつくところがある。

991115(月)
 元太と明日美の父母面接、とでもいうのか、学校の先生と彼らの成績等について話した。どちらもdelightful kidsと褒められた。悪い気はしない。2人とも学校ではよい子だ。うちではときどきいじわるやきかんきが出るが。元太は算数が得意だが、英語の読み書きは1年くらい遅れている。でも最近毎日英語の本を20分沙羅と私のどちらかに向かって読ませるようにしていて、それでかなり急速に上達してきた。今のところ自分で書くと創造的なスペリングなので、ちょっと見ただけだとめちゃくちゃだが、声を出して読んでみるとちゃんとわかる。明日美はよくいろいろ先生に質問したり、グループで読んでいる本について議論したりする由。なんでもよく考えてやる、と感心された。うちの子供は学校向きなのだ。私も沙羅もそうだったから不思議はないが。
 元太の日本語のことで、「ひらがなをちゃんと書くけど書き順が違うのでこれからなおしていきます」と先生が言ったのに、なんとなく違和感を感じで後で沙羅と話し合った。沙羅は「書き順を正しくすることに先生は努力しているし、正しいか基準でかいた方が速く書けていいはず。」というのだが、私は書き順は本人が不便を感じなければどうでもいいと思う。字がちゃんと書けているのに書き順が間違っているからだめ、なんて言われたら私なら腹を立てる。余計な干渉だと思うからだ。ただ、速く書いて字が崩れてきたとき、非標準的な書き順だと崩れ方が違ってきて読みにくくなるかもしれないが。

991114(日)
 朝、参禅で玉光にきいてみた。「周囲から隔絶されていて何も出来ないときの方が自分の意図を明確に感じられる。あ、この人と話がしたい、とか思いながら何も言わずにすれちがってしまうような場合とか。人と実際に関わっているときには、今度は自分の意図が何だったかもう思い出せなくなる。」玉光の答えの中でなるほどと思ったのは、彼女がかつて「意図が大切」といったその意味は具体的なことよりも自分の姿勢についてである、ということ。もっとオープンになる、とかクリアになる、とかいった感じで。なるほどこれなら人とかかわっているときにも思い出して行動にある程度の修正を加えることが出来る。私は人間関係での意図、というと「この人を説得して何かさせる」といったことかと思っていたのだ。
 午後、明日美と元太をDishman室内プールに連れていった。すぐ近くまで行ったところで道を間違えて高速に乗せられてしまい、川を渡ってダウンタウンを通って大回りした。プールでは2人で良く遊んでいた。元太は明日美が機嫌良く遊んでくれるととても幸せそうだ。私はバタフライなど試す。下向きにキックするとひとかきごとに顔が出て呼吸できるが、前に進まない。泳ぐと腕を使うので胸の筋肉が充実して気持ちがいい。

991113(土)
 朝元太をバスケットボールの初めての集まりに連れていった。けっこうしょっぱなから楽しんでやっていた。よかった。日程は不便だが。
 私は10時から5時まで慈光の作文クラス。Myselfという詩を朗読した。まわりの人から隔絶したときの自分というのは、もともと救いようのないものだ、ということを強く感じた。周りの事物の持っている喚起力に対して受容的になると、雲が晴れてくる。「私」が無力感に悩むのは、実際に無力だからだ。自意識が強くなったときの「私」はもう現実との接触を失っているのだ。
 沙羅は今日家の外壁をホースの水とモップできれいにした。ご苦労さま。
 夜はみんなで『天空の城ラピュタ』を見た。空をああいうふうに飛ぶのはいいなあ。最後はもったいないなあ。

991112(金)(11/13記)
 昨日今日と小学校が休みで、今日は朝からノアとサイモンが来ていた。ノアは元太の同級生、サイモンは2つ上の兄。ジャム付きベーグルを食わせたほかはずっとほおっておいた。
 夕方から沙羅の学校のNo Talent Show。ノータレントといってももちろん芸達者な学生がたくさんいて、音楽や寸劇などをやる。音楽を聴くとき、何も解釈せずにただ聞くように、解釈しはじめたらまた音に戻るように気をつけると、いつもより深く楽しめる感じがする。坐禅の応用だ。自分にはとてもああはできない、とか思い出すとおもしろくなくなる。

991111(木)
 朝5時に起きて翻訳を完成。後は休日とする。土曜の英作文クラスのための詩(のようなもの)をTao of Teaというインド式喫茶店で書く。しかしお茶一杯に5ドルも払った。これじゃ日本並みだ。いや、日本ならお茶はただだ! まあ、すごく上等な中国のお茶らしいけど。たしかに上品な香りがする。でも5ドルはねえ。
 明日美は久しぶりにキャレンとビーズ作り。
 雨が降ったけど妙に暖かかった。
991110(水)(11/11記)
 メーリングリストで、ラジニーシ教団にしつこい勧誘を受けたという報告があり、ぎょっとした。それも、正面切った勧誘でなく、ラジニーシであることを隠して催し物を主催し、そこでラジニーシをほめたたえる演説を聞かせたり、とか。私が関わっていた頃は勧誘しない、というのが特徴だったのだが。もっとも、報告者は物書きだから、教団のPRに役立つと判断されたのかもしれない。オウムの事件が起こったとき、信者の大半はあんなこと全然知らなかっただろうな、それなのに迫害されてかわいそうだな、と思ったが、ラジニーシ教団が悪質な勧誘をやっているとすると、こっちにも火の粉がふりかかってくるかもしれん。
 翻訳の締め切りが苦しいが、それでも禅センターの「Zen Mind, Beginner's Mind」のクラスに顔を出した。著者の鈴木シュンリュウ師はサンフランシスコ禅センターで多くの弟子を育てた。トランスパーソナルのケン・ウィルバーなんかも弟子だ。この本では、禅は何かを得ようとしてするものではない、ということが強調される。と同時に、禅を生きることだけが本当に生きることだとも言いきる。
 興奮を避けよ、と書いてある部分にアメリカ人らしい反発が出た。彼らにとって、エキサイトメントを避けよというのは生きることを避けよというのと同じに聞こえるからだろう。私は、興奮する度にそこに自我がへばりつく感じがあるので、この教えはわりと納得できる。人に褒められてうれしかった経験などはずいぶん後まで行動を制約する。本当に頼りになる経験というのは、そのとき自分が奇妙なくらい静かだった経験だ。たとえば普段なら興奮、緊張するはずの400メートルハードル競走で、スタート前に走路をみつめながら、「あれ、俺は何やってるんだろう?」と静かに自問したときのように。

991109(火)
 小切手を銀行に持っていった。最近ここは窓口係と客の間に厚さ4センチくらいのアクリルの壁を設置した。こっちから拳銃で撃っても従業員は安全なわけだ。ここ3年ほど年に4回くらいの頻度で強盗にあったためという。そりゃーたまらないだろうな。幸いけが人は出なかったらしいが。客の側にデスクを持っている従業員もいるのだが、彼らに拳銃を突きつけて金を要求するというパターンが出てくるかも。
 決まりを破る人が増えてくるとこういうふうな社会的コストがとても高くなる。聞けば医療保険が高いのもごまかして保険金を受け取る人がものすごく多いからだという。

991108(月)(11/9記)
 ICの翻訳の締め切りが近いのについついメーリングリストのEメールをやりすぎる。昼御飯は沙羅とHawthorne 37thのピザ屋で。4年間近所に住んでいたのに入ったのは今日が初めて。中は結構いい感じだった。一昨年くらいまでは腹が敏感だったのでピザは食べられなかった。今はかなりいいが、そのためかえって食事内容に注意しなくなる弊害もある。むずかしいもんだ。

991107(日)(11/8記)
 朝の6時前から午後9時まで施餓鬼接心に参加。施餓鬼祭りのときに禅堂内に金色の龍が入ってきた感じがした。赤と緑の縁取りの金色の龍。餓鬼であるというよりも、ただもの珍しくて入ってきたみたいだった。後でハウスの方で亡くなった人の名前や流したいカルマを書き込んだ紙を暖炉で燃やしたのだが、その上に龍の絵があった。金色でなくて黒だが、緑のオレンジの縁取りがある。うろこや身体の線は金色みたいだ。色が多少違うが同じ龍らしい。妙な話だ。

991106(土)(11/8記)
 朝は明日美のサッカー試合。相手は身体がでかかった。明日美は守備でいいところをみせる。足が速いのと、最近はわりと相手のフォワードにからむのがうまくなってきた。チーム全体として、パスも出るしシュートもよくなっているが、トラッピングがへたくそ、というかただ身体や足にあてているだけだ。キック力が強くなっているからそれではボールが遠くへ跳ね返ってしまう。
 午後はBob Powneのメモリアルサービス。日本語では何というのかな。法事はおかしいし。葬式はもう終わっていて、これはボブを知る人達が集まって彼の思い出話をするといった感じ。教会のコミュニティが必要とする工事をいろいろ引き受けて着実に完成していったこと、共同住宅のプロジェクトにもはじめから熱心に参加して工事を監督したり、その後の手直し等もやった。全然自分のやったことを吹聴しない。なんか菩薩的な人だったようだ。ピースマーチで一緒だったから見慣れてはいるのだがなんか印象希薄だった。私の眼力がなかったということだ。あのころも縁の下の力持ちでいろいろやっていたに違いないから。オリンピック半島やコロンビア渓谷の自然をこよなく愛し、教会の下水工事のときも、できるだけ植生を傷めないように工夫して作業していた由。最後に会った数カ月前、目にやわらかい光があって、ナバホのエルダーみたいだな、と思ったのを憶えている。
 夜、沙羅が「なんらかの教会に参加したいけどキリスト教は嫌いだし、もしいいのがあってもあなたは禅センターだから家族一緒に行けない。」とこぼす。昼間行った教会のコミュニティがとてもいい感じだったから。

991105(金)(11/8記)
 メーリングリストが過熱していて、しかも興味のあるようなことばかりで私の書いたレスにもおもしろい返事が返ってくるのでやみつきになっている。しかし時間がかかるんだよな。
 夕方から禅センターに行って施餓鬼接心の最初の坐禅に参加。2時間半ほどじっくり坐って、いい感じだった。足や背中を痛めてもずーっと坐っていたくなる人の気持ちがちょっとわかるような気がした。

991104(木)
 沙羅と河童屋で昼食。うちから歩いて10分くらい。けっこうちゃんとした日本食を食べさせてくれるが、カツどんはもうれつに甘かった。もうちょっと砂糖を控えて出汁を効かせてくれないかなあ。沙羅を自然医学の学校に行かせる、というのが大串一家の10年計画で、今その9年目である。その後の10年のことを考えるときが来た。私はハワイに住みたい、とか日米仏教者の間のコミュニケーションを助けたい、とかアメリカの青少年に日本のことを説明したい、とか言い、沙羅はもう1人赤ちゃんが欲しいという。実現性はとりあえず考えずにいろいろアイデアを出してみよう。

