オレゴン日記---2000年4月〜6月
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[日記目次]
000706(水)
隣の家に新しく越してきた一家はキューバ出身で、夫婦に男の子2人(12歳と7歳)。夫の方は家主が家の塗装に雇っていた男性だった。今回も家の中を修復するということらしい。彼は英語はかたこと。元太はさっそく男の子とポケモンカードをやり取りしていた。
ボールダー時代の知り合いのホール一家が来た。明日美とナタリーは今でも毎年夏に4人の友達がやるサマースクールで一緒になる。リッチは携帯電話のアンテナを設計する会社に勤めている。昨年日本で研修会をやったそうだ。
000704(火)
6/25はサラの卒業式だった。アメリカの卒業式というのは行ったことがなかったので、なかなかおもしろかった。アメリカ人は卒業式に関しては日本人より一般に真剣、というか、遠いところから家族や親戚、友人がやってきたりする。サラの場合、母親、生母、父親、弟(+GF)、まま弟(+GF)が来た。このうち父親以外はうちに泊まったので、地下室はキャンプみたいになった。
卒業式にはいろんな人が話をしたが、中国医学の教授が、「ハートの中心を忘れないこと、外の世界の誘惑に引きずり回されないこと、と自分で学生に言っていながら、つい忙しさにかまけて自分自身が体をこわしてしまった。」と反省していたのがおもしろかった。3児の母の医者が自分の経験に基づいていろいろ実際的なアドバイスをしていたのがよかった。「子供と自分の勉強を両立させることができたのなら、医者の仕事くらいこなせます。」という言葉は心強い。
先週は、Punnaji Maha Theraとかいうスリランカの坊さんの講義がダルマレインであった。月曜の夜から木曜の夜まで4回も聞きに行った(初回はサラの卒業式だったから行けず。)大乗仏教よりも前のお釈迦様の頃の教えに基づいて修行してきた人だそうで、アメリカの曹洞宗しか知らない私には興味深かった。
アメリカ人の聴衆も、そして私も、理性的な思考よりもむしろ理屈は通らないがふっと感じるようなこと、つまりinner wisdomとか直感とかいったことに注意を向けることが重要だと感じているのだが、Punnajiは理性に対して深い信頼をよせている。彼は「感情は盲目の、機械的な反応である。感情を克服することが重要だ。感情的になっているときにこねる理屈はたしかに信頼できないが、それは理性そのものの欠陥ではない。感情から自由になった静かな心境で初めて本当の理性が働くのだ。」というふうに話を進める。
「感情というのは、認知された何か(経験)に好悪の色を付けて素早く反応する、動物的な仕掛けである。動物の場合はこれでよかった。ところが、この色づけが人間世界の現実に対応しないために、我々は苦しむのだ。」といわれると、私としては自説の「バンド心性と大集団心性」を思い出してしまう。大集団社会ではバンド心性が邪魔になることがある。
今日は独立記念日。近所の人達と少し花火をやった後、自転車で川岸まで行き、川の中の船から打ち上げる大型花火の饗宴を楽しんだ。でっかい花火を間近に見るのはコロラド時代以来だから6年ぶり以上ということになる。元太がギアシフト付きの自転車になったので、かなり遠くまでみんなで行けるようになったのだ。
000622(木)
子供たちが水泳レッスンをやっている間に、丘の上の学校の舗装運動場でローラーブレード。なめらかだし、70m四方くらいあって気持よく滑れる。
先週の金曜はCape Lookoutという海岸に子供たちや友人家族と行ったのだが、そのときローラと広い駐車場で1時間以上滑りながらおしゃべりした。歩道や車道で曲がり角や車の心配をしながら滑るよりやはり広いなめらかなところでゆったりと滑るの方がずっと気持ちいい。
000621(水)
きのう5年ぶりにテニスのゲームをやった。相手はローラ。手首も肩もそれほど痛まず、ゲームを楽しめた。コロラドにいた頃は殆ど毎週ダブルスをやって、その他にシングルスの試合をやっていたのだが、ポートランドに来てからは肩の痛みと相手がいないことと、それに第一忙しくてテニスみたいに時間のかかるスポーツはできなかった。
000606(火)
元太のサッカーチーム分裂問題で、新しいチームのコーチに電話。古巣のチームのコーチは裏切られた思いで落ち込んでいるので、事情を説明してやってくれと頼んだ。誰も、彼を陥れようとしたわけではないのだが、結果的に、ある日気がついたら5人のチームメンバーがいっしょに退団するような形になってしまったので、彼ががっくりくるのももっともだ。新チームのコーチは、自分の息子以外は向こうから来たのであって、自分がリクルートしたのではない、という。まあ、どっちにしても、せっかく同級生でやっているのだから、2年後に11人制を始める頃にはまた1つのチームになってほしい、と伝えておいた。
