オレゴン日記---2003年1月〜3月

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[日記目次]

 


030331(月曜)

 過去3ヶ月間は『集団から組織へ・・ヒトの過去、現在、未来』というテーマに関係する記述に絞ってみた。日記がマンネリ化するのを防ぐためである。ある程度効果があったようなので、次の3ヶ月間は別のテーマを考えている。日常生活における禅、とかいうテーマでやってみようかと思っている。


030329(土曜)

 ダウンタウンのパイオニアスクエアは人がよく集まる。通り沿いに数人の戦争サポーターが米国旗などをかかげていたので、通り過ぎる車の反応を見守っていたら、3割くらいは手を振ったりクランクションを鳴らしたりして支持の意思を示していた。硬い表情で通り過ぎたのは多分戦争反対の人だろう。一人だけ、中指を突き出して不快感を表明していた人もいた。キリスト教の辻説教をしていた二人組みは通行人に「イエスは爆弾を落とすのか?」とかやじられていたが、話して見たら特にこの戦争のことを説教しているのではなかった。説教者をすべて戦争支持者と見る雰囲気が一般人の間にあるのか。


030328(金曜)

 アメリカの高官が、「すべてのイラク人はテロリストである可能性がある」とのたまったそうだ。大量破壊兵器保有の証拠としてパウエル長官が国連で読んだ原稿は学生が湾岸戦争をテーマに書いたものを無断借用したものだったし、核兵器開発の証拠は国際原子力委員会に「幼稚な偽造書類」と断定されている。国が国に対して戦争を始めるときに挙げる理由は昔から信用できないものと相場が決まっているが、それにしてもこれはひどい。国内の支持さえ得られれば他国がなんと思おうと知ったことかという姿勢が丸見えである。911テロに震え上がったアメリカ人の恐怖を利用してイラク攻撃を正当化してしまった。アメリカは世界最強だから、国内にだけ注意を向け、外では何が起こっても強引に正当化してしまうというパターンが成立する。


030327(木曜)

 ヨルダンで英語を教えていたアメリカ人の友人は、同じヨルダン人が自分を憎むべきアメリカ人と見たり、友達のマイケルとして自宅に招待しようとしたり、混乱していたと言っていた。腹を刺されたり、頭に銃を突きつけられたり、大変な思いをしたようだ。


030326(水曜)

 仏陀はウパニシャッドを暗記しているものを信じるより、自分で考えろと言った。しかし数百年後の法華経では法華経そのものが神聖視されている。社会的に見ても、古いものが効力を失うときには個人の主体性が出てくるが、そうしてできた新しい思想もそのうち硬直化することは避けられないだろう。

 アメリカの個人主義もブッシュ氏のキリスト教原理主義にとってかわられてしまった。


030325(火曜)

 地上戦が激しくなってきているが、まだうちの近所では誰も米国旗を出していない。批判的とまでは行かなくても、支持する気持ちが及び腰の人が多いようだ。アンケート調査では過半数が支持しているはずだが。


030324(月曜)

 今回の戦争は世界中の耳目を集めたので、世界各地の人々が共通の話題で意見を交換し、結びつきを強める効果があった。私の参加しているMLでも久々にいろんな人たちが心情を吐露して、お互いへの理解が深まったようだ。Grief uniteと私の師匠は言ったが、これは何かを失った悲しみによって人々が親密になることを指している。


030323(日曜)

 戦争賛成派と反対派が落ち着いてお互いの意見を交換できる場があれば、大声でどならなくても済むのではないかと思う。賛成派の集会をたまたま通りかかったので、10分ほど聞いていたが、どういうふうに話したものか、わからなかった。私にとっては、戦争というチョイスが査察の継続に比べてベターだという論理はそれほど異質なものではない。賛成はしないが。


030322(土曜)

 共同体は目標があるほうが良いのか、あるいは成員同士が交流できるようにするほうがいいのか、これらは対立しないのか、むずかしいところだ。


030321(金曜)

 イランは次は自国がやられそうなのがわかっていながらイラクとの確執が忘れられないのか、結局たいして助けようともしなかった。この辺、イスラム諸国の政府はもうジリ貧を認めてあきらめてしまっているように見える。イスラムという共通のものがありながらほとんど実のある協力ができないのは情けない。