991103(水)
 昨日ダウンタウンのPowells書店で日本の本が豊作だった。まず、『原色の愛に抱かれて』(家田荘子、青春出版社)。古本で$6.95。日本の本はほとんどが古本だ。もう読んでしまった。セックスと金、というと陳腐だが、若い女性までが金で外人を買っていたとは、日本は金持ちだなあ。正確には買うのではなくてやってから貢ぐという形だが。でもスケベおじさんと違うのはたいてい結婚して欲しいと言い出すこと。白人や黒人のリゾラバ(Resort Loverのこと)が「会ってすぐセックスするような関係に将来があるわけないじゃないか」というのは確かに一理ある。日本の女性は抑圧されているからファンタジーの部分が野放図に育ってるみたいだ。それにしても1年に200人と寝るというリゾラバの勤勉さに感心した。彼女と寝ようとわざわざ日本からハワイまで一緒に来たのだが手の早いリゾラバに先にやられてしまい、さらにリゾラバに夢中の彼女が自分のホテルの部屋でセックスするのを同じ部屋で毛布かぶって我慢していたり、生理中の彼女がリゾラバとやった後のよごれたシーツをだまって処理したり、日本の若い男性の気味悪いまでのおとなしさも描かれている。私もそう言えばセックスと攻撃性が結びつく方ではない。
 『海の記憶を求めて』(ジャック・マイヨール&ピエール・マイヨール、翔泳社)は$5.95。素潜りは好きなんだけどなかなかやる機会はない。私が潜れるくらい温かい海というと、8年前に行ったユカタン半島のコズメル島、去年の暮れに行ったハワイくらいだ。どっちも楽しかった。オレゴンの海は夏でも水温が低くて、よほど脂肪が厚いかウェットスーツを着ていないと泳ぐのは無理。
 『明るい旅情』(池澤夏樹、新潮社)は$5.50。この著者もハワイとか好きで、彼がマイヨールを取材した本を立ち読みした憶えがある。地球に対する感覚、といったものがわりと私と似ているようだ。
 『Columbia River Gorge: A Complete Guide』は新本で14ドルほど。コロンビア川はうちから車で30分くらいで行けて、南岸(つまりこっち側)の崖から落ちる滝や、崖の上からの景色がすごい。地質時代からどういうふうにこれが形成されたか、とか友人が説明してくれたのがおもしろかったのでこの本にそのことが書いてあるのが気に入った。もう一つの理由はハイキングガイドとして。
 道元クラス、2回目。「全機」を読んだ。舟のたとえ話は、人間機械ということを考えさせられた。機械としての人体がなければ私もいない、が人体も私がいることで人間になる。それと、舟に乗ると舟に乗った世界があるように(オールの感触、岸の見え方、空の見え方)、機械をいじっているとやはりその世界がある。インターネットなんか典型的だ。日本語の原書を持ち込んで、ときどき原語をみんなに紹介した。英語と、参加者の議論と、日本語の原書を合わせるとなんとなく感じがわかってくるところもある。

991102(火)
 この季節には珍しく数日間晴天が続いている。今朝は新しい自転車のサドルを高くして(貴美子さんが使ったので低くなっていた)、ダウンタウンまで行った。ポートランド州立大学に行っている友人のマイケルに会った。大学の裏の寮に住んでいる。建物のドアは鍵がかかっていて、インタホンで彼に到着を告げると、ドアが開くようになっている。マイケルは1カ月イスラエルに旅行していた。私が日本に行っているころに戻ってきていた。彼は20才頃から12年間イスラエルで生活し、キブツで働いたり、徴兵されて兵隊としての訓練もうけた。ウエストバンクでの勤務を拒否してイスラエルにいづらくなってアメリカに帰ってきたのが数年前。私のまったく知らない世界で長く生活し、友人もたくさんいる彼が私の前でにこにこ笑っている。キブツの写真を見ながら、「このナツメヤシは全部僕たちが植えたんだ。今まで何も育ったことのないところだったよ。この牛達は僕が買ったんだ。牛を飼っている建物も自分達で建てた。中の配線もみんな。」とこともなげに言う。
 
991101(月)
 このところクラスのために禅の本を読んでいる。気になったのは、中途半端に修行するくらいなら、するな、という記述。家族持ちの修行は中途半端にならざるを得ない。3カ月禅堂にこもって修行するなんてことはできない。いやな感じとともに、腹が立つ。寺でばかり暮らしていて坊主に囲まれて生活していると、見方が狭くなるんじゃないかなあ。
 Mt. Taborまで新しい自転車で登り、坂をちょっと走って登った。風が冷たいが、山道や木々はなつかしい。トシなんだから無理するな、と木や坂の土に言われて、自制した。
 元太に頼まれて忍者何とかというソフトをインターネットでダウンロードした。要するに2人の空手勝負。10個のキーを使って前進、後退、ジャンプ、かがみ、3種類のパンチ、3種類のキックができる。6人の忍者はそれぞれが得意技を持っている。けっこうおもしろいので元太とときどきやる。

991031(日)(11/1記)
 朝は例によって禅センター。慈光が法話をやった。曹洞宗の女性の系統について。永平寺に行ったとき、女性がまったく修行できないことに涙が出たというところはこっちももらい泣きしそうになった。女性を遠ざけたのには何か当時としては理由があったこととは思うが、現在はたしかにおかしい感じがする。
 
991030(土)
 朝、元太のサッカー。その後すぐに禅センターに行って、日本旅行の写真とビデオを見る。家に帰って食事、カボチャの彫刻、昼寝。夕食後、家族で歌う集まりに行く。ビートルズとかも出てけっこう楽しめる。子供もそれぞれ自分の歌いたいのをやった。元太は夏のコロラドのキャンプで憶えたというのを一人で歌った。知っている人達が唱和してくれたけど、自分で結構歌っていた。えらいぞ。

991029(金)(10/30記)
 夕方、子供たちをエリック/ジェネット夫婦にあずけて、グルジェフの没後50年記念の会というのに行ってみた。ダウンタウンまでバスで。グルジェフのムーブメントというのを初めて見た。ちょっとロボットみたいな動きだが、たしかにちょっと気が散ったら間違えてしまいそうだ。集団でやるときにもみんなと同じ動作のときと、一人一人違うときがまざっていて、油断も空きもない。主催している団体の人達はポートランド郊外に農場を持って、全体で200人くらいいるが、一部は農場に住み、残りは農場の近くに住んだり、あるいは遠くから通ってワークショップに参加しているらしい。とてもまじめでヨーロッパ的な人達だ。アメリカ人特有のボアーッとしたところがない。線がくっきりしている。キャサリンの一家もこの団体に属している。彼女もムーブメントをやっていた。家族ぐるみで同じ信念を共有するコミュニティに住むというのはちょっとうらやましい。それと、禅には体のめんどうを見る要素があまりないので、体を動かすことが修行の中に入っているのもいいな、と思う。
 夜、子供がいないのでのんびりした。録画しておいたボエジャーを見たり。

991028(木)(10/30記)
 久しぶりに沙羅が朝空いていたので、早めのランチをFusionで。歩いて5分のわりと新しいレストラン。高いけどおもしろいものが食べられる。この日はPortabelloという多いなキノコをまるごとハンバーガーのパンにはさんだもの。メーリングリストで書いたことなどを沙羅に話した。彼女は、出産に立ち会うときに何時間も待つので、その間キャサリンやハイディとおしゃべりするのが楽しいという。彼女は仲のいい女性と話すと元気が出るのだ。

991027(水)
 レイヴとかシャーマニズムとか原発問題とかを議論するメーリングリストに入っているのだが、そこで、熱のこもったやりとりがあった。メンバーの大勢は原発反対で、環境保護的というか、人間は自然に対して勝手なことをやりすぎている、という立場なのだが、私は、人間のやっていることは自然の意志である、という考え方をそれにぶつけてしまったので、しばらくなんの反応もなかったが、それから元気のいい反論がきた。それでこっちもかなり考えることになった。
 97年の12月ごろまで400mを走るための練習をしていたのだが、それを止めてから最近まで持続的なエクササイズをやっていなかった。夏はしばらく水泳に凝ったが、室内プールは近くにないので9月に入ってやめてしまった。ここ数日、ミニトランポリンを裏のポーチに出して15分間いろいろ身体を動かしている。外の空気に触れられるし、庭が眺められるので室内でやるより気持ちがいい。雨が降ってもポーチは屋根があるから大丈夫だし。

991026(火)(10/27記)
 やっとエンジンがかかってきて、朝は沙羅のホメオパシーのソフトのインストールが出来ない問題をメーカーに電話して解決。2階の便所掃除。
 ところで昨夜、愃子おばさんに電話して何十年ぶりかでしゃべった。ここのところ彼女はずっと九州で、しかも交通事故の後遺症で足が不自由なので東京方面には来なかったし、私も九州には行かなかったから。1人暮らしで、しかも買い物に行けないから、何でも福岡の親戚から宅急便で送ってもらうのだという。私と元太が日本にいたとき、叔父の雄透さんの家に行ったのだが、そのことを奥さんの福枝さんが愃子さんに手紙で書き、彼女は急きょ嬉野のお茶を送ってくれたのだ。まだ飲んでないけどとてもすてきなデザインの缶に入っている。もみぢの図案かな。
 昼近く、Joell Hymanとのセッション。夢の話。旅行中に見たすごい夢を書いて送っておいたのでそのことを話した。夢の中で元太を殺した(あるいは半殺し?)やつを両手でつかんで頭上高く差し上げ、コンクリートにたたきつけてぶっ殺そうとしたときに目が覚める、というラストシーンだった。こういう強烈な怒りが現実の生活のどういう出来事とつながっているのか。ふと思ったのだが、オウム真理教というのは、救済を強調して、あまり怒りという面には触れなかったみたいな気がする。信者の多くが持っていた、社会に対する怒りが、意識されないままに膨らんで、「救済のためにポアする」という考え方が力を得てしまったのではないか。
 Michael Dewarと久しぶりに話した。彼はイスラエルに1カ月、オランダに1週間行っていたのだ。彼は以前イスラエルに12年住んでいたから、旧友にたくさん会ったらしい。
991025(月)
 朝、坐禅中に下から沙羅と子供の口論が聞こえてきた。なんかいらつく1日であった。ここのところたいして仕事にはなっていない。ある程度さぼっても大丈夫なスケジュールになっているせいもあって無理をする気になれない。といってすっぱりやらずに休むという感じでもない。日本行きの前は仕事がすごく忙しくて、旅行中も忙しくて気が張っていたので、帰ってきてからやや気分的に不安定になっている。元太の相手をする気がしないので、彼が不機嫌でもそう怒る気にもなれない。明日美の方はあまり言ってこないが、ときどき一緒に何かすると(昨日は互いにマッサージをやった)とても喜ぶ。
 私がちょっとさぼっているので、沙羅に家事の負担がかかり、機嫌悪い。うーむ、やっぱりかなりネガティブな日だなあ。

991024(日)(10/25記)
 朝は禅センターでお勤め。参禅もやった。参禅という言葉は禅の世界でもちょっと意味の混乱があるようだが、ダルマレインの場合は1人で師匠に相対して質問することだ。このときの質問内容は丸秘。
 法話では、香厳が念について面白いことを言っていた。第一の念というのは何かがあることを認めること、第二の念はそれに名前を付けること、たとえば「これは机だ」という調子で。第三の念は解釈や価値判断、「こんなところに机があっては通行の邪魔だ」とか。我々の場合、意識の中でこの第三の念が自己増殖して氾濫してしまい、新しい第一の念が入ってくるすきまがなくなる。坐禅中に10まで呼吸を数えてまた1に戻るのを繰り返すのは、こういう念をご破算にしてゼロから始めたいからだ。香厳によると、そのうち第一の念の段階でレットゴーすることができるようになるという。そうなったら呼吸を数えるのは止めてただ呼吸を意識するだけにする。念が出てくる度に呼吸を刷毛のようにして使ってその念を払い落とす。それを続けているうちに、せまいトンネルをくぐるような感じがあって、向こう側は静謐な世界、ここは努力なしにいつまでもいられるという。これが悟りの第一段階であるという。ここは居心地がいいけれど、ここにとどまっていたのでは何にもできないから、現世に戻ってこなければならない。まあ、私はそこまで心配する段階ではないけれど。
 午後はI-84を東に少し行ったCorbetの2つ先のBridal Veilで出たところのすぐ右側の駐車場に車を止めて、我々大串一家と貴美子さんでAngels Restという見晴らしのいいところまで登った。登り口は駐車場から道をよぎったところ。快晴に恵まれ、木々の間を登りながらあちこちでコロンビア川を眺めることが出来た。一番上まで2.6マイル、80分かかった。絶景である。突き出た岩にすわってクラッカーを食べ、水を飲む。川から400メートルくらい登っただろうか。Crown Pointもコロンビア川の眺めがいいが、ここからはそのCrown Pointがやや下の方に見えるからこっちの方が高い。下流の方がずっと先まで見える。子供たちが薮をぬける近道をみつけた。近道だけど速く動けないから時間的にはそんなにかわらない。下りは50分かかった。トニー弁当で夕食。チキン照り焼きの甘ったるさに辟易。