過去3週間くらいで、プロセスワーク関係の日本語の本を3冊読んだ。『ドリームボディ・ワーク』(アーノルド・ミンデル、春秋社: 原著はWorking with the dreaming body)、『自分探しの瞑想: ひとりで始めるプロセスワーク』(アーノルド・ミンデル、地湧社: 原著はWorking on yourself alone)、『プロセス指向心理学』(アーノルド・ミンデル、春秋社: 原著はRiver's Way)。
000603(土)
このところ、書くのがおっくうだ。手書きの日記はほとんど絵日記になっている。
000525(木)
先週の土曜日はダルマレインで1日ワークショップ。問答といって、自分の気に入った仏典の一節をみんなの前で読み、質問を受けるというセッションを初めてやった。Do not steal. Honor the gift not yet given.というのでやったのだが、これは自分の欲しい物が手に入らないときにマントラのように私が唱えるやつだ。
質問に答えられなくて絶句するのじゃないかと恐れていたが、そんなことはなかった。みんな心優しい質問をしてくれたようだ。それに、これは通訳と似た状況だ。何かいわれたとき、数秒で応答しなければならない。通訳と違う所は、他人の発言を訳すのではなく、自分の中から出てこようとしている何かに言葉を与えようとする、というところだ。
慈光が「もし私が貴重な贈り物を差し出したら、あなたはどうするか?」と質問したのがずきんときた。そういうとき私は内心うれしいのに外面はぶすっとしていたりする。心はうれしいのに体は別の反応を示す、といってもいい。こういうとき、これを意のままにならない体が問題である、というふうに見ずに、その時体が何をいいたがっていたかを感じとろうとする方向をこのところ模索している。
普段私は思考と同一化しているのだが、思考ほど不安定なものはない。ところが、体の持っている志向性のようなものはもっとずっと安定している。思考と体の志向性が一致していると考えていることがなめらかに表現されるが、思考が体の志向性を無視して飛んでしまっていると、言葉が出なかったり、ボディランゲージが言葉と矛盾したりするのだろう。
今日は元太とバスでダウンタウンに行って、ローラーブレードを買ってしまった。145ドルは高いが、このところランニングシューズを買ってないし、もう激しく走ることはしばらく(あるいはずっと)できそうもないから、その代わりと思えばまあ納得できる。売り場の青年は21歳で、すでに膝が痛くて走れないといい、「ランニングは体に良くない」と断言するので、よくきいてみたら、まずスキーで左膝が360度ねじれて筋を全部やられて軟骨も70%ほどなくしたという。もともと陸上で短距離をやってた由。その他にもマウンテンバイクで肩を痛めたり、大怪我をけっこうやっている。こういう人は痛みの感覚がにぶいんじゃないかと思うことがある。しかしまあ好青年で、おもしろい会話だった。
000524(水)
先週の金曜日はアーノルド・ミンデルの講義に初めて行ってみた。2時間半で34ドルは高いな、と思ったが、彼が3m先で禅の十牛図について話したり、ワークのデモンストレーションをやるのをたっぷり楽しめるのだからそれだけの価値はある。
プロセスワークがなぜおもしろいかというと、昔から好きだったユング心理学から派生して、夢で出てくることと身体症状や無意識な体の動きとの関係をみつけていることだ。自己は世界である、とか、まるで禅の内山老師ばりの発言も彼の本の中にはある。
とはいえ、ちょっとグル的な要素もあるなという感じはした。だいたい、ドイツ人と日本人の心酔者が多いというところなどラジニーシと似ている。マスターコースの10人のうち5人以上が日本人であるという。ドイツと日本は、ヒトラーと天皇という絶対的なリーダーを崇拝した点で、やはり絶対的なグルに帰依する傾向が強いみたいだ。参加者の発言にあまり鋭さがないのは、例えばダルマレインの法話の後の質疑と比べて対照的だ。ミンデルの発言には共鳴できるところがたくさんあるのだが、なんでこんなに無批判で思考停止状態みたいな人達がまわりに集まってきたのか、気になるぞ。講義は彼の独り舞台で、ほとんど空回りしているような感じさえあった。そういえば、ラジニーシのおじさんも自由自在主義者だったな。流派にこだわらず自由にやるリーダーの方が伝統に従うリーダーよりも独裁的になるという感じがある。頭を下げる相手がいないと独裁の歯止めがないからなあ。
000517(水)
先週末(土、日、月)はサラがワークショップで朝から夕方までいなかったり、母がいたりで忙しかった。翻訳もたまっている。土曜の元太のサッカーは上出来。チームとしてずいぶん進歩した。サイドライン沿いに攻めてセンタリングなんてことをやる。しかし現実にはキック力が足りなくてあまり効果がない場合もある。元太みたいにドリブルがうまいのにはサイドラインの後ゴールライン沿いにゴールの近くまで攻めさせるべきだと思った。
土曜の夕方、明日美と元太をゾーイーの誕生日パーティに送り出して、サラ、母とカッパ屋で夕食。このときのチップを5ドルにするか6ドルにするかで後でサラとけんかになった。
000509(火)
シャーマンのスーザンとのセッション。日記を絵日記にすることで小幹夫が理解できるようにしたことを説明。彼女とのセッションはだいたい自分のやったことを話して、彼女に聞いてもらうのが主な目的だ。