030320(木曜)

 50歳の誕生日である。近所の家々を回って、戦争に関する意思表示がなにかあるかどうか調べた。百軒ほど見たと思うが、米国旗を出していたのが5軒、PEACEという文字を張り出していたのが1軒、NO WARが1軒、後はなんの表示もなし。湾岸戦争のときは半分以上の家で国旗を出していたような気がするし、派遣兵士の無事帰還を祈る黄色いリボンもいたるところに見られた。今回は黄色いリボンはゼロ。アメリカ人は迷っているようだ。


030319(水曜)

 イラク攻撃がついに始まった。アラブ世界はついに団結することができなかった。次にやられそうなイランもなにもせず。21世紀はアラブ世界がアメリカインディアンと似た運命をたどるか、それとも日本みたいに親米政権になって生き残るかを迫られる世紀のようだ。


030318(火曜)

 法廷というのは現代の神殿だ。裁判長を呼ぶには今でもYour Honorという言い方をするし、法廷の中では帽子をかぶってはいけないとか、法律の施行とは関係のない、尊厳を保つための規則が多い。


030317(月曜)

 ブッシュ大統領の最後通告のスピーチをライブで聞いた。聞いているとなるほどと思えるところもある。今みたいに武器が発達してくると攻撃力は貧乏な国でもけっこうある。特にテロリストを支援するという形なら小国の資金でも大きなことができる。防御のほうは人の行き来がこう頻繁にあると万全を期すことがますます難しくなっている。


030316(日曜)

 近所の通りでCandle Vigilがあったので30分ほど参加した。通りの両側に100人くらいがろうそくを持って立っているだけだが、通る車がクランクションを鳴らしたり、手を振ったりする。教会やその他の知り合いが数人いた。こういうことでもなければ会わないだろう。今回の危機はこうやって世界中の何億人という人々に共通の話題を与え、世界のつながりを濃くした。


030315(土曜)

 ダウンタウンのピースマーチに行ってきた。この間より多いようだった。プラカードの中には趣味の悪いのもずいぶんあったが、僕の好きなのはDivided We fallというやつ。アフガニスタン爆撃のころにUnited We Standという文句を米国旗の下に付けたステッカーがはやったのもじったもので、地球の写真が添えてある。米国が団結して戦争するということは地球規模では分裂になるということだ。


030313(木曜)

 ある戦争をするべきかどうかについて世界中の人々が議論し、国連がその中心になっていることに感動している、と国連創設時の関係者がコメントした由。世界が一つにまとまりつつある兆候なのだろう。


030312(水曜)

 交差点の真ん中に車をとめて、そばの電柱まで歩いていき、電柱に貼ってあった土曜日の平和行進のポスターをはがしてまた悠々と車まで戻って走り去った男がいた由。その間他の車は待たされた。こういう確信犯が出てくるのは怖い。私も今朝見た車のステッカーで、どくろマークの両側に「UN is not our friend.」と書いたのがあった。アメリカの中でも外国のことを知らない人たちが諸外国のイラク攻撃反対に感情的に反発している。こんなことで攻撃されるイラクはたまらないだろう。


030311(火曜)

 大変な仕事をこなしながらごく普通に目立たず軽やかに生きている人たちはけっこうたくさんいる。たいしたものだ。


030310(月曜)

 サラと明日美は日本に発った。昔はこんなに簡単に太平洋を渡れなかった。今はどんどんそれができるがそれが石油の大量消費となり、石油を争う戦争が起きようとしている。節約型の文明は浪費型の武力に滅ぼされる。浪費型は浪費によって滅びる。現代の難問である。


030309(日曜)

 グローバリゼーションに対抗するに地方主義を打ち出すのはまちがいだと『Empire』の著者は言う。相手が世界的な組織ならこちらも汎世界的なもので対抗するべきだ。彼はかつての国際的な労働運動の例を挙げる。この例は僕は知らないが、基本的な考え方は賛成だ。地方のカラーといってもそれが世界的に意味を持っていなければ生き残らないし、生き残らなくてもいい。小さな企業でも非常に特殊な分野で世界シェア数十パーセントなんていうのがある。大きくならなくても汎世界的な存在であることは、現代の通信と輸送技術の発達によりかつてよりずっと簡単になっている。


030308(土曜)