991023(土)
 菅靖彦の『変性意識の舞台』(青土社)をふと読んでしまった。人類全体がシャーマン化するというイメージはいいものがある。LSDとか臨死体験でみるビジョンを主観的だと片づけず、客観的だと主張することもなく、心象として扱うという姿勢はいい感じがする。ただときどきその心象を固定したモノとして書いているときがあるような気がする。そうすると麻原某の空中浮揚みたいなきわものになってしまう。シャーマニズム的な現象(臨死体験とかUFOに誘拐されたりとか)の急増と、コンピュータが世界を結びつけ始めている状態とを結びつけて考えるのは私も賛成。

991022(金)
 沙羅は朝2時ごろにキャサリンからの電話で出産の手伝いに行った。結局長い時間かかり、しかも赤ん坊は肩がひっかかってなかなか出てこず、キャサリンが両手を差し込んで引きずり出すような形になった由。かなり危ないところだったらしい。
 私は翻訳に気が乗らず、昨日書いた文章を直したり、ミニトランポリンを外に出して運動したり。夕方作文のクラスに行って、みんなが詩的な文章を披露する中で、スタートレックばりのテーマの文章をかなり迷った末に音読した。参加者がそれをどう取ったかはわからないが、やってよかった。世界の行く末に関する、基本的な楽観主義を広めたいという気持ちがある。

991021(木)
 spiritual writingのクラスが明日あるので、何か書かねばならぬ。午後、2時間くらい静かに考えられる時間を作って、なんとか書いてみた。地球が今意識的存在として誕生しつつある、というSFタッチの文章になった。
 元太のサッカー練習。マシューとクリフがどうも角つきあわせることが多い。私は子供の頃けんかをしたことがないので、こういう場合どうしていいか困る。けんかそのものが悪いと言いたくなるが、それだけだとどうもただ押さえつけているみたいだし。

991020(水)(10/22記)
 翻訳かなり順調。夕方、禅センターで坐禅の後の道元クラスに参加。『生死』を英語で読む。参加者がとまどいや疑問を正直に言うのでおもしろい。道元の言葉は矛盾に満ちていて、さっと読み進むのは不可能。後で原語の『生死』を見たら、珍しくけっこう意味が取れた。生は生で完結していて、死は死で完結している、生きているものが死ぬのではない、という言い方は、主観的なフレームワークのことを言っているような気がした。つまり、外的現象は同じでも目のつけ所でそれが何かの誕生に見えたり、あるいはdecayに見えたりする。

991019(火)
 沙羅は6月に産婦人科の実習を始めて、それ以来キャサリンというベテランのNaturopath(自然医学の医者)兼助産婦に付いて回っている。妊婦との面接や出産で結構時間を食う。今日は、予定日を過ぎてもなかなか出産しない妊婦のためにキャサリンがプロスタグランジンを処方するところをぜひ見たいから、午後明日美をバレーのレッスンに連れていくのを貴美子さんに頼んでくれ、という。私の感覚ではそんなこと、学校から帰ったばかりで急に頼むことはできないので抵抗したが、「私なら頼めるんだからあなたも当然できるはず」という調子で押し切られた。結局、貴美子さんはその時間までに帰ってこなかったので、私が元太のサッカーの練習の途中で車で明日美を連れていくことにした。実際には本コーチの方が来てなくて、ノアの母親のキャレンに頼むことになった。どうも納得行かないのは、自分ができることは幹夫も当然できるはずで、しないのは怠慢だといった思い込みが沙羅にあるように思えたことだ。私の感じ方は間違っている、というわけだ。
 元太のサッカー練習、彼はうまくパスなんかも出している。動きもいい。運動能力の高い子供はまだ殆どボールを持ったら持ちっぱなしなのだから、元太のチームプレーは価値が高い。ミニゲームでクリフがシュートを外したときにマシューが「へっ!」と嘲笑的に言ったことでクリフが怒り、その後でマシューが「クリフがぼくに唾を吐いた」と訴えてきた。結局クリフが謝らされてかわいそうだった。コーチの息子というのは風当たりが強くなる。

991018(月)
 やっと翻訳始動。元太はまだ学校でくたびれる由。快晴なので沙羅とMt. Taborを散歩。来年医者になることの不安をいろいろ言っていた。職業としてやるというのはどうしても冷水に飛び込むようなショックがあるだろうな。
 生活のリズム(皿洗い、飯の支度、翻訳、子供の世話、メール読み、書き物、フルートいじり)が戻ってきた。

991017(日)
 朝は禅センターへ。香厳は法話のときに、旅行中に能登の総持寺祖院で案内役を引き受けてくれた禅僧との会話について触れていた。これは私が通訳したので憶えている。日本でもアメリカでも、暮らしが豊かになってできることの選択肢が増えてくるほど、満足度の方が低下するという現象が起きていて、多くの人々がそのことで苦しんでいるという点で2人の意見が一致していた。昔は家族みんなこたつに入って、とにかく食べる物があれば幸せだった。今はそれぞれ個室で好きなものを食べられるが、かえって孤独で不幸に感じている。といって、若い人々は制約の多い昔に戻りたいとは思わない。
 午後は大串一家と貴美子さんでダウンタウンの子供劇場に行き、ドラキュラを見た。ドラキュラに噛まれた女性の意識を通じて彼の動向を探るというのは、なんかスタートレックあたりにありそうなトリックだが、オリジナルはこんなに古かったのか。
 投球術の本、読了。おもしろい。肩の作り方の感覚的なところ(芯ができてくる)なんてのに感心。練習通り投げられたらバッターはまず打てない、というのは意外に感じた。プロでも練習通りには投げられないということだ。

991016(土)
 朝9時に元太のサッカーの試合。起きられなくて遅れる。サブコーチはマックスの父のピーターがかわりにやってくれた。コーチのブルースは何か皮肉っぽいことを言っていたが、無視する。とにかくぼんやりしているので無理はしたくない。
 その後明日美の試合を見に行った。みんなけっこういい動きをしている。トラッピングがへたくそなのが気になる。ボールが速くなっているから今までのようないいかげんな止め方でははじいてしまう。
 もうくたびれていたが、午後はカボチャ畑に行ってハロウィンのカボチャを拾った。ここは遠いが(うちから40分)、ミニ鉄道とか、船とか趣向をこらしている。帰りに宇和島屋で『山田久志の 投げる』とかいう投球術の本。こういうのは気楽に読めて面白い。それと、『生命と地球の歴史』という岩波新書。同様の本を30年前に読んだが、この本は去年の出版だから新しい情報で書かれているだろう。
 私に元気がないせいか沙羅が機嫌悪い。早く元気になりたいがあせってもしかたない。夜はスターウォーズの古いやつの第1エピソードを見た。子供たちは初めて見る。

991015(金)
 昨日、日本から帰ってきた。元太と2人で9/29にポートランドを発って、主に親戚との再会、そして私は1週間ダルマレイン禅センターの13人を引率して永平寺、金沢の大乗寺、能登の総持寺祖院、そして長野県茅野の頼岳寺とまわってきた。寺めぐりの間元太は母があずかり、10/9、10、11は元太だけ東京の友人の家に泊めてもらった。母の家ではテレビのリモートを握り締めて何時間も見ていたらしい。うちではほとんどテレビを見せないのだが、今回は日本語の勉強になるし、母もその方が楽だろうということもあって制限しないことにしたのだ。7歳の彼にとって、親からこんなに離れっぱなしになるのは初めてだが、どこでも「しっかりしている」と感心された。うちへ帰ってきてからさすがに一度メルトダウンしたが。一生忘れない旅になったことだろう。全体として「おもしろかった」と言っていた。
 今日はまだ疲れが残っていて、元太は12時半まで寝るし、私も午前中と午後で3時間くらい寝た。夕食を作ろうかと思ったが元気なくて断念。沙羅は帰ってきて夕食ができていないのでがっかりしていた。結局よくいく中華料理店に行った。やっと帰ってきたパートナーがぐったりしていて頼りにならないのに失望するのはわかるが、こっちもただバケーションに行ってきたわけではない。親類とのコネクション、禅センターの人達とのコネクション、そして仕事先とのコネクションはそれぞれ時間とエネルギーを要するけれど、こうして世界とのつながりを育てていくことが家庭としても健全なのだと思っている。

990926(日)(927記)
 朝、本当はうちにいて貴美子さんと子供たちの面倒を見るはずなのだが、昨日のことが気になってセンターに行って、坐禅の始めだけやって参禅で香厳に質問。自分を苦しめる過去の出来事について、人に話すことでだんだん重荷が軽くなる、と香厳が昨日言ったのだが、私の場合ちっともそうでない気がする、と言ったら、「そのことについて話すだけだとまだ周囲をめぐっているだけだ。そのときの感情を甦らせてシェアすることができれば変わってくる。だけどこういうことは無理押しするものではない。」と諭された。また、人を恨む気持ちを甦らせたからといって、その人に面と向かって抗議しなければならないという必然性はない、とも言われた。

990925(土)(927記)
 term student retreat。12人1組で輪になって坐り、自分の人生で今の自分に刻印を残した出来事について話した。内容は書けないが、外見はなにげなく生きているとみえる人でもいろいろ抱えていることはあるのだと認識を新たにした。私の場合は、特につらい目に遭ったということはないのだが、それでもものすごい虐待を受けた人と通じるところのある激しい感情がときとして噴出する。
 夕方帰ると、今日から11月末までうちに滞在するキミコさんが来ていた。奈良出身の23歳。ほっそりと長身で上品なこけしみたい。わりと気後れしないたちの人らしいのでほっとした。FredMyerを案内したりした。元太がゲームボーイをついに50ドルで買って、ゲームソフトは私が買ってやった(27ドル)。貴美子さんに店を見せたが、私はまだ禅センターでどうもうまく言えなかったことが気になっていてぼんやりしていた。

990924(金)
 今年の始め、仕事がなくなりそうになったとき、結局たいした対応もしなかった。そのうちまた仕事が入ってきて、なんとかなっている。無手勝流というか、受動的というか。自分で切り開いていくという姿勢はない。林檎が実っているときは林檎を食い、胡桃が落ちれば胡桃を食う、という柔軟さは良いことだ。大集団社会では、金さえ出せばなんでも手に入るから、そういう柔軟さよりも自分の欲しい物をはっきりと主張する態度が有効なのかもしれないが。自分の好みで世界を変えるのはどうもいやなんだな。自分の好み、というのに自分でも飽きているから、それよりは自分の制御範囲外から来る新しいものを歓迎する。変化に対して責任を持ちたくないという気持ちもあるが。ただし、物の見方という点ではかなり責任感があるぞ。こういう見方が正しいと思えばそういうし、反対されても反論する気概はある。結局、世界がどうなっているか、よりもそれをどう見るかの方が関心事だからだ。
 禅センターに行って、センターの紹介のビデオの日本語ナレーションを吹き込んできた。長野の頼岳寺の三沢老師へのお土産だ。老師は香厳と玉光の法統上の従兄に当たる人。一昨年香厳、私、それに隆賢というハーバードで日本の曹洞宗の歴史を研究してた英日混血の青年の3人で頼岳寺を訪れて歓待された。
 明日はterm student retreatである。香厳に聞いたところでは、十数人が一緒に助け合って修行するということ。何故禅をやるのか、とか自分の半生で大きなインパクトのあった出来事は何か、とかお互いに話し合って、3カ月間普段よりも強く修行するという感じらしい。私の場合、坐禅のことを考えたきっかけの一つは、仕事と家事で疲れたときなど、ソファに座ってじっと絨毯を見つめていたりするときが自然にあったということ。どうせ黙って床を見つめるなら坐禅をやろうか、と思った。もう一つは、ある非常に強烈な知性と個性を持った人と付き合う必要があり、かなり肝がすわっていないと圧倒されてしまうという危機感があった。
 コンピュータのサービス契約を更新しようとしたら、モニターの方は期限を2週間過ぎていてだめ、ラップトップは古いからもうだめ、と言われた。コンピュータそのものは大丈夫だが去年よりずっと高い(96ドルから159ドルに)。店員はまるで役人みたいに客のことなんか屁とも思っていないような応対をする。アメリカのコンピュータ関係の店員はそういえば妙にあいそが悪いのが多い。マックは競争が厳しくないからかな。PCのコンピュータは買ったことがないからわからないが。マウス用とキーボード用に、やわらかいゲルの入った手首置き(とでもいうのかな)を買った。15ドルずつ。ZIPドライブをラップトップにつなぐアダプタも30ドルで買った。
 日本行きに備えて、機内持ち込みのできるキャスタと引っ張り取っ手付きの小さなトランクを買った。古い型なので30ドルだった。