000508(月)
朝、郡の裁判所に行って、Grand Juryの証言の通訳をした。ルームメートにクレジットカードを使われた学生。彼女はけっこう英語をしゃべるので、私はほとんど見ていただけ。事実認定だけなので、20分くらいの簡単なものだった。検事補が進行係りで、後は一般市民らしい陪審の人達。人のカードを使ってその人の住所でないところに送ることもできるらしい。ただしその場合、その人の住所に通知が行く。今回もそれで本人が気づいたのだ。こういうことをポートランドでやるのは始めてで、裁判所の建物とか、中の様子など、おもしろかった。25人くらいの判事がいるらしい。私の宣誓をやってくれる判事をみつけるために、検事補と建物の中を歩き回った。
その後、二郎氏とパイオニアプレースで待ち合わせ。彼に借りた『なまけものの悟り方』等を返し、私が貸した数冊を返してもらう。このビルは小さなデパートみたいな感じだが、中央が吹き抜けになっていて、真上の空に向けて硝子窓が開いている。今度道の向こうにも増築されてそっちは一番上にTodaiという日本レストランができていた。昼食はバイキングスタイルで13ドルといわれて2人で顔を見合わせ、結局止めたが、寿司を始め蟹とかけっこう高いものも含めて食べ放題らしい。
うちに帰って昼御飯を食べ、彼に数冊うちの本を選んでもって帰ってもらった。こうして相互利用すると本も読まれ甲斐があるだろう。今回彼に借りたうちでは、アーノルド・ミンデルの『ドリームボディワーキング』がおもしろい。ユングが夢のメッセージを理解しようとしたのをさらに進めて、病気や痛みのメッセージを理解することで個性の展開をめざすというもの。痛いところを余計痛くなるように押していると、ある時点で突然明確なイメージが浮かんだりする。それがその人の人生にとって大事なものになる、という感じ。ミンデルの率いるプロセスワーク派はポートランドを拠点にしていて、二郎さんも修業中なのだ。昔ラジニーシのグループでやったようなことの発展形みたいで興味がある。プロセスワークは人種差別とか、性差別とか、社会集団同士の関係も扱う。ちょっとカルトっぽいという批判もある。二郎氏によるとユング派のセラピストは2人以上を一度に相手するのは危険だと見ているという。セラピストも合わせて3人以上になると、集団心理が強くなって収集がつかなくなるのかもしれないと思った。集団を相手にしたサイコセラピーというのはカルトに近い、ともいえるかな。
000507(日)
朝、ダルマレインでお釈迦様の誕生を祝う儀式。うちの一家も来た。母も。全員が般若心経を唱えながらゆっくり歩いて、一人ずつが花で飾られたベビーブッダに甘茶をかける。
午後はユニタリアン教会にも行った。母は英語が聞き取れないからこれは退屈したようだ。
000506(土)
明日美はオレゴン作文フェスティバルで一日作文のワークショップ。全校から2人だけ選ばれた由。彼女も含めてこのごろ子供たちが読む本はファンタジーが多い。最近大ヒットの『Harry Potter』シリーズを始め、魔法使いとか竜とかがやたら出てくる。僕らが育った頃は鉄腕アトムが「科学の子」と歌われたように、ファンタジーもSFの衣を着ていた。ゴジラにしても、恐竜が放射能で甦ったことになっていた。このごろのファンタジーはそんな衣はなくて、まっこうから魔法が出てきて、それで子供たちはちっとも違和感を感じないらしい。科学というものが子供の夢をはぐくむものでなくなったということか。15年前に高級測定機器のメーカーの技術者が「昔はユーザが動作原理を学びたがったが、今のユーザはどのボタンを押せば結果が出るのかしか興味がない。」と言っていた。機械が複雑になって、そもそも動作原理を理解することがむずかしいのと、ユーザフレンドリーになって使いやすいから、ユーザの側からは機械というより魔法のような感じになってきているのかな。
元太のサッカーの試合に母も来た。元太はしばしばセンタリングやアシストを試みて、けっこううまくいっていた。相手が弱いからテキスト通りにできるということもあるが。以前はまずパスをしなかったクリフまでが先週から試合中にパスを試みるようになった。みんなだんだん成長していく。
000505(金)
母を迎えにポートランド空港へ。22日までの滞在。2年半ぶり? 私は去年の10月日本に行ったから半年ぶり。しかし久しぶりに見ると小さい。母は母で、機内でアメリカ人が大きいのにいまさらながらあきれたという。身長約150センチ、体重45キロだとそう感じるか。私は175センチ70キロくらいだが、母とは逆に、去年成田についてターミナルまでのモノレールに乗っているとき、まわりの集団から自分が抜きん出ているように感じてとまどったのを憶えている。平均的なサイズの違いというのは確実にあるようだ。アメリカにもずいぶん小柄な人もちゃんといるんだが、180センチ以上、90キロ以上という感じが多いことも確か。
うちの前のシャクナゲが母を待っていたかのように満開。ツツジより花も木も二回りくらい大きい。左側が薄いピンクの花、右側が濃いピンクの花を付けている。