 オークション、つまり競売というものを初めて経験した。あの独特の早口の掛け声、値段が秒単位で上がっていく、競り合いのスリル。私は何も買わなかったが、こうしてお金を使うことを楽しむ人たちもいるのだということは新鮮だった。消費社会の宗教的儀式といってもいいくらいだ。


030307(金曜)

 コミュニティというのは昔は同じところに住んで日常的に顔をあわせる人々のことだったが、今日ではそういうコミュニティは刑務所とか修道院とかイスラエルのキブツとか特殊な場合にしか存在しない。核家族も極小のコミュニティと呼べる。現代人は複数のコミュニティにまたをかけて生きている。会社、教会、家族、学校、などなど。永続性を求めるとなるとアメリカの会社はほとんど落第、学校もだめ。だから残るのは教会と家族くらいである。もっとも、家族も子供が育ってしまえば核家族はカップルだけになり、ちょっとコミュニティとは言いかねる。アメリカで教会の復興が起きつつあるのはこの辺に理由があるのかも。属するコミュニティがないとたいていの人は元気が出ない。


030305(水曜)

 仏独露と米英の溝はますます深くなっているようだ。力関係から言うとアメリカが世界を統一するというのが順当なところで、先制攻撃というのも、警察が武器の不法所持を見つけたら所持者が発砲しなくても逮捕できるというのと同じ理屈になる。そうはいっても力だけでは治まらないから、汎世界的な目標感覚と倫理観が必要になってくる。この辺が今のアメリカ政府の頼りないところだ。悪いやつをやっつけろ、だけでは安定した世界観にはならない。いつも誰かを悪者にしたてていないと落ちつかないという状態はやばい。


030304(火曜) National Reviewという雑誌ではフランスをこきおろしていて、アメリカに賛成したい東欧諸国をフランスがおどしていると非難している。フランスの言うことを聞かないとEUに入れてやらないぞ、というわけだ。イラクの現政権を倒して民主政治を導入することは可能だし、それが不可能だというのはイラク人をばかにした話だというふうに話を持っていく。なるほどと思った。日本は独裁制だったが戦後アメリカのおかげで民主主義になったじゃないか、といいたいのだろうな。天皇が実際のところ独裁者ではなくて、軍部に説得されて開戦を決意したのだというようなニュアンスはアメリカには伝わっていないのだろう。民主主義といったって国内的には残酷さの歯止めになっても、外国に対する暴虐という点では独裁制の国より特にましだという歴史的証拠はないのではないだろうか?


030302(日曜)

 今回のイラク攻撃論議では、攻撃推進側の政府と国民の間の乖離が目立つ。政府はアメリカにねじこまれて賛成せざるを得ない立場になっても、国民はアメリカ政府の言い方があまりにも高圧的なので反発する。アメリカは日本のときも挑発するようないいがかりをつけて日本のほうから開戦するようにしむけたが、イラクに対しても同じ事をしている。ただし、今は世界中がそれを聞いてしまうので前ほどはうまくいかない。


030228(金曜)

 フセインを取るのか我々を取るのか、と米英が安保理の他の国々に迫っている。まるで暴力団だ。ただ、そのおかげでというべきか、多分歴史上初めて世界中の国々の大多数が反アメリカで一致している。これは案外すごく大切なことかもしれない。


030227(木曜)

 UU教会ができたのは1960年代だが、その前身であるユニタリアン教会とユニバーサリスト教会の時代から、反主流派的な様相が強く、なかなか組織になじまない人間をひきつけてきたようだ。我々の教会も自分のやり方でやりたい人と、UU正統のやり方でやりたい人と意見が別れる傾向があるようだ。組織になじまない個人主義者や、キリスト教会の古さに嫌気がさした人、無神論者、といったスピリチュアルな落ちこぼれたちのうち、理性の勝った人たちがUUに来る。そういう意味ではあまり旗印をはっきりさせてしまうとせっかくの包容力がなくなってしまう。UUが一つのスローガンでまとまろうというのは土台無理だろうが、全国組織のUUAでは会員数を増やそうというキャンペーンをやっているらしく、末端の我が教会でもその波動は伝わってくる。


030226(水曜)