990923(木)(9/24記)
 やっと元気出てきた。まだ3回昼寝したけど。7万語のでっかい仕事がようやく終わった。で、ほっとすると自分の趣味で書く方もエンジンが止まってしまって、何も書かなかった。ぼけっと音楽を聴いたりするのはいいものだ。仕事をしているときはバックグラウンドミュージックとして何かかけるが、特に聞いているわけではない。
 元太のサッカー練習、今日はけっこう手伝った。keep awayというのは5人くらいが互いにパスしあって1人の「鬼」がボールを取ろうとするのを防ぐというゲームで、これだとみんなよくパスする。

990922(水)
 まだ元気なし。夕方、エイモンと少しバスケットとフリスビー。エイモンのフリスビーを犬がくわえてしまい、飼い主が何度言ってもなかなか放さない。やっと戻ってきたときは歯形ででこぼこでしかも唾液でぬらぬら。ろくに謝りもしない飼い主に腹を立てたが、どういっていいかわからない。犬を放すのはだいたい法律違反なのだが、そんなことを言っているとここら辺の犬はほとんどつながれっぱなしになってしまってかわいそうだ。それにしても犬の飼い主というのは、ほとんどが自分の犬の行動についてひどく無責任だ。歩道に放した犬がこっちに吠え付いても「大丈夫、噛みませんから」とか言うが、どうしてそんなことがわかるのか。アメリカでは年に400万人が犬に噛まれているのだ。
 河合隼雄の『日本人の心のゆくえ』を読み返している。彼も西欧的な考え方と日本的な情緒とをどう融合させるかに心を砕いているようだ。ところで、ヒーラーが「私の祈りで治して上げます」と言う場合、祈りがテクノロジーになってしまっている、という指摘は鋭い。なんか変な言いぐさだとは思っていたのだが。たとえば雨ごいにしても、天気を制御することが重要なのではなくて、空と関係を持つこと、二人称で空に呼びかけることに意味があるのだ。

990921(火)
 まだ体調が今一つ。今日は消化があまり良くない。でも症状が変化してるからそのうち体全体を通りすぎてくれるだろう。小学校の日本語クラスを手伝うアシスタント(こっちではジャパニーズインターンと呼んでいる)の1人がうちに3カ月滞在することになっていたのだが、8月末に来るはずがどんどん遅れて、やっと今週の土曜の便で来ることになった。アメリカ領事館が、若い日本女性の長期滞米をしぶっているのだ。なんでも、インタヴューで「アメリカでボーイフレンドが待ってるんだろう?」としつこく聞かれた由。日本の不景気で日本女性がアメリカに流れ込んで不法に働くのを防ごう、ということらしいが、ひどい質問だ。

990920(月)
 仕事をしすぎると自分のしたい考察ができない、とよく思っていたのだが、仕事の全然ない日には書き物もできないことが多い。ぼんやりしてしまうから、ということと、独り善がりの書き方になって自分でもしっくりしないからだ。翻訳という、原文に忠実でなければならない圧力が、文体を維持する助けになっている。また、自分で考えたことを書くというのはなかなか勢いがつきにくい。翻訳でどんどんタイプしてエンジンを吹かした状態だと、書きやすくなる。それに、翻訳の内容が工学的なものだから、話が中に浮かぶのを防いでいるともいえる。モットーは翻訳と自分の考察を両輪と見做すことだ。
 沙羅は友達のハイディと、ダイニングテーブルの椅子の張り替えをやっていた。朝から夕方までかかったが、くすんだ青がリビングルームの読書椅子やクッションやカーペットとあっている。
 ところで、一昨日の夜はアイスランドの映画でChildren of Natureというのをビデオで見た。羊の牧場をしていた老人が羊を売り、犬を殺して町に住む娘夫婦のアパートで住もうとするが、ていよく養老院に送り込まれる。そこで再会した初恋の女性と養老院を抜け出してジープを盗み、2人が育った、今は廃村の海辺の村に向かう。始めはずっとリアリズムなのだが、パトカーに追われたジープがふっと掻き消える辺りからだんだん超現実的なシーンがはさまれるようになっていく。最後の方はすごく象徴的。

990919(日)
 朝、禅センターで法話のみ聞いた。ただそこにいる、お勤めに顔を見せるということがゆっくりと効果を現す。一気に壁を破るような動きは極めて個人的なもので、その場合はサンガの人々の助けはあてにできない。現在の状況がそのどちらであるかを見極めるのは大事だが、まず見誤ると思った方がいいという。
 午後は暑い中をGross Indecencyという芝居を見に行った。Artist Repertory Theaterという小さな劇団の通年切符を買ってもう3年目だ。舞台が一番前の席から2メートルくらいしか離れていなくて、しかも5列しか席がないので、俳優の表情や雰囲気がよくわかる。
 この芝居はオスカー・ワイルドが2年間刑務所に入る原因となった訴訟の記録を元にしていて、おかげで今までドリアン・グレイの肖像の作者だということくらいしか知らなかったワイルドのことをかなり学ばせてもらった。若さへのあこがれや芸術至上主義は当時(1895年)は新しかったのだろうが、今ではかえってそういう考え方が桎梏になっているような気がする。
 沙羅が、当時のイギリス人はなんで同性愛にあんなに厳しかったのかわからない、というので、私は、今だって大人と子供の性愛はひどく悪く言われているじゃないか、と言ってみた。今日の新聞にも子供のスポーツのコーチが子供にいたずらするケースについて、感情的な議論が出ていた。そんなことをするやつは人間性を疑われて当然、というより人間扱いされなくて当然、というようなきな臭いトーンがそのコラムにあって、私はそれが過去に同性愛が扱われたやり方と似ているような気がするのだ。

990918(9/19記)(土)
 スーザンに会う。ここ2年間で外面的状況は変わっていないけど、内面的にはシフトがあったというような話。Plant Spirit Medicineをやってもらって、風邪の気分の悪さがすーっと消えた。
 午後、慈光の作文教室。これが第1回。フリーライティングで自分の気持ちが出すぎていて読む気せず。欲しいものは何か、といった質問に緊張を感じた。でも、終わってうちに帰ると、深くリラックスしてぼんやりした感じになっていた。3週間ぶりの完全休日。
990917(金)
 翻訳だけどんどんやろうという気持ちになると危ない。そのうちどっといやになるからだ。できるだけフルートで遊んだり、Social Animal(社会心理学の入門書)を読んだりして、遊び心を保とうとしている。shamanic journeyもやってみた。視覚像を求めず、体感と思考だけで下の世界に行こうとした。雑然とした思考がいろいろでてきたが、その中でふっと「2年前の問題」というような言葉が浮かんだ。97年の日記をひっくり返してみたら、ちょうど2年前の9/18(つまり明日)にスーザンと初めて会って、リーディングの結果をきいていたことがわかった。2年前と今と何が変わり何が変わっていないのか。
 奥さんとの別れ話が出ている近所の男性と電話で話した。そのことで電話したわけではなかったが、用件が一段落したときにおそるおそるきいてみると、せきを切ったようにいろいろと話してくれた。とても悲しくて辛い、と正直に言われて、身につまされた。奥さんは会社で働いていて、どんどん昇進して会社人間になり、ミュージシャンで主夫の彼との距離が開いていったらしい。
 日本行きが現実に思われてきた。楽しいだろうなという感じがしてきた。

990916(木)
 朝、カレンが立ち寄って少し話していった。元太のクラスメートのノアの母親だ。カレンの父親はインディアンで母親は白人、彼女自身は普通の白人に見える。子供の頃、普段は白人の町に住み、夏休みには居留地の親戚のところでインディアンと過ごした。夫君がユダヤ人で、シナゴーグ関係のコミュニティ活動も彼女は熱心にやっている。といって、ユダヤ教に改宗したわけではなく、基本的にはインディアン的な世界観を持っている。彼女も白人社会で少し異邦人なので、私とも話が合うことがある。それに、心の温かさと実用的な割り切りの両方を備えている。
 沙羅とうちの近くのかっぱ屋という日本食堂に行ってランチ。私は鯖の塩焼。うちで魚を焼くと台所が臭くなって家族から文句が出るので、魚はいつも醤油と酒と生姜に漬けてから少量の水を入れたフライパンで料理する。でもときどき焼き魚が食べたくなるので、レストランで注文する。
 体調良くない。喉の根もとがはれぼったい。元太のサッカー練習の手伝いは休ませてもらった。禅センターでの日本語会話も短めにして帰ってきた。

990915(水)
 フルート、低音域(一番低いCを除く)はわりと簡単に豊かな音が出せる。指の使い方も教科書を見ながら少しずつ試してかなりわかってきた。4オクターブも出せるというのだが、高音域は吹き方を工夫しないと出そうもない。
 明日美のサッカーの練習試合。相手が強豪で、とくにサラという、もう成人したようなしっかりした身体をした、技術も完成したプレイーヤーがいて、苦戦した。こっちはまだボールの周りに集まりすぎだし、ディフェンスは下がりっぱなしで攻撃とのつながりがなかったり、上がりすぎて速攻をくらったりで、まだまだ。明日美はけっこう賢くプレーしていた。ディフェンスのとき、ピンチにさっとかけつけるスピードを持っているのがいいところだ。腰が軽くてすぐつきとばされるが。少し暑いが青空で気持ちよかった。
 来年夏の明日美たちのクラスの日本旅行のためのミーティングに少し行った。こういう事業計画みたいなことは私は全然経験がないし、興味もない。神戸がいいか沼津がいいかなんていわれてもわからない。何もしなければお荷物になるし、といってできることは単純作業だけで、それはつまらないし。

990914(火)
 『科学の終焉』の267頁で、フランシス・クリックの協同研究者のクリストフ・コッホが、「君が意識的であることさえ、どうして私にわかるというんだね?」と著者に言うところがあるが、意識を研究する不可能性がここに現れている。元来、我々には目の前にいる人間なり動物なり幽霊なりに意識があるかどうか、決める手段がない。しかし、我々は、意識を持つものとして相手を扱うか、あるいは意識のないものとして扱うかの選択はできる。
 なんとなく顔の下半分がはれぼったいが、新しい自転車に乗って、VCR修理屋にテープを返し、楽譜屋でフルートの教科書とメトロノームを買い、掃除機のベルトを買い、ビデオ屋で2つビデオを借りた。

990913(月)
 コンピュータの画面を見ていると疲労で目尻が痙攣する。もう2週間半翻訳が続いているし、昨日の川下りでけっこうくたびれたし、それに風邪が喉に移って痰が出る。でも気持ちとしてはそんなに悪くはない。誰かの発言がネガティブに感じられても、その発言によって自分の行動に影響が出ないように、と心がけている。いやな感じがするのは避けようとしても避けられないが、たとえば心がしぼんでも、しぼむ前にやろうとしていたことをとにかくやることはできる。しぼんだ瞬間に思いついた復讐あるいはふてくされ的反応を実地に移さないようにすることも可能だ。ネガティブなバイブが行動に影響するのを許してしまうと、その支配力が倍加する。
 『科学の終焉』を半分まで読んだ。リチャード・ドーキンズはすごい還元主義者で生気論を完全にたたきつぶす気でいるらしいのに、なんで「利己的な遺伝子」とかいうのかな。それじゃ遺伝子に自己があるみたいじゃないか。遺伝子が複製を残そうとしている、という言い方自体がアニミズムだと私は思うのだが。てなことを考えているうちに名文句を思いついたぞ。「人間の自由とは、ものごとを客観的にも主観的にも見られる自由のことに他ならない。」これ、けっこう深みのある箴言になりそう。