000504(木)
フルートの調子は確かにいいようだ。Cの音が出やすい。それでも例えばソド、とやるとドがうまく出ない。ミレドなんかだと簡単に出るが。
000503(水)
翻訳の方、今年はわりと切れ目なくやっているせいか、疲れが出てきた。締め切りを延ばしてもらった。午後フルートのレッスン。吹くときにあばら骨を張り出したままで息を吐き続けるのだという。低音のCのキーは触れただけで穴が閉じるようでないといけない、といわれた。帰って調節し、パッドをそこだけ新しいのに変えてみた。弾性包帯でくるんでキーを閉じたままの状態にした。
000502(火)
母が5日に来る。母をどの医者に見せるかでサラと口論。というか攻撃されるのはいつも私という感じがする。サラは少しでも非難されていると感じると激昂する。なんか疲れるやりとりだ。もっとも、後になるとあっちはけろっとしていて、こっちはまだ言われたことが気になっているというケースが多い。戦争と同じで、やられた方は憶えているが、やった方はすぐ忘れる。と思っていたら今度は明日美が爆発。今日パスポートを取りに行くのに、本人を連れて行かなければならないのだが、明日美は今日は宿題を終わらせなきゃいけない、といってこれまた私に当たり散らす。
領事館では、子供の名字をOgushiからOhgushiにしたから私のも変えなければならない、と言われた。今でも併記してあるから大丈夫だろうと思うのだが。そういえば役所というのもあっちから言いっぱなしでこっちの言うことを聞く姿勢はあまりないみたいだ。
ローレルハースト公園の石垣で苔を種類、それと潅木の芽生え、楓の芽生え等を採取して、虫のケージに植えた。見た目もきれいなものにしたい。
000501(月)
午後明日美をバイオリンのレッスンに連れて行った。レッスンそのものはパスして近くの公園で草や木をスケッチしたりしながら芝生の斜面にねっころがっていた。どうもレッスンに付き合っていると気がめいってくるのでかんべんしてもらったのだ。
明日美をバレーの練習にとどけて、キャレンの家に元太を迎えに行った。Ages of Empire IIとかいうコンピュータゲームをやっている。1000年くらい前の設定で、舟や武器を調達して戦争をするようなゲームらしい。ビジュアルはけっこうきれいだ。キャレンと少し話したところでデイビッドという彼女の親友のBFがきた。母親が癌で余命いくばくもない由。私は父が死んだときのことを少し話した。父の死の方が母よりは耐えやすいと言ったら、彼は「自分はどちらの場合もかわらないと思う。」と言い、そういわれると私が父を亡くしたときそれほど悲しいと思わなかったことが気になってきた。私は自分を見ないようにすることで、人も見ないようにしているようなところがある。そうすれば死が耐えやすい、という幼い頃の知恵だ。でもこれだと生きてる甲斐があまり感じられないという欠点がある。
000430(日)
参禅で玉光に「道元の本はわからない」とこぼした。「あれは子供が親の会話をなんとなく聞いているような感じで読めばいい。理屈で理解しようとしても跳ね返される。」と言われた。午後リッチモンド小学校の校庭で元太とサッカー。校庭の半分を使った一対一。ニレの木が15本くらい校庭の東と南、それに西の一部を囲っていて、プレーの合間に芝生にひっくり返って羊雲の空を見るのはいい気持ちだ。近所の元太と同い年のBJが途中から参加したが、ちょっと走ると息を切らしていた。元太はけっこう鍛えられているのだな、と思った。
000429(土)
朝9時に元太の試合、12時20分に明日美の試合。両方見たらくたびれた。それぞれ往復だけで40分くらいかかるし。元太のチームメートのニックは、ボールを持つとけっこういい動きをするが、仲間がボールを持つとそいつの後をついて回るのでじゃまになる。元太はゲーム後、「ニックは僕の持ってたボールを取った!」と憤慨していた。コーチをしていると、個人技とは別に、コーチの言うことを自分のプレーに取り入れる子供と、いくら言ってもいつも同じことをする子供がいることに気付く。でも今日は、いつもは個人技だけでゴールをめざすクリフがなんどかパスを試みていた。うるさく言ってればいつかは聞くということかな。
明日美はバイオリンをフルサイズのに買い換えた。バイオリンの先生が一緒に店に行ってくれた由。古いバイオリンを下取りしてもらって、差し引き870ドル。高いけど確かに音はいい。中国製で、中程度の品らしい。
夕方は元太のクラスのファミリーボーリングパーティ。ボーリングは過去25年間に10回くらいは行ったかな。いつもだいたい似たようなスコア。今日もいい方が132だった。スピードを落とせばスペアもたいていとれる。けっこう興奮して楽しんだ。サラは124だったからいい勝負だ。グレッグの父のボブ(?)が200も出しているので感心した。2、3年前まで本格的にやっていたそうだ。アベレージは185だと。マックスの父親のピートが学生時代にサッカーをやっていたことを初めて知った。この人は聞かれないことには答えない静かな人なのだ。今まで私が知ったかぶりで言っていたことをどう思って聞いていたのだろう?