 二人の人間の間で利益の衝突があり、各々が弁護士を雇って争うと、二人とも弁護士費用でやせ細ることになる。それでも二人の間で話をつけずに弁護士を雇うというところに、なにか人間相互間のコミュニケーションの可能性に対する絶望のようなものを感じるのは私だけだろうか。


030225(火曜)

 マツダMPVを社会福祉関係に寄付。といってももう運転不能なのだ。寄付すればあちらは何百ドルかで売ることができるし、こちらは税金がその分控除される。税金をどうかけるかでものやサービスの動きが大きく影響を受ける。

 このところ女房が忙しいのと自分の仕事が一段落したので雑用で走り回っている。自転車で外を走るのは気持ちがいい。自動車と違って風の動きを感じられるからかな。


030224(月曜)

 UU教会。意見が食い違ったら自分たちで調整しようとせずに、プロを呼んで調停を頼むところはアメリカ的だ。


030223(日曜)

 UU教会がCovenant(誓約)によって保たれており、誓約と共に生きることがUUの修行であるという説教を聴いた。これはユダヤ・キリスト教社会の原点であり、日本と違うところだ。日本では立場を重視するが、約束はあまり重視しないところがある。


030222(土曜)

 コンフリクトの解決には、意見の違いを超えた一致点を探ることが重要だというのが定説らしい。しかし、それでもやはり異なる立場同士の歩み寄りの努力は必要になってくる。


030221(金曜)

 東部の一部のレストランではフランスが米国主導のイラク攻撃に反対しているのに腹を立ててフレンチフライをフリーダムフライと名前を変えて出している由。ポートランドでは政府べったりの発言はそんなに見られないような気がする。

 フランスをナチから救ったのはアメリカなのに恩を仇で返している、という不満が一部のアメリカ人にはあるという。日本にいたときは「日本人はお人よしだから利用される」という声を聞いたが、アメリカ人も似たようなことを言うようだ。


030220(木曜)

 劣化ウラン弾頭が湾岸戦争に続いてアフガニスタンの爆撃や先頭でも使用されたという。もちろん放射線障害が予想される。核爆発に比べればずっとましだろうが、それでもウランの粉塵が何百トンも撒き散らされたようだ。こういうものを我々の税金で作ってよその国に落とされては、アメリカの納税者が全体として責任を追及されてもあまり文句は言えない。現代社会のパラドックスだ。政府のやることに反対の人がたくさんいても、少数派だと無視される。しかし政府のやることは外国から見ればその国民の責任とみなされる。最近の反戦デモで「Not in my name(俺の名前でやってくれるな)」というのがよく見られる理由がよくわかる。


030219(水曜)

 部族社会の喧嘩というのは復讐に成功したら満足して引き上げるという面がある。しかし国家の喧嘩になると、相手を徹底的に殲滅するまで止めないという面が出てくる。それは、複雑な機械を作るには部品の誤差を徹底的になくしていかないといけないというようなことと通じるものがある。


030218(火曜)

 社会は人間の注意を社会に引きとめようと腐心する。プロスポーツ、AV製品、自動車、サービス産業、こういったものすべてが人間に「自己と世界」という基本的な構図を忘れさせる。


030217(月曜)

 『また、(フランスのシラク)大統領は米国が唯一の超大国となっていることについては「いかなる共同体であろうと一人だけが支配的な力を持つことは危険で、反発を呼ぶ。多極化した世界が望ましいし、そこに欧州の役割があると思う」と述べた。』

 以前に、文化の異なる集団がまとまるときはまず一番強いのが自分のシステムを他に強制することで共通の基盤を作るしかないと書いたのだが、シラク大統領の言うことにも一理ある。要は国境を越えたモノや情報のやり取りが多極状態でも可能かどうかということだ。


030216(日曜)

世界中で戦争反対のデモが大規模に発生している。それでもブッシュ政権は力ずくでイラク攻撃を決断するだろうか。それとも、攻撃をちらつかせることで自国に有利な条件をイラクやイスラム諸国やヨーロッパ諸国に飲ませるという計画なのか。景気は悪いし、企業の不祥事は相次ぐし、医療保険は崩壊しつつあるし、公立教育も破綻寸前、こういう国内の深刻な問題から国民の目をそらすには戦争をやらなければならないというあせりはあるだろう。


030214(金曜)