990912(日)
 朝、禅センターのお勤めは行かないでミーティングだけ。センターの今後の進路を考える会合。今のうちに土地を買っておかないと、波に乗り遅れる、とか言われて困った。メンバーが増えてきたので拡張の必要はわかるのだが。住み込みで修業したい人を受け入れられるように、とかいわれると、納得行きにくいのは、このセンターの良さは幅広い層の人々を受け入れていることだと私は思うから。私は道元を評価しているからセンターに通っているわけではない。坐禅が好きで、同好の士とは話があうこともあるからだ。香厳と玉光の両先生は的確なアドバイスをしてくれるし。
 私はいつも人間の集団のはじっこにいる。精神的なスペースとして、人里離れたところにいつも住んでいるので、少しでも理解し合える人間の集団には近づかずにはいられない。けれど、その中心にはとても行けない。
 午後、エイモン&ジェンと6人でサンディー川の川下り。1.4キロほどを、小さなゴムボート、大きなゴムカヌー、それに1人乗りカヤックに分乗して下っていった。私は丸っこいゴムボートにパドル1本というちょっとむずかしい条件。流れが速くなると浅瀬に引き寄せられて座礁する。でも両岸の木々、崖、水のきらめき、青空、けっこう気持ちよかった。車2台で、1台を下流に置いて、もう1台に全員乗って上流に行ってボートを下ろし、川下りして、下流に着いたら残した車で上流の車を取りに行く、というやりかた。申し分なくうまくいった。帰ったらくたびれて、メキシコ料理の安い店まで自転車で行ったが全然口を利かなかったので沙羅や明日美があきれていた。今日は仕事は1時間だけ。8/25以来の準休日となった。

990911(土)
 朝、元太のサッカーの初試合(練習試合)。今年は4対4だ。去年より動きがしっかりしていてキックが強いのに驚く。練習ではそう違いはないと思っていたのに。元太は開始早々いいキックで得点。今年の最初のゲームなのでみんなごたごたと準備に時間がかかり、見ている沙羅と明日美は退屈した。
 Holgate図書館でビデオの修理の本とサッカーの技術の本を借りてみた。うちの近くの図書館が改装で休館してから2カ月ほど何も借りていなかった。
 隣のキットがヤードセールをしている。フルートがあったので20ドルで買った。欲しいなとは前から思っていたのだ。彼女は小学校6年生のときからこれを持っていたという。音は意外と簡単に出せる。でもどこをどう押さえるのかがよくわからない。しばらくいじって少し音階を吹けるようになったが、低音は倍音になってしまってむずかしい。
 自転車もキットのを75ドルで買ってしまった。マウンテンバイクで、18速のギア。彼女はほとんど乗ったことがないという。最新の自転車と比べて重いようだが、ギア比が大きいので私の古い自転車と比べて坂上りがずっと楽。とにかく乗っていて楽しい自転車だ。タイヤが太いから、漕ぎながらひょいと前輪を持ち上げて車道から歩道に乗り上がることができる。草原で乗るのもずっとらくちん。

990910(金)
 『科学の終焉』を読んでいる。科学時代が終わるのなら、始まりもあるわけで、それはデカルトやニユートンだろう。なんでその頃始まったかというと、人間を組織化するという大問題がほぼ解決したからだと私は見ている。
 でも不思議なのはたとえば「意識」を科学の対象として疑わない人が多いこと。石が落ちようとしているのか、地球の引力が石を引っ張っているのかは、その石を見ている観察者の見方で決まる。人間だって、基本的には同じことだ。意識が複雑さから発生するなんていうのは、蛆が自然発生すると考えるのと同じくらいばかげている。意識というのは、感情や意志の言葉でしか語れない。恋人が自分を愛しているかどうかは、彼女の脳を解剖したってわからない。愛されているという、とてつもなくなつかしい気持ちを自分が感じるかどうかだけが問題なのだ。
 6月以来久しぶりに、沙羅と子供たちが学校に行っていて9時から3時まで私は1人でうちにいた。仕事、読書、焼き増しして日本に持っていく写真の選別、等。ここ2週間は多分これまでで一番稼いだんじゃないかな。よく精神的に持っていると自分で感心している。

990909(木)
 ビデオデッキが変な音を出すので、修理屋に持っていった。最初に電話した官僚的な店は止めて、次の小さな店にした。ジムというおっさんが1人でちょぼちょぼやっている。でも待ち時間は短いし、ちゃんと直してくれた。最初の店はデッキを見るだけでも2、3日かかると言ってたのに、ジムは2時間後にもう終わったと電話してきた。ヘッドがものすごく汚れていた由。4カ月に1度はクリーニングするべきだと言われて、苦笑するしかなし。前回のクリーニングは4年前だった。
 このところ、朝早く起きてトイレで日記を書いたり、ノートにアイデアを書いたりした後、55分座禅して、それからちょっとまた寝てから朝食、というパターン。
 禅センターで日本語クラス、それと日本旅行のミーティング。禅センターの人達との時間よりも元太との時間の方を増やしたい気もしてきた。まだ7月の旅行から気分的に回復していないのでそもそもあまり旅行したいとは思わない。景色とか美術品、建築などにはまったく興味がないし。前の旅行のとき、お寺の坊さんでもあまり合掌はせずにただおじぎすることが多かった、と香厳が言ったとき、そんなこと全然憶えていないことに気付いた。私はただ合掌とおじぎを機械的にやっていただけだ。私は人の顔つきとか動作の特徴とかはよく憶えているが、作法的なことは何も憶えていない。

990908(水)
 明日美は5年生、元太は2年生の初日。元太の先生は2人とも3年前明日美を受け持っていた。これは初めて。明日美は1年生の終わりに日本語プログラムに編入されたので、2年生からの先生しかよく知らない。元太の英語の方の先生は、まったく声を荒げずにわんぱく坊主たちをさっと授業に誘い込んでしまう天才。
 私はJoell Hymanさんと夢分析4回目。数日前に見た面白い夢のこと。鏡を見たら自分が褐色の肌の元気のいい少女になっていたというもの。とてもポジティブな感じの夢だった。
 帰りにPowells書店に寄る。新刊と古本が同じ棚に並べてあるユニークな書店。一店の本の量としても全米有数の大きさだと思う。日本の古本の棚には千冊以上がランダムに置いてある。区別はマンガかそうでないか、というだけ。『科学の終焉』(ジョン・ホーガン、徳間書店)が$9.95、『雲の宴(上)』(辻邦生、朝日文庫)が$2.95、『海外とは日本人にとって何か』(城山三郎、文春文庫)が$3.50。科学が思想的にもう新しいものを出していないということは、20年前に研究室に身を置いていたときにも感じていた。私みたいに考えることが好きな人間には、パズル解きや実用的な問題の解決に頭を使わされるのはつらい。『バンド心性と大集団心性』みたいな、人間とは何か、的なことの方がずっとおもしろい。

990907(火)
 電子メールにアクセスできず、プロバイダに電話したら、週末にサーバーの引っ越しをやったとき何か起こったかもしれないという。いったんなおったが、後でまた不通。
 朝、元太をクラスメートのジョーダンのところへ連れていった。父親のヴァールは黒人、母親のサンドラは日系二世という組み合わせ。サンドラの父上が2、3日前亡くなったので、彼女は実家に帰っている。仏教式に49日の法事もやるらしく「45日経ったらまた行くんだ」とヴァールが言っていた。
 ヴァールは港で荷下ろしの総監督をやっている由。変な虫とか付いてくるんじゃないか、と聞いたら、「蜘蛛とかは益虫ということであまり気にしない。イタリアからのコンテナにはカタツムリが付いていることがあって、そういう場合は燻蒸しなければならない。」そうだ。
 2人とも大工仕事が苦手という点で一致。アメリカ男性の多くはちょっとした建て増しや修理は自分でやってしまうので、そういう技術を持っていないとなんか肩身が狭いときがある。

990906(月)
 明日美の風邪が私にも移ったらしく、今日は半分寝て暮らした。2時間くらい起きていると頭が貧血気味になって、しばらく横にならないとだめ。でも仕事だけはなんとかしたし、便所掃除もしたぞ。

990905(日)
 特許翻訳の依頼が来てちょっとあせった。9月の末までけっこう忙しいし、その後は日本に2週間行くからだ。しかし、そんなに時間がかかるものではないとわかってほっとした。1人で仕事するというのは自由みたいだが、クライエントを満足させようとするとそう自由ではない。クライエントが満足しなければ仕事もなくなる。それに、長いこと同じクライエントと仕事をしていれば、向こうの事情もある程度分かってくるから、向こうが困っていればなんとかしたいという気も起きてくる。持ちつ持たれつということか。
 夜、ビデオで「Full Monty」を見た。イギリスのシェフィールドは鉄鋼業の町。ところが最近は不況で失業者が多くなった。失業者6人が男のストリップをやってお金を稼ごうとする話。ガズと息子の父子愛、デイヴの夫婦愛、6人が同じ目標に向かって珍妙な努力をする間に育ってくる仲間意識。けっこうウェットな人情ものになっている。男の自分の体に対する意識という点でも面白い。出腹を気にするデイヴ、女を見るとペニスが立ってしまうのではないかと心配する元班長。

990904(土)
 明日美は「ガハッ、ガハッ」という浅い咳をどんどんしている。小さい頃からこういう咳だった。いったん始まると、2週間くらい続いたりする。かわいそうだが、聞いているといらいらしてくる。病気になると、目がとろんとしてくるのでわかる。
 仕事のハイペースがこれで10日連続。だんだん心が重くなってくるのがわかる。でも、7月は仕事しなかったし、8月はゆっくりだった。それに、10月は日本旅行で半分不在だから、今がんばることに不満はない。新しいマウスを買って、ボタンが2つで機能を選べるのでいろいろ試している。今のところ、左側のを普通のクリック、右側のをdrag、そして両方一緒に押すのはスクロールにしている。初め、右側のをcutにしたが、すぐに間違って知らないうちに翻訳の一部を消してしまった。ボタン一つでカットできるのは便利なようで危険だと気付いてこれはやめた。
 木のチェックで近所を回った。Friends of Treesという組織が、歩道に木を植える運動をしていて、うちの木(Paper Bark Maple)もそれで購入した。植えるときは近所のボランティアを募る。私と沙羅も手伝った。3年前のことだ。それ以来、私は毎年その年植えた木のチェックをボランティアでやっている。受け持ちはうちの近くの30〜40本。特に夏は乾燥するので、水をやることが大事になってくる。だからチェックは夏だけ行う。今年の8月は珍しく雨が多くて、あまりチェックの必要性を感じなかったこともあって、本当は8月中に終わらせるはずがまだ終わっていない。

990903(金)
 翻訳、今日までに仕上げた分は今月の支払いに入るので、がんばって一つ仕上げた。子供たちはおとなしく遊んでいる。ちょっと元気のない明日美は本を読み、元太はうちの前の歩道に煉瓦と板切れで10センチくらいの高さのジャンプ台を作り、スケートボードでジャンプしている。そういえば最近2人ともコンピュータでタイピングの練習をしている。2時ごろやっと仕上げてぼんやり。屋根の修理に来たジョーと少し話す。メキシコ系の男前で楽しくやっている感じのするしぶい中年。ミュージシャンでもある。昼寝。元太にせがまれてインターネットからアーケードゲームのソフトをダウンロード。月面着陸船をうまく着陸させるゲームだが、単純だがむすかしくておもしろい。

990902(木)
 翻訳、何とかペースを保っている。午後の元太のサッカー練習。私は副コーチだけど、ほとんど何もしない。多数の楡の大木に囲まれた緑のグランドで木々と空をぽかんと見ているだけで仕事疲れの目に心地いい。
 禅センターで日本語会話クラス。自転車を止めたところで中国系らしいおっさんに禅センターのことをきかれて答えているうちに遅くなった。時間に厳しい慈光が何もいわないがちょっと変な顔をしていた。人を待たせるのはよくないな、たしかに。このところ疲れていて、なんでも遅れ気味だ。

990901(水)
 ユング派セラピストのJoell Hymanさんと3回目のセッション。私の中で日本とアメリカがどう折り合いを付けているのか、ということに彼女は強い関心を示す。自分ではそれほど意識していないのだが、たとえば日本人との日常的な交流がほとんどゼロというのは考えてみるとちょっとおかしい。
 なんで日本人が苦手なのかというと、情的な合一を強制されているような気がするからかな。すなおになれとか、あんたは考えすぎだ、とか。
 水泳、潜水で25m行ってターンして帰り半分まで行けた。これも初めて。この2週間1日おきくらいにプールに行ってるせいか、調子がついている。