000428(金)
今週は3回ほど夜庭に出て芋虫を取った(月曜参照)。殺すのもいやなので、葉っぱを入れたプラスチック容器で飼ってみたのだが、2日もするとみんな死んでいる。自然の環境ではすごい生命力なのに。食べ物があるのに死ぬというのはどうもわからない。ケージの中ではもう少し長く生きるが、それでも一週間くらいで死ぬようだ。
000427(木)
歯医者でクリーニングしてもらい、検査もした。左下の犬歯の奥の歯は斜めに出ていて、最近しみると思ったら根のところで虫歯になりかけているという。すでに大きな詰め物がしてあるから、かぶせることになる、それには860ドルかかるという。まいったなあ。前歯のブリッジも、裏側に少し透き間があるから虫歯になっているかも、と脅かされた。こっちは2本プラス義歯1本でどのくらいになるか、2000ドルくらいかな。アメリカは医療費が高いなあ。保険が高くてとても入れない。
000426(水)
夢分析のJoellさんに会う。話が日本とアメリカのグループ心理の違いに及んだ。私は日本型社会を外骨格社会、アメリカ型社会を内骨格社会と言ってみた。この2つだけが国というレベルで人間を統合することができている。日本とアメリカ(カナダ、オーストラリアはこれに準じる)と、後ヨーロッパのイギリス、フランスあたりを除くと、他の国々は形式的には国でも、実際には中の部族間の対立がひどくてとてもまとまっているとはいえない国が多い。日本は型に従うことで集団を維持する。アメリカは原理(平等、自由、民主主義等)によって集団を組織する。日本では個人の行動が型から外れていればそれだけで非難に値する。アメリカでは自分の行動をアメリカの信奉する原理にのっとっていることを証明できれば、その行動自体が前例のないものでも許容され、奨励される。だから日本では弁明ということが許されず、アメリカでは弁護士が流行る。日本人は、個人としてはとにかくまわりの人に同調しようとする。だから外から型を与えられるとその中にすんなりおさまる。ただし、型を批判するということができない。とまあここで書いたことはそのとき彼女に言ったのとはまた少し違っているが、とにかくこんなことを話しているときに、「それで、あなた自身はこの構図の中のどこにいるの?」と聞かれて絶句した。どこにもいないのだ。
数年前、初めて会ったあるカウンセラーに「君はinvisible(不可視透明)になるのがうまい」といわれた。大学院生時代に後輩から「大串さんには性格がない!」と喝破されたこともある。自分の言動から、大串幹夫という固有の人間の色と臭いをできるだけ消そうとするところがたしかに私にはある。自分という人間を特定の集団の中の構成要素として定位するということが私にはとてもむずかしい。自分に興味がない、といってもいい。『Care of the Soul』という本はその私の死角を見せてくれているような気がする。実際に自分がやっていることへの冷淡さ、ということ。
000425(火)
久しぶりにプールに行った。シャーマニズムで最近知り合った新しいスピリットが半水棲の動物なのと私の潜り好きとは関係していると思う。潜水で25mというのを一回は必ずやるが、そのときもむりをしないように注意した。数字的な目標を追い求めるのはsoulfulではないと思うから。最近『Care of the Soul』にかなりはまっているのだ。
プールに行った後も、なにをしたらいいのかはっきりしないいらいらした気持ちが続いた。はっきりしないことにいらつくことが余計事態を悪くするのだと思う。
000424(月)
自分の体を使ってちょっとした実験をするので、一日空けてサラに一緒にいてもらったのだが、実験の体への影響は思ったよりずっと軽かったので、午後庭に毛布を敷いて、南端のしげみのかげでねっころがって本を読んだりした。
夜、頭に懐中電灯を着用して、芋虫探し。昼間は草の陰に隠れて、夜になると1mくらいの茎の上まで登って、私のよく食べる菜っ葉(十字花植物)、イチゴ、ハウチワマメ等、いろんなハッパを食い荒らすので、サラがイチゴの苗を追加したのを機会になんとか手を打つことにしたのだ。あっさり30匹くらいつかまえた。昆虫園のケージに入れた。殺すのもちょっと気が引けるので。子供の食べ残しのグレープフルーツにたかっていた。植物性のものならなんでも食べるみたいだ。
000423(日)
ダルマレインで坐禅。参禅といって、一人ずつ先生の部屋に行って数分間一対一で質疑応答することができる。行こうか、行くまいかとよく迷う。たいていは、呼び出しがかかったときまで決めないことにしている。頭で行こうと考えていても、体は動かなかったり、特に質問することもないな、と思っているのに気がつくと立ち上がっていたり。頭というのは動きが速いから、たくさんのことを知っているが、体の方は別のペースで動いていて、心身が一致しないことは良くある。
今日はイースターの日曜だから、法話を聞かずに近所のパットの家のイースターのブランチ(遅い朝食)に行った。昨日色を付けた茹で卵を親達が庭にいろんなところにかくしたのを子供たちが探すエッグハントはもう終わっていた。パットはrecumbent bicycle(後ろに寄りかかって足を前に突き出してこぐ自転車)を作って売る仕事を2、3年前に始めた。普通の自転車より腕や背中が楽だし、風の抵抗も少ないから、将来の長距離用自転車はみんなこれになるのかもしれない。妻のミシェルに12年ぶりに子供が生まれたりして、自転車作りもなかなか大変だと思うが。
パットと彼の隣家のマーク、それに私は3年前から2年前にかけてSatoriという初心者向けの男性コーラスグループで一緒だった。2年前に私がやめ、パットも赤ん坊が生まれるということでやめた。今日聞いたらマークも休養しているという。私にとってははじめて人前で歌うという経験は貴重なものだったし、ソロも挑戦したりしておもしろかっただ、練習が夜でえらくくたびれるし、ダルマレインの水曜のクラスとかちあうし、それに高音を出すと喉が痛くなるといったころもあって断念した。
000422(土)
ここ2週間ほど、Thomas Mooreの『Care of the Soul』を読んでいる。ナルシシズム、嫉妬、羨望、憂鬱といった一見ネガティブな感情はかえって魂への回帰の扉になりうる、ということを実にうまい文章で書いてあるので、なるほどなあ、と感心してしまう。
朝は少しゆっくり。明日美の試合が11時、元太のが12時。それぞれのフィールドは車で30分くらい離れている。明日美のを少し見て、後ろ髪を引かれつつ元太だけ連れて川の西岸まで。元太のチームの今回の相手は初心者で、元太は始めの数分で2得点。ハーフタイムに元太が木に登り、他の子供たちもすぐまね。「他の子供がいるところでは高く登ってはいけない!」と注意した。
私のサッカーのコーチスタイルが放任的なので、こういうときにあまり言うことを聞かない場合がある。
夕方は子供たちを近所の体操教室にあずけてサラとデート。これは初めての試み。とにかく夫婦2人でゆっくりできる時間を作らないと、コミュニケーションがぎくしゃくしてくる。テキサス風バーベキューのブリスケットのすごく甘いのを食べた。その後うちに帰って2カ月ぶりくらいでVoyagerを見た。私たちがフォローしている唯一のテレビ番組。
000421(金)
絵日記というのは、言葉で書くのと違って、一目でぱっとわかる。もっとも、本人以外は描かれているものが何だかよくわからないことも多いだろうが。こおろぎを観察しながらじっくり描いてみた。後で見ると、とても親しみがわいて、生きているみたいに見える。
000420(木)
カッパ屋でサラと昼食。午後元太の新しい(中古の)自転車の練習。ブレーキがハンドブレーキになったり、変速ギアがついたりしているし、今までより大きいのではじめまごついていたが、そのうちかなりのスピードでこぎ出した。ローラーブレードで滑っている男がいて、追いかけたけど元太を連れてでは追いつかない。あれは私の買った25ドルのやつではいくら技術があってもできない芸当だと思う。やっぱり100ドルくらいのを買おうかな。
000419(水)
朝、サラと2人で明日美の行く中学まで行って、思春期の子供たちがちゃんと育つための条件みたいなことの講演を聴いた。女性の場合、特にやせなければいけないというプレッシャーがすごいらしい。「テレビや映画に出てくる女優たちはこれ以上やせたら入院するしかないぎりぎりまでやせている。」と講演者の小児科医の女性が笑った。でもなんか、ポジティブなことをすればポジティブな結果がでる、といった単純な話だったような気がする。そういう単純な割り切り方を人々が信じることの方に問題があるような気がするんだけど。
午後ダウンタウンまで自転車で行き、楽譜屋でディーナと待ち合わせて、フルートの練習に使う楽譜を探した。明日美のバイオリンと一緒にやれるような楽譜も買った。CatsのMemoryの楽譜も買った。これは歌ってみたかったから。
放課後に元太のサッカーチームの練習をコーチ。授業のすぐ後だからあまりゴリゴリやりたくはない。ミニサッカーを楽しんでもらえばいいという気がする。しかし、メインコーチ(今日はこない)の方はかなり細かい技術練習をやらせる。私はだいたい彼らを一列に並ばせて指示を与えることすらむずかしい。3時半頃から5時までと長時間なので、途中ブランコや滑り台の方で遊んでもいいことにした。子供たちのエネルギーの方向に余りさからわずに。
夜はダルマレインで食べ物に関する心得のクラス。自分の買っている店が政治的にどんな立場だとか、労働者を虐待しているかとか、そういうことをいちいち考えているという慈光に違和感を感じる。クラスでは言わなかったが、私は自分が米を食べればそれは米が人間に変身したということであって、何を食べるべきで何を食べないべきかとかいうことはないと思う。
000418(火)
今日も好天。自転車屋まで自転車で行って、バックミラーを買った。6ドルで安かったけれど、ハンドルの端にあってけっこう目から離れているのと、かなり凸面なので後ろから来る自動車がとても小さくしか見えず、目を凝らすと凸面だから気分が悪くなってくる。思ったほど効果的でない。
もくれん(magnolia)はもう殆ど散っている。小学校の前の八重桜が満開。こっちにはソメイヨシノはないようで、似たものとしては林檎の類がけっこうきれいだ。沈丁花はもう2月から咲いているが、こっちではdaphneという。薔薇科の大木で白い花が豪勢に咲くのが街路樹になっているところがある。
明日美がバレーをやっているあいだ、元太とまずセブンイレブンに行ってポケモンカードの$3.49のパックを買い、ローレルハースト公園に戻って元太は木登り。枝の密生した常緑樹に6m位の高さまで登った。でも、これ以上は怖いから行かない、とちゃんと自己保存本能も働いている。
000417(月)
このところ仕事はひっきりなし。ありすぎれば食傷するし、なければ困るし。
昆虫園のためのガラスケースをついに買った。何年も前から考えていたのだ。75センチx30センチx30センチくらい。湿気が底にたまらないように布を敷き、その一部を土の表面に出して、毛細管現象で底部にたまる水気を追い出そうというアイデア。表面を1/3ずつ砂、土、堆肥でおおった。ケースを買ったペット屋でコオロギを10匹(1ドル)。最初の住人である。ところどころに貝殻や木片を置いて、その下に隠れられるようにした。堆肥のためにミミズも3匹ほど入れた。
000416(日)
やはり朝はゆっくり。海を見ていたら「約束」という言葉が浮かんだ。海との間に約束があったのか、これから何か約束するということか。