990831
 昨夜、Message in a Bottleという、ケビン・コスナーの中年恋愛映画のビデオを沙羅と見た。コスナーはなんとなく気に入っていて、Water WorldもPost Manもよかったと思う。知的で暗い、しかしどこかユーモアのあるreluctant heroというのが私のコスナー観だ。ラストは意外だった。あそこまでしなくてもいいのに、と沙羅がぼやいた。彼女はハッピーエンドでない映画はきらいなのだ。夜半まで見たので今日は眠くて仕事にならず。
 今日は元太のサッカー練習中に明日美に家から歩いてきてもらって、そのまま水泳練習へ。練習場は彼らが通っているリッチモンド小学校の校庭で、うちから歩いて2分。これは偶然ではなくて、日本語も教える公立小学校として知られるこの学校の近くに家を買ったのだ。

990830
 仕事、早くもばてぎみ。飛ばしすぎたか。午後、明日美をサッカー練習に連れていき、元太を友達のニックの家まで迎えに行き、取って返して明日美を拾って水泳レッスンへ。1時間車に乗りっぱなしだった。水泳では、平泳ぎの潜水で足で蹴って手でかいた後、体全体をむち打たせると効果的なドルフィンキックになって速く進めることがわかった。
 同じレーンで泳いでいた初老の背の高い白人のおっさんとちょっと話したら、PSU(ポートランドステート大学)の牧師だという。外国人学生の集まる週1回の会があるから来てみないか、という。私のことを学生だと思ったらしい。私自身、学生を長いことやってたので、今でも学生といわれるとそんな気もする。もっとも、アメリカでは中年の学生は珍しくないが。私も社会心理学みたいなのを勉強してみようかと思うこともある。

990829
 東隣の家は中が4つのアパートになっている。地下に住んでいるエリックとカラは最近赤ん坊が生まれた。さっきエリックが裏庭に面した壁の前でたばこを吸っているのをみつけてちょっと話した。彼は20代後半にみえる。金髪で、見た目はアイルランド系みたいだ。バーテンをやっているというだけあって、手がよく動き頭の回転も良さそうだ。サンディエゴ育ちで、高校卒業後海軍に入った。ダイバーとして、南極で故障した原子力潜水艦の修理をやったりしていたそうだ。給料は安いし、恩給は減らされたし、宮仕えはいやなのでやめた由。「日焼けすると、国家財産を損傷したかどで軍法会議にかけられる」と苦笑いしていた。でもいろいろな外国に行けて、いろいろな人間に会えたのはよかったと言っていた。

990828
 仕事、早くも過熱。第一オフィスが暑い。でも子供2人つれて自転車屋に行き、明日美の自転車の修理をやってもらい、私の自転車のライトの電球を買った。私のは25年は経っている。義父の納屋にずっと置いてあったもの。この自転車屋は従業員が協同組合で経営しているという、すごく良心的で実際的。
 FredMeyer(安い百貨店)で、元太をエレクトロニクスの店に置いたまま明日美を探していたら、元太が心配して私に呼び出しを掛けたらしい。呼び出しは結局聞こえなかったけど、店内を見渡して彼をみつけた。最初は普通の顔をしていたが、やがて泣き出してしまった。店に置いてあるゲームボーイで遊んでいたのだが、私が近くにいると思ったのにいなかったので怖かった、と怒り泣き。元太は最近ずいぶん精神的に成長してるから、このくらい大丈夫と思って置き去りにしたのがまずかった。

990827
 仕事開始。きのうまでは10分やると気が散って他のことを始めていたのが、今日は長いときは1時間休まずにやった。気分が切り替わっている。こうしないと締め切り間近にえらい目に遭うことがわかっているからだが。
 子供たちは自転車のサマースクールで昨日はダウンタウンまで(6キロくらい)、今日もけっこう長く乗っていたらしい。どんどん強くなる。
 子供たちの水泳レッスンの間私も泳ぐ。となりのコースのおっさんがバタ足でゆうゆうと往復しているのを見て、水中に顔を沈めて彼の足の動きを観察した。思ったより膝がまがる。バタ足を最初に習ったときに、膝を曲げるなと言われていたので、なんとなくそれを守っていたのだが、彼のは膝を使って、へびがのたくるような、あるいは波が進むような動きを脚全体に与えている。さっそく、私も膝を今までより自由に使ってバタ足をやっていみた。けっこういける。バタ足だけで無呼吸で進む。膝を使うから腿の表の筋肉(大腿四頭筋)が過熱している感じ。向こう側の壁が見えてきたので、ちょっと苦しかったが無呼吸のまま壁に達した。バタ足だけの無呼吸で25m泳ぎ切ったのは生まれて初めてだ。プールから上がっても腿は焼けるようで、歩くのが一苦労。腿がつると痛いからゆっくり手をそえて歩いた。しかし満足である。
 夕食は蕎麦。つゆは買ったやつなのでちょっと甘いが、出汁が効いていておいしい。元太が3杯も食べ、250gを2袋ゆでたのが全部なくなった。去年までは1袋でほぼ足りるくらいだったのに。
990826
 でっかい仕事がどかんと落ちてきた。7月の旅行以来たいして仕事をしていなかったので、仕事は歓迎だが、電子メールやホームページ、とくに『バンド心性と大集団心性』の考察を進めたりするのはむずかしいだろうな。9月の末までに仕上げてそれから日本に行きたいものだ。この日記も短くなるだろう。
 日本語会話クラス。その前に夕食に招待されていたのに、完全に忘れて子供たちのスイミングスクールに行って泳いできてしまった。あわてて駆けつけて謝ったけど、遠来の日本の看護婦学校の学生たちと禅センターの人達との交流を手伝えなくて申し訳ない。クラスのすぐ前だからカレンダーに書かなくても思い出すだろうと思ったのがまずかった。クラスは今週参加者が少ないので復習。これもしかしなんか脱線ばかりでちゃんと教えなかった気がする。過去の失敗を気にするな、という戒律を頼りにみじめな気持ちを耐える。

990825
 シャーマニズムの先生のスーザンとのセッション。ここ5日間くらい毎日夢を見たので、その話をした。1時間半の間、頭をフル回転させてしゃべる。私はけちなので、95ドルも払ってるんだから元を取るぞ、としゃべり散らす。相手はプロの聞き役だし、私の長広舌の中から意味のありそうなことを拾い出して、私の注意をそこに向けるようにしてくれる。話の内容はともかく、たまっていた糞を一気にひり出すような快感がある。
 午後は明日美と元太を連れて、まず明日美のサッカー練習。私は同じグランドで元太とシュート対ゴールキーパーの練習。途中で切り上げてプールに行き、2人はスイミングスクール、私は1人で泳ぐ。いつも1回は25mを潜水で泳ぐのだが、今日は3回やった。最後の方で息が苦しくなるのに耐えるのががんばりどころ。この夏はついにバタフライで泳げるようになったので、今日もかなりやった。両腕を翼のように広げる動作が気持ちいいのだ。プールの後は自然食品店のNaturesに行って夕食と買い物。デザートのタピオカプディングがおいしい。ハワイを思い出させる食べ物だ。子供たちにもリストを渡して何か買わせる。元太はまだ手が届かない棚が多いので、注意が必要。それにまだ品物の名前を読むことができない。もう1年経てばずいぶん違うだろう。今でも、いったん場所を憶えた品物はすぐに探し当てる。私と違って方向感覚と場所の記憶がすごくいいのだ。私は人の顔つきとか動作はよく憶えているが、着ている服は憶えていないし、家の間取りとかもだめ。幾何空間的な関係を記憶することができないのだ。

990824
 一昨日の新聞(Oregonianの日曜版)に、親のMeth中毒で子供たちが里子に出されるケースがここ1年で急増した、という記事があった。Methはメタンフェタミン、日本で戦後はやったヒロポンと同じものだ。Meth中毒の親に虐待されて助けを必要とする子供の数が増えて、ソシャルワーカーたちの対応が追いつかないという。数カ月前には、当郡のヘロインによる死者が1年で100人/年から160人/年に増加、という記事をみた。この辺の人口は100万くらいだろうから、1万人に2人近くになる。たいしたことないみたいだが、率としては交通事故に匹敵する。
 Meth中毒者が、ハイのときの感じとして「自分がすごく重要な人間になった気がする」と告白していたのが印象に残った。コカインをやったことのある男から「王様になった気分だった」ときいたこともある。昨今、並の人間は現実生活でそんな気分になれる機会がほとんどないから、中毒者の気持ちもわかる。そのかわり後はひどい。恐ろしく気短になり、我が子でもぶんなぐったり、殺してしまったり。しばしの天国の後は刑務所か死体置き場への最短距離を走ることになる。

990822(825記)
 浜から左に見える岬の手前から登山道があり、4キロくらいで灯台までいける。途中の道は両側に木がしげってトンネルの中みたいに暗いところもある。ときどき、海岸の景色がぱっと開ける。幹の直径3m位の杉の巨木が1本ある。白人がこの大陸に来るずっと前からの生き証人だ。他の木はほとんどが最近数十年に生えたものらしい。海岸近くにも直径2m位の切り株がときどきみられる。大きな木はほとんど切り倒されたのだ。
 子供たちも意外にがんばって、マリーとヘザー以外は全員灯台まで歩いた。元太も平気な顔をしていたが、海岸の家に戻ってから気分が悪いと言い出し、夜まで吐き気を訴えていた。おかげで私は2回目の海岸のたき火の夕食に参加できず、元太と2人で家に残った。(1回目は19日か20日で、私が醤油と酒につけておいた鶏肉をあぶったり、アルミホイルに包んでたき火に突っ込んだりして料理した。)Dだけ残してみんなが帰ってきたので、私だけ海岸に行ってDと話した。私は誰とでも話せるわけではなく、どちらかというと守備範囲の狭い方だが、Dとならいつまででも話せる。

990821(824記)
 海岸のバケーションなら本が読めるだろうと思って持ってきたのが『我が青春の記』。著者は横山一三氏、母の親戚だ。これは個人出版なので読む人はごくわずかだろう。氏は陸軍士官学校出の砲兵だった。1942年10月にガダルカナル島に上陸したときは22歳の少尉だった。作戦地点まで十重二十重の山を越えて砲を人力で運ぶ、という過酷な試練で全員疲労の極に達し、さらに食料補給の遅滞で栄養不十分なところへ脚気、マラリアが蔓延、戦わずして半数以上を失った。ふらふらの状態で米軍と戦闘、450人ほどいた大隊が翌年2月にようやく退却したときには78人に減っていた。この本をアメリカ人に囲まれて読むのはちょっと変な気分だった。Dの父は補給部隊の兵士として、日本軍退却後のガダルカナル島に行ったことがあるという。
 Jの姉のマリーとその娘のヘザー(8歳)が来た。シアトルから車で6時間かかった由。マリーは神学校を出て、教会の説教師をずっとやっていたが、最近はホスピスの仕事。患者の家に出向いてスピリチュアルカウンセリングをする。職業柄と言うべきか、ほとんどあったことがないのだが話しやすい相手だ。
 Dと私、アレナと明日美の4人で50mくらい沖の浅瀬まで歩き、打ち寄せる波にタイミングを合わせて岸の方向に泳いで波に乗る、という遊びをやった。最初に海に入ったときは痛いほど冷たかったが、遊んでいるうちに何も感じなくなった。うまくいくと一気に10mくらい波に乗って進むことができる。爽快である。そのうち、耳が痛くなってきた。身体の震えも感じる。水から上がってもしばらく耳が痛くて困った。