この日記では文章だけなので、手書きの日記の方は主に絵を描くことにした。子供の幹夫は絵の方が自分を表現しやすいだろうから。
ポートランドへの帰りに、ヒルズボロに寄った。インテルの大工場やその他ハイテクの会社がたくさんあるときいていたが、ダウンタウンは農業コミュニティの中心としてひっそりあるだけ。緑豊かな農村地帯のそこここに数十軒の新しい住宅の群が見える。
000415(土)
朝、久しぶりに2人でゆっくり。子供たちはおとなしく待っている。旅行に行くと行儀良く、機嫌良くなるのだ、うちの子供たちは。心配された天気も朝と昼に雨がちょっと降っただけで、だいたい好天に恵まれた。重なり合う流木をつたって歩いたり、流木の下にある池で大きな蛙を観察したり。1匹だけだが、トノサマガエルの形をしていて、8センチくらいの立派な体格、色は赤っぽい茶系。始め水面に顔だけ出していて、葉っぱでつっついても動かないので、死んでるのかと思ったら、大きな棒の上に乗せようと棒を近づけたときにちゃぽんと水中に消えた、しばらくして50センチほど離れた板の上によじ登って坐り、また動かなくなった。太陽の熱で体を暖めているのか。1時間以上も水から出たままそうして坐っていた。水はかなり冷たいので、あまり戻りたくないのかもしれない。
砂浜には奇妙な物体が数百も流れ着いていた。角の丸い平たい長方形で縁が藍色、内側は無色透明、そして対角線上に丸い背鰭みたいなぺらぺらのやはり無色透明の部分が立っている。下の方はものによっては5mmくらいのひげが数十本生えている。体はクラゲのようなやわらかさ。一種のクラゲだろう。しかしこんなのを見たのは今回が始めてだ。4月の中旬にきたのは始めてだが。
夕方は雨模様で、暖炉で焼き芋を焼いたりした。
明日美が「あ、外を見て!」というので、窓の外を見ると日が沈むところ。サラ、明日美と3人であわてて駆け出して100メートル先の海岸に行く途中で立ち止まり、半分水平線上に残ったオレンジ色の半丸が消えていくのを眺めた。
000414(金)
午後、Cape Mearesへ。新緑のきれいな26号線を西へ。途中で6号線に移り、1時間半で乳業の町Tillamook。そして20分ほどでCape Meares。海岸のコミュニティで、店やレストランはまったくない。家が数十軒。静かだ。近所のジャネルさんの両親が所有している小屋に泊まる。ここ5年でもう10回くらい来たかも。キャビンと不釣り合いに大きな暖炉で火をたく。数十年前にここにはジャネルの祖父が建てた大きな家があったのだが、建築後まもなく火災で消失。ただ石造りの暖炉だけは残ったので、そのまわりに仮の小屋を建てて住み始めたのだ。小屋と言ってもキッチン、リビングルーム、寝室3つある。
000413(木)
ジャーニーをして、小幹夫は文字をあまり理解しないというヒントを得たので、コンピュータで絵を描いたり、今度作るつもりの昆虫タンクも絵でいろいろ描いてみた。
000412(水)
昼にJoellさんとセッション。いろいろともがきながら最後に結局、5歳の幹夫と20歳の幹夫の間に橋を掛ける、ということを目指すことになった。小幹夫は怒りん坊、青年幹夫は心配性。なるほどこの2人が統合されればめでたいだろうが、はてどうするか。
学校の後、元太のサッカーチームをコーチ。メインコーチは4時すぎまで来ないので、私が1時間弱適当に遊ばせる。子供たちはいつもミニゲーム(scrimmage)をやりたがるので、私はまずやらせてしまう。学校でさんざんあれこれ指示を受けてきたのだから、放課後しばらくは勝手に遊ぶのがいいだろうと思うからだ。もちろん技術的な指導はその場その場でちょこちょこするが。ブルースが来て「ミニゲームを先にやったんじゃ、技術練習をやる気なくしてるんじゃないかな。」とぼやいていたが、子供たちは技術練習もちゃんとやっていた。ミニゲームをえさにして練習させているときよりかえって素直にやっていたように見えた。私は子供たちを並ばせていろいろ説明するなんてことはできないので、技術練習はブルース、ゆるいウォームアップとミニゲームは私、という分業がちょうどいいみたいだ。
今日は暑いので初めてショートパンツでやった。帰って疲れてひっくりかえった。このごろ運動しないのでこれくらいでもくたびれる。
明日美の作った夕食は例によって芋主体。澱粉大好き少女なのだ。
ダルマレインで道元クラス。『坐禅しん』。私はさっぱりわからなかったが、非常に感動したという初老の男性がいたので驚いた。
000411(火)
母と電話で話していたら、「もうコンピュータでうちの住所くらい打てる。」と言っていた。従姉の良子さんがくれたやつだ。母が使えるかどうかはちょっと心配だったが、けっこうおもしろがってやっているらしい。老人パワーがインターネットになぐりこみをかけてきたら、お金と時間があるからすごいことになるかも。
サラと散歩していたらピートとスーに出くわした。去年までうちの裏の家に住んでいたのだが、5カ月の世界旅行に行って、最近帰ってきたのだ。スーは自然医学の学校をサラと一緒に始めて、4年で卒業した。ラオスがかつてのタイみたいにきれいで素朴な海岸があっていい、とか、南イタリアでピートの祖父の親戚に歓待されたとか。歯医者やエンジニアをやりながら副業でブドウ、オリーブ、ミカンなどを作り、大家族で集まって食べたりしているらしい。
000410(月)
ミニバンのマツダMPVのパワーウィンドウが引っかかり始めて、修理屋に電話したら「ドアを分解するだけで90ドルくらいかかる。中のメカニズムを交換したら数百ドルになる。」とか不穏なことを言う。それでは、と自分でドアのパネルをひっぺがしてみた。窓を押し上げ、引き下げるのは1本のロッドでしかないことがわかった。後ろ側の溝がひっかかるので窓が傾き、それでさらにつっかえてしまうのだ。それなら、と溝にすべりのいい液を塗ったら、一発で直った。
000409(日)
ダルマレイン禅センターの今日の法話は珍しく玉光。「時間」についての話。直線的な時間。円環の時間。過去、現在、未来が一瞬に凝縮される時間。私は質問のときこんなことを言ってみた、「自分はこれまで何もこれといったことをしてこなかったなあ、という絶望的に感じているときでも、それを感じている『私』はその絶望的なイメージにしがみつく。そうか、俺はこういう人間なんだ、うんわかった、と結論してしまいたいのだ。ところが、現実には10分も経てばもうそんなふうには思わない。地獄にいても天国にいても、それがずっと続くことを信じるのが『私』だ。」これに付け加えれば、続くと思いつつも同時に続かないことをひそかに知っているから常に死を恐れる。実際のところ『私』は一日に何百回も死んでは誕生しているのだ。
000408(土)
元太のサッカーと明日美のサッカー。元太のはわりといい試合。ゴールキックもキック力が強くなったので危なげない。明日美は先週に引き続きシュートを試みた。どっちも遠すぎる場所からだが、とにかく落ち着いて蹴れているから進歩である。また、ボールに絡むのがうまくなって、ボールを持っている相手になかなかふりきられなくなった。
午後、マイケルが自転車で来た。4カ月ぶりくらいか。明晰夢の話をしたら、彼の母親は、子供たちに毎晩夢を報告させていた由。枕元にはノートと鉛筆がいつもおいてあったという。おもしろい母親だ。彼は明晰夢なんてしょっちゅう見ているという。いいなあ。
000407(金)
昨日、今日と子供たちは学校休み。授業以外で先生が何かしなければならないと学校が休みになるのはどうも不都合な気がするが、それが現状だから仕方ない。朝は子供たちと床屋と図書館へ。Woodstock図書館は新装なってきれいだった。小さい図書館だが端末が10台以上おいてあった。図書検索用とインターネット用。借りた本の延長をするのを忘れたので、どうも20ドルくらいとられそう。1冊1日25セントだが、15冊くらい6日間遅れたから大きい。
000406(木)
Lucid dream(明晰夢)を求めて夜何度も起きて夢を書き付けていると、充実感がある。しかし、寝不足になることも確か。
ポートランド領事館に行って明日美と元太のパスポートの延長申し込み。今度から長音はHを入れることができるようになった。今まではヘボン式でOGUSHIと書いた横にカッコに入れてOHGUSHIと併記していたのだが、今度からはOHGUSHIだけで済む。窓口の人も比較的丁寧でほっとした。それでも役所は神経が疲れる。
なまけものの悟り方、とかいう本を二郎さんに借りたのだが、そこで心の状態をかたまり、エネルギー、スペースという3つの典型に分けているのがおもしろかった。私は役所にいるとかちかちのかたまりになるような気がする。スペースに近いのはなぎさでシュノーケリングしているときかな。
000405(水)
10日ぶりに禅センター。性的関係のことについてのクラス。celibacyというのは、性的なことを考えないようにすることではなく、考えや感情は起こるに任せ、しかし行動に移さないことである由。
000404(火)
シャーマンのスーザンさんと一カ月ぶり。スピリットを夢の中で傷つけるということがあって、気になってジャーニーしたりしたのでそのことを相談。怒りのうちでも、真性の怒りはぱっと感じてぱっと行動に出るもので、これは実害がないことが多い。人混みで足を踏まれたりしたとき、誰かが自分のスペースに侵入したときの自然な反応だから。しかし、それがその場で表に出ないと、うちにこもって、やがて公平とか正義とかいう観点から正当化された冷たい怒りになる。こっちはたいていの場合有害である。
000403(月)
朝、Lucid Dreamingに成功。といっても十数秒間だが。現実にはもう亡くなった人を見て、「あ、これは夢だ。ジャンプしよう。」とジャンプしたが、飛ぶという感じではなく、あれ、と思っている間に目が覚めてしまった。でもたしかに他の夢より視覚的印象がはっきりしていたようだ。
夢の中でこれが夢だとわかれば、現実の生活で半分夢を見ているときにも目覚められるのではないか、と考えるとこれは禅の核心でもある。
000401(土)
サラは5年生の日本旅行のためのオークションその他で一日留守。
元太のサッカー。久しぶりの芝生にとまどい、交替要員もいなくてしかも相手がすごく強いので、みんなへばったが、よくがんばった。こんな試合ばかりなら上達も速かろう。マックスはゴールキーパーとして横っ飛びなど進境をみせた。相手チームが元太のことを「あのちっちゃいやつがベストプレーヤーだから気をつけろ」と言っていた由。
元太をキャレンにあずけてジョーダンの誕生日パーティ(これはインドアサッカー)につれていってもらい、私は明日美をサッカーの試合につれていく。好試合。明日美は守備でいい動きを見せ、まずサイドラインまでドリブルしてから方向を変えて攻め上がり、最後にフォワードにパスするという教科書のようなプレーをやってのけた。フォワードのときはまだ球離れが早すぎる。フォワードはプレーの最後にシュートというもっとも集中力を要する瞬間が来るので、エネルギーをセーブしておかないとここぞというときに力が入らない。この辺は相手の動きに対応すればいい守備とは全然違う。
午後は昼寝等、ゆっくり。夕食もさぼってHo Ho。子供たちと冗談を言いながら食べた。私の描くマンガで私はカマキリ、サラはアヒルとウッドペッカーのあいのこだが、明日美は手足が線だけの人形、元太はジンジャーブレッドマンである。いつになったら動物に進化させてくれるのか、と聞く。明日美は蛇、元太は猿にしたらどうかということになった。