990820(824記)
 今朝は昨日とうってかわって曇り空で、霧のような雨が身体をぬらす。涼しいな、と思ったら走りたくなった。1人で浜へ行き、海を左手に見ながら、波の音の中を北に向かってまずジョギング。起き抜けで身体が重い上に、ここ1年以上ランニングをほとんどやっていないので、すぐ苦しくなる。途中からスローダウン。ずいぶん長い砂浜だ。2キロ以上ありそう。右手は砂丘になっていて、すすきのような草におおわれている。
 砂地は膝の心配なしに走れるが、一歩ごとに足がめりこむから疲れる。500m位先に小さな岬が見えるところで止まり、砂丘に登ってみた。草地の中の小道をやっと見つけて一番上まで登ると、東側が見える。草原が200mほど続き、その向こうは私が走ってきた砂浜に閉じ込められた湾の水面が広がる。
 帰りは速く走ることにした。陸上部時代に快調走と呼んでいたペースだ。全速力の7割くらいの力で30〜50歩走り、息がととのうまで歩いて、また走る。そのうち調子が出てきて、身体が浮き上がる感じになってきた。久しぶりの快感。
 午後はDや子供たちと立ち幅跳びのコンテスト。Dも立ち幅には自信がある。初期のオリンピックで立ち幅跳びがまだ種目に入っていたときの優勝記録くらい跳べたという。かなりの接戦で、私が2m50くらい、彼がそれより2センチくらい欠ける程度。私の最盛期の記録は2m80くらいだから、2m50は悪くない。
 Dは最近マウンテンバイクに凝っている。友人達と3600m位の標高まで行って自転車に乗る。けっこうハードなコースを走るらしい。「もう10年したらこんなことできないだろうから、今やってるんだ」という。この気持ちは分かる。私も一昨年の暮れまで3年くらい400m競走の練習をしていた。学生時代に50秒で走ったが、40台になってからは60秒が精いっぱいだった。それでも走る快感はあったが、身体が続かない感じがしてきたので、しばらく走るのは止めていた。

990819(824記)
 Davidは私より2つ年上の48歳。木工で家具を作るのが商売。ボールダーの彼の家に行くと、箪笥、テーブル、キッチンの戸棚、裁縫箱等、どこを見ても彼の作品が目に止まり、心が和む。相当の金持ちでもこんな贅沢な家には住んでいないだろうと思う。森深いベルモント州育ち。先祖はメイフラワー号の時代までたどれるという。若いときはヒッピーで、ずいぶん旅行もしたらしい。とてもソフトなしゃべり方をするが、シャイではなくて誰とでも会話を保つ才能を持っている。本人に言わせるとこの柔軟性は「ヒッチハイクをしていた頃に体得した。どんな人が運転しているかわからないからね。」
 彼と話していると、人間の最高の楽しみというのは気のあった人とおしゃべりすることかもしれないな、と思う。私がどんどんしゃべれる相手というのは今までに数えるほどしかいなかった。彼と会うときはだからいつも長話になる。子供の頃にこういう話し相手がいたらなあ、とつい考えてしまう。
990818(824記)
 D/Jたちと明日美、元太を花子(90年型マツダMPV)に乗せて、Cape Mearesに向け出発。沙羅はクリニックがあるので明日虎吉で合流する予定。ポートランドはアメリカの地図で見ると海岸にあるみたいだが、実際には100キロくらい離れている。Cape Mearesは少し南なので、車で2時間弱かかる。乳業で有名なTillamookの近く。近所のジャネルの母親が簡素な家を海岸に持っていて、一泊45ドルで貸してくれる。一応ベッドルーム3つ、リビングルーム、キッチン、風呂付き。
 リビングルームには家と不釣り合いに大きくて立派な暖炉がある。こぶし2つくらいの大きさの石を組み合わせて漆喰で固めてある。ジャネルの母親が小さい頃に、祖父がここに大きな家を建てたのだが、まもなく火災で消失。燃え残った暖炉のまわりにあばら家を建てて住んだのがこの家の始まりだ。
 家から海岸まで150メートルほど。海岸は岸側が幅30mくらいの石ころ地帯、海側が砂浜になっている。場所によっては、砂浜は満潮時にとてもせまくなる。石ころは主に灰色の5〜20センチくらいの丸石だ。裸足だとちょっと歩きにくい。打ち寄せる波の上を海猫、鵜、ペリカンなどが飛ぶ。左手300mくらいには木の生い茂った岬が200mあまり海に突き出ていて、こちら側ががけになっている。
 子供たちはとにかく水辺で砂があればハッピー。冷たい水に膝までつかって、波が来る度にヒャーッと叫ぶ。波打ち際に作った砂の砦を上げ潮の侵略から守ろうと土手を作ったり流木を前に置いたり。大人達はおしゃべりとフリスビー。見渡す限り砂浜に人間は10〜20人しか見えない。うるさいモーターボートやジェットスキーもこの浜には来ない。Cape Mearesの村には店が一軒もない。
990817
 村上春樹の『約束された場所で』を読了。現代日本の極端な物質主義の中ではもともと宗教に惹かれやすい素質を持った人は疎外される。彼らが瞑想修行のできるオアシスと、ともに修行できる仲間をオウム真理教の中でみつけたこと、それ自体は喜ばしいことだ。なぜそれが悲惨な結果を生んだのかという疑問は私にとっても他人事ではない。私のラジニーシ経験と彼らのオウム経験はいくつもの共通点を持っていて、この本を読んでいると、いろんなところで自分自身を見る思いがする。
 コロラド時代(86秋〜95春)からの友人David/Janet一家(Alena 9歳、Emma 6歳)が来た。シアトルからAmtrakの列車で来たのだが、5時間近くかかった由。距離は300キロ、車なら3時間弱だ。発車時刻は20分くらい遅れたし、そもそもポートランドへの到着時刻は切符に書いてなかった、とJが笑っていた。Jは白人だが、牧師の娘として四国の松山で13歳くらいまで育ったので、完全な日本語を話す。私も3年前にシアトルへの往復にAmtrakを使ったが、やはり20分くらい出発が遅れたし、乗るときにプラットホームがなくて、線路わきから踏み台に登って乗車するようになっていたのに驚いた。でも料金は安くて、往復僅か35ドルだった。座席もゆったりしていた。今回のD/Jたちの場合は子供車があって、そこに行くとピエロが芸をして子供たちを楽しませてくれた由。
990816
 虎吉が運転中に金属の鈴が鳴るような音を出すので修理工のキムおばさんに同乗してもらったら、「ブレーキみたいね」と言う。虎吉は85年の日産マキシマ(日本のセドリックかなにかと同型)。沙羅の母親のシャーリーさんの夫のギデオンの車だったのを1000ドルで買ったのがもう7年くらい前か。このところよる年波で修理費が嵩んできた。去年の末に600ドルくらいの修理費がかかると言われたときにもう少しで手放すところだった。私たちが乗る車としては高級車で、乗り心地がいいのだが、それだけに部品が高い。(みかけはよくない。雹が当たってゴルフボールみたいにでこぼこだらけになっている。だから安く買えたのだ。)春には排気ガスのテストに落ちて、また手放すことを考えたが、修理屋のアートおじさんのアドバイスで高速をぶっとばした直後に再度挑戦したらぎりぎりで合格。次の排気ガステストがある2年後までは乗り続けよう、と決めた。車が古くなると情が移る。年取ったペットみたいなものだ。今回は結局前後両方のブレーキ修理が必要で、費用は800ドル。あーあ。

990815
 神奈川の洪水による遭難のニュースをウェブの朝日新聞で知った。流れの強い日本の川の中州でキャンプするなんて、しかも大雨警報が出ているのを無視するなんていったいどういう気でいるのかと最初はあきれた。しかし、せっかくの盆休みの、せっかくの自然の中のキャンプなのだ。川岸はもう他の人々に取られていたので中州しかキャンプする場所がなかったという。せつない話だ。
 私は自由業だから、休みはいつでも取れる。先月は車でイエローストーン、グランドティートン、ヨセミテの3つの国立公園に行ってキャンプしてきた。そんな遠くへ行かなくても、うちから1時間のOxbow公園は原始の自然を思わせるサンディー川沿いのキャンプサイトがあり、予約なしでいつでもキャンプできる。玄倉川で流された人達の気持ちを察するには恵まれすぎている。
 今日の朝は禅センターで久しぶりに法話。夏は月に1度だけだ。香厳が、fallow state(ぼけっとした状態)の重要さについて話した。坐禅はもっとずっと集中した状態であるという。あれ、坐禅儀の記述では坐禅ってぼけっとした状態みたいにみえるけど。私が今までしてきたのはどっちかというとぼけっとした感じだ。香厳によると、気が散らないようにぐっと集中していると、非常に狭いトンネルをくぐるような感じがあって、その向こう側に無の境地があるという。まあ試してみよう。

990814
 沙羅の椅子ショッピングにつきあった。彼女はこの夏リビングルームの美化に凝っていて、先日は親友のジェンを相談役としてつれていってカーペットを買ってきた。私は部屋の視覚的印象には鈍感なので、特に意見はない。ゆっくりくつろげる読書用の椅子が次のターゲットで、沙羅はもうかれこれ15くらいの店をまわって、候補を3つに絞っていた。椅子となると座り心地が気になるから私も興味がある。私は最終候補の3つを見るだけでいい。沙羅も、私を下見に連れていくとすぐに飽きて疲れた子供みたいに不機嫌になってしまうので、どうしても見て欲しいものだけ見せることをすでに学んでいる。アメリカ人がよく買うのはリクライニングチェアで、これはわきのレバーを引くと椅子の前部が上に開いて足を乗せられるようになる。大変らくちんで、そのまま昼寝することもできるが、沙羅はそういう椅子はいかにもメインストリームアメリカンという感じがするのでいやだという。だから2つの候補はヨーロッパ式のほっそりしたやつで、前に足台を置いて使うもの。もう1つは腕休めと背中が花が開くみたいに広がって、しかも背中が左右不均等という、芸術的な作品。見た目はこれはいちばん面白かったが、座り心地がいまひとつなので落選。結局ほっそりタイプを買った。
 椅子の店のうちの1つがたまたま紀伊国屋書店の近くだったので、立ち寄って本を吟味。村上春樹の『約束された場所で』(文芸春秋)という、オウム信者のインタビューの本を買った。地下鉄サリン事件の後、オウム真理教のことを書いた本を3冊読んでみて、それぞれおもしろかったが、今一つ感じがつかめないと思っていた。とにかくものすごく集中した集団心理的なエネルギーが発生していたらしいが、何故それが可能だったかについて今一つ納得の行く説明がなかった。
 86年に私が日本を去った段階では、オウムというのはラジニーシの弟分みたいなちょっとかわいらしいニューエージスピリチュアルという感じだった(とある友人が言っていた)。私は82年にラジニーシの弟子になっていたので、オウムのこともとりあえず親近感を持って眺めていた。彼らがどんなことを考えていたのかをじっくりききたい。
 『ロリータ』を読了。ハンバートとロリータがアメリカ中を自動車で旅行しながら2年も暮らすというところがある。こっちも7月に自動車旅行をしてオレゴンからワシントン州、アイダホ、モンタナ、ワイオミング、コロラド、ユタ、ネバダ、カリフォルニアと回って6000キロを走破してきたので、道から見える景色やモテルの記述がおもしろかった。この本が書かれたのは1953年くらいらしいが、40年以上たった今でも自動車旅行の基本はそんなにかわっていない。

990813
 7月の旅行中から明け方に起きて55分座禅するようにしている。その前までずっと3年間朝と夜に30分弱ずつ坐っていたのだが、旅行中はそれでは不便なのでみんなが寝ているときに一発でやってしまおうと思ったのだ。静かだから心を静めるのにはよいが、昼間起きているときに坐禅のときの気持ちを思い出すのがちょっとむずかしい。時間的に隔たっているからだろう。帰ってきてからも明け方1時間作戦を続けている。これだと起きたときと寝るときに沙羅といっしょにいられるから、彼女も気に入っている。ただ、なんか睡眠不足ぎみになる。
 昨夕と今日の昼、禅センターに行って日本語を教えてきた。「トイレに行く」と「トイレへ行く」はどう違うのかとかきかれて困った。動詞が「行く」の場合は意味に違いがでないようだ。一般に「に」は目標に密着した感じで、「へ」は目標への方向に向かう感じだ。たとえば「くそつぼにはまる」とはいえるが「くそつぼへはまる」はちょっとおかしい。日頃何げなく使っている日本語に意識の光を当てると、自分でも理解していないことがたくさんあるのに気付く。みんな真剣で積極的なので教え甲斐がある。
 shellfishアレルギーの人がいて、それをどう日本語で言えばいいのかときかれた。shellfishは貝と甲殻類の両方を含む英語で、日本語には対応する言葉がない。貝、海老、蟹、と並べ立てるしかないだろう。私が日本にいた頃(86年まで)は花粉アレルギー以外のアレルギーはあまり聞いたことがなかった。アメリカに来てからやたらいろんなアレルギーについて聞かさせるようになったのだが、これはアメリカで特にアレルギーが多いのか、アレルギーへの意識が高いのか、それとも日本でもアレルギーの種類が増えているのか、いったいどうなんだろう?

990812
 ナボコフの『ロリータ』を読んでいる。少女に眠り薬を飲ませてもて遊ぼうとかいうことは小学生のときに自分も考えたので、中年のハンバート氏に感情移入してしまった。近くにいる彼女に知られないようにそっと手淫をするというのも思春期にやった経験がある。ハンバートは私くらいの年齢でそれをやったわけだが、私の感じではそういうのはこっちが幼くて、恐怖に満ちているときにはえもいわれない快感だけど、中年になるとそれほどおもしろいとは思わない。10代の頃には30過ぎの女性に魅力を感じるなんてことは考えられなかったけれど、46歳の今では30歳はかわいいらしくみえる。ナボコフじゃないけど12歳の少女もかわいい。楽しめる範囲が広がったわけだ。80歳になったら60歳の女性にういういしい魅力を感じるのだろうか?
  990811
 昨夜、近所の映画館で『Matrix』を見た。ほとんど全ての人間が知らないうちにvirtual realityで生活しているという設定。virtualだからその気になればスーパーマンになれるし、スプーンまげもできる。これと似た設定としては、30年以上も前に、フィリップKディックの『ユービック』が物理的現実からvirtualに知らないうちに移行した人々の経験を書いている。スタートレックのホロデックを使ったエピソードにもこういうのがある。物理的現実だと思っていたら実はホロデックだったり、そこから現実に戻ったと思ったらそこもまた別のホロデックだったり。我々がこういうのをわりとすんなり受け入れるのは、夢の中ですでに異なる現実の間を行き来しているからだろう。それにしても『Matrix』の乱射シーンはすごいなあ。壊れるのは建物が主で、人間のグロテスクな死に方はあまりみせない。何か爽快な感じが残ってしまう。ただアメリカでは高校生でも(子供でも!)簡単に銃が手に入るから、こういう映画が実際の乱射事件の引き金になるんじゃないかと怖くなる。
 ユング派のセラピストのJoelleと2度目のセッション。最近見た夢と現実の世界で気になっていることとの、自分でも気付かなかった関連を指摘してくるのはさすが。ユングは20代のころ好きでよく本は読んだが、本格的な訓練を受けた人に分析を受けるのは初めて。1時間15分で95ドルは痛いが、夢は僕にとって大事なガイドだから、夢と現実の間のコミュニケーションを活発にできれば納得できる出費だ。シャーマンのスーザンと平行して会うとなるとちょっとやりすぎかなあ。でもあっちも捨てがたい。シャーマニック・ジャーニイの方は最近煮詰まっているが、Plant Spirit Medicineをやってもらうと、たしかに落ち着いていい感じになるから。
 翻訳のペースはまだ4割程度。7月に4週間休んだ後だし、旅行疲れもあるから、ペースが自然に上がるのを待つのが得策だろう。どかんとでかい仕事が入ってくればトップギアになるだろう。

  990810
 昨日子供たちを迎えに行った帰りに喫茶店Cosmopolitanに寄って、明日美と元太が互いにペースをあわせてジンジャーエールを飲み、クッキーを食べている間に、ラックに置いてある雑誌を拾い読みした。Economistのメイン記事は遺伝子操作作物に対して特にヨーロッパで強い反発があるという話。アメリカで反応がにぶいのは、食品のラベルに「遺伝子操作作物使用」と断ることがヨーロッパでは義務づけられているのに、アメリカではそんな法律がないから、消費者は自分が買っている食品に遺伝子操作作物が使われているなどと始めから知らないからだそうだ。記事の筆者は反対論を迷信的だと馬鹿にした書き方をしている。たしかに公表されている情報から判断すれば、特に心配することはないということらしい。ただ、筆者も認めているが、政府はこういうことに関してネガティブな情報をもみ消す傾向がある。
 窓の外はまだウイキョウが花盛り。いろんな種類の蜂が忙しく飛び回っている。蜜蜂、アシナガバチ、小さなハエみたいなのもたくさん来ている。花の間に小さな網を張って犠牲者を待ち受ける蜘蛛。蜜蜂と同じ位の大きさで毛深くて胸が白っぽく、胴体が黒いのはなんだろう。アメリカ人はbumble beeとかいってるみたいだ。窓のこっち側ではさっきまで鼻面をガラスにくっつけて蜂達の動きを追っていた猫のノリコがねそべって腹を規則正しく上下させている。ノリコはだいたい黒いが腹の方や足の先が白いので、はじめ海苔巻と呼ぼうかと思ったが、ちょっとかわいそうだからノリコにした。もうすぐ1歳になる。
 喫茶店においてあった無料の雑誌『Alternative』に、刑務所における強姦について書いてあった。強姦といっても女性ではなくて男性がやられるのが大問題だという。強姦された男性は、出所後に恥辱をそそぐために他の女性や男性を強姦したり殺したりすることがあるという。さらに、刑務所管理者そのものが政治犯などをこらしめるために他の囚人をけしかけることがあるとまで書いてある。筆者はベトナム反戦デモで捕まって、服役中に強姦された経験を持つ。このとき、看守は「こいつは子供に性的いたずらをしたんだ」とうそをついて、他の囚人が彼を襲うようにしむけた由。

990809
 『光のロボット』(バリントンJベイリー、創元SF文庫)という本を最近読んだ。これは意識を与えられたロボットと意識を得ようとがんばるロボットがからむ話だが、その中に意識を封じ込めた円筒、というのが出てくる。意識というのは局在するものではない、と私は思うので、意識がそういう円筒に収まるという考え方には違和感がある。それにしても、意識を求めるロボットというのは、悟りを求める仏教徒みたいだ。意識を持たないロボットは意識とはどんなものか知らないし、悟っていない人は悟りの状態がどんなものか知らずに、それでもそれを希求する。意識も悟りも光のメタファーで語られるというところまで一致している。
 朝、子供たちをリクリエーションセンターまで連れていった帰りにうちの近くの交差点で交通事故の後始末をしているのを目撃。いったんうちの前に車を止めて歩いて現場に行ってみた。南北に走る39番通りの南方向の2車線のうちの東車線にボルボが南西を向いて止まっている。前部の両ライトがつぶれて車体も左右均等にへこんでいる。ボルボの前方数メートルには北方向の2車線のうちの西車線に乗用車と小型トラックが止まっていて、両方ともボルボと同じように前部がへこんでいる。乗用車とトラックは玉突き衝突だろう。ボルボは多分西から来るリンカーン通りから右折しようとしたのだろう。不思議なのは、破損の程度から見てかなりゆっくり走っていたと思われるのに、ボルボと乗用車は正面衝突したみたいなこわれかたをしていることだ。普通なら避ける動作をするから、右か左の片側だけが破損するのだが。南方向の車線が2本あるのにどうして北方向車線までふくらんでしまったのかな? レッカー車に引き上げられるボルボを歩道から眺めて泣きべそをかいている女性は多分ボルボの運転者だろう。いったいどういう具合に事故が起こったのか聞きたかったけど、声をかけるのがはばかられた。なぐさめの言葉でもかければよかったが。乗用車の運転者らしい女性は路上で警察官と話していたが、やはりべそをかいているようだった。

990808
 昨日、おとといと珍しく雷雨だったが、今日の昼近くなってやっと夏らしいからっとした天気に戻った。ポートランドは冬が雨期で夏が乾期、という違いがはっきりしている。8月は1カ月雨がないなんていうこともある。
 5週間ぶりに禅センターに行って日曜朝の坐禅と読経。お経は英語である。Harmony of sameness and differenceというお経は日本語ではなんというのかな? お勤めの後は、「修行を仕事等の日常生活にいかに活かすか」という題でディスカッション。センターに行ってサンガの人達と一緒にいるときはいい気持ちだけど、自分の職場に戻ると、テレビばかり見て金だけ欲しがる同僚に辟易する、と言い出しっぺの宝密(正式の弟子になるとこういう名前がもらえる)が発言。ベスは「エイズで死にかけている人の世話をするときは本当に静かな気持ちで無私の奉仕ができるけど、うちに帰ると、『うるさいわね! 瞑想してるのがわかんないの!』とかどなってしまう」と笑う。ところで、この禅センター(Dharma Rain Zen Center: 法雨寺)のサンガは200人くらいの規模で、日曜に来るのは50人くらい。その中で日本人は私1人である。
 私は「仏教では自分の意志ですることと、外部の事情で自分に起こることとの間に区別を立てるな、という。これはすごい知恵だと思うけど、実際にはとてもできない。私は自分で始めたことには責任を持とうとするが、外部の事情で自分に強制されたことに責任を持つ気にはとてもならない。」と言ってみた。
990807
 昨日は広島の原爆の日だったが、ここはアメリカだし、うちは新聞も取っていないのでなんの反響も聞かなかった。アメリカで原爆のことを言及するときは「戦争を終結するために投下した」あるいは「投下によって、百万の米兵の命が救われた」とかいう表現を使う。つまり、大きな善のための小さな悪、という感じでとらえているのだ。個人的には「広島の原爆博物館で人生観が根本的に変わってしまった」というアメリカ人もいるが。アメリカ政府は戦時中の日系アメリカ人の強制収容については数年前に公式に謝罪したけれど、原爆についてはクリントン大統領も「あれは正しかった」などど言っている。
 アメリカにいると、日本人の心が負け戦によっていかに屈折したかわかる気がする。多くのアメリカ人が持っている自国に対する自然なプライドはちょっとおっかない気もするが、すがすがしくもある。日本で私と同年輩の小林よしのり氏が『戦争論』を書いたのは、この心の屈折を正そうとする意思の表れだろう。ヨーロッパ人によって文化と生活を破壊された南北アメリカ、アフリカ、インド、オーストラリアの人々のことを考えれば、非白人国で唯一ヨーロッパに対抗して戦える力を持っていた日本が無理を承知で戦った心情は理解できる。

990806
 昨夜は禅センターに行って、10月の日本旅行の参加者のための日本語クラスをやった。別れの言葉というのはけっこうむずかしい。「さようなら」が標準的だけど、これはなんだかもう会うことがないみたいなひびきがある。「じゃあね」ではあまりにくだけすぎているし。「さようなら」はもともと「そういうことなら」、という意味だろうから、これだけでなんで別れの言葉になるのかわからない。「そういうことなら、ここでお別れしましょう」という文の後半を省略したということか。別れというのは例え永遠の別れでなくてもなにか心理的に不安定な瞬間だ。
 日本に行ったことのある女性は、レストランでプラスチックの見本のある料理しか注文できなかった、と嘆いた。メニューが読めないし、日本語がしゃべれないからウェイトレスに聞くわけにもいかない。なるほどね。でも日本は見本が置いてあることが多いからまだいい。アメリカのレストランにはそんなものはないから、メニューが読めず、英語がしゃべれなかったら、あてずっぽうで何か指し示して注文するか、他の客が食べているものを見て「あれがほしい」と言うくらいしか手がない。
 人に教える立場だととにかく自分からどんどんしゃべっていくしかないので、発言に弾みがつく。普段は考えていることが口に出る前に止めてしまうことが多い私も、2時間近くのクラスの後では考えると同時に口が動いておもしろい会話ができた。一時的に性格が外向的になってちょっと別人みたいだ。

990805
 7月中3週間半旅行している間に、ウイキョウが仕事部屋の窓を覆うほどに繁茂した。数十本の枝の各々の先に20本余りの花柄が上方向に放射状に出るが、小さな黄色い花はほぼ平面上に配列される。香料なので、スギナみたいな葉も、花も、そしてもちろん実も口に入れて噛みしめると清涼な風味がある。
 当地オレゴン州ポートランドは園芸がさかんである。気候がいいのでとにかく何でもよく育つ。collared greenというのはブロッコリみたいな植物だが、花でなくて大きくうちわ形に育つ濃い緑のはっぱを食べる。3年前に種をまいたら、以後毎年勝手に芽を出してくる。古い株も冬を越して生き残るので、ちょっとした薮みたいになる。