 怖いから黙っている、という状態は社会というものが発生して以来、常に存在しただろう。普段我々は自分が怖がっていることも忘れているし、何を黙っているのかも忘れている。


030213(木曜)

 私にとって、スピリチュアリティというのは社会というものに対してどういうスタンスを取るかということと関係している。自分が社会でどう評価されるかということは直接おまんまに影響するので、重要視しないわけにはいかないが、そうかといって社会が自分をどう見るかだけを基準にして生きるのはいかにも窮屈だ。

 世代的な見方をすると、アメリカに来ている移民の第一世代とか、日本の高度成長期の農村出のサラリーマンなんかは、社会での出世の望みだけでやっていけるようだ。これらの人々のスピリチュアリティは旧社会の大家族的つながりによって支えられているので、特に意識的にスピリチュアリティなんてことを考えなくても良いのだ。

 しかし、都会で育った世代は個人個人ばらばらの世界で生きているので、そのままでは社会と自分の間に緩衝帯がない。会社への忠誠というのは日本人サラリーマンの多くが心のよりどころとしたことだが、これだって大家族の記憶が残っていて、会社をそれに見立てることができる場合にのみ可能なのであって、その記憶が薄れた次世代はもう忠誠心ではやっていけない。

 現代工業化社会が与えてくれるさまざまなおもちゃ、つまり自動車やスキーやAV製品、ブランド商品、あるいは海外旅行などの獲得を目指すことで気持ちの張りを保ってきた人も多いだろうが、それだってそういつまでも続かないし、第一こういうものを獲得するためにはますます社会の要求に答えて自分を酷使していかなければならない。

 現代の根無し世代は、社会が自分の生活の隅々まで侵食してくるのを感じつつ、その社会が自らのスピリチュアリティをあずけられるような代物ではないことも知っている。社会を相対化して見る視点を与えてくれるものが個人には必要なのだ。


030212(水曜)

 タバコを吸うと体を動かすより頭を使う方に注意が集中しやすいから、もともと活動的な人がデスクで働くためにタバコを吸うのだというのが私の自説だった。今日、ある人から、「仕事をしていてあれもしなきゃこれもしなきゃで休めない心境になっているときにタバコを一服するとすっと休めるという人が多い」と聞いて驚いた。あとで考えて見ると、私が日本にいたときは職場でみんな吸い放題だったが、今では外に出ないと吸えない職場が多いだろうから、タバコの使い方のパターンもそれに応じて変わったのかもしれない。


030211(火曜)

 アメリカの世界戦略を見ていると、欲しいものは何が何でも取るという感じが強い。武力が強くてそれが可能だから、やめるきっかけがない。国内においても、訴訟を起こして他人から金を取ることばかり考えている人が多い。世界で最も富裕な国にしてはみみっちい話である。その結果、医療保険とか公立学校とか、国民生活の基本になる部分が崩壊しつつある。そのくせ武器は何年毎かに戦争をやって使わないと困るくらい持っている。

 戦前の日本と同じで、武力で資源や国土を手に入れることができるものだから、軍人と兵器産業が政治を牛耳るようになり(アメリカはこれに石油産業が加わる)、極端に突っ走ってしまう。国民もやっぱり欲があるから、戦争すれば手に入るものをみすみすほおっておくことができない。


030210(月曜)

 ブッシュ家とビンラディン家の関係というのはなにか妙に部族的だ。部族的な世界ではある部族とある部族が長年の仇敵の関係だったりする。そうやって互いの力を消耗しあうのが部族社会のつまんないところなのだが、近代社会ではそういう部族的な対立は一般庶民の間ではもう日常的には存在しない。ところが上層部に行くとこれがしっかり残っている。というより、一般庶民は時代の流れに押されて生活形態を変えるが、上層部は強いから昔からの生活を変えようとしない。

 中世のヨーロッパでは、一般庶民はもう農業だけで暮らしていたが、貴族や王たちは大きな森を囲って、そこで狩を楽しんだりしていた。農業時代より古い狩猟採集時代の生活様式を保持していたのだ。特権階級だけがそういう贅沢を許される。

 複数の部族間の関係は権謀術数入り乱れてとても複雑になる。そういう政治的な複雑さの中でうまく立ち回るのは大変難しい。しかしこれも現代の一般人には縁のないことだ。たいていの者はただ何か社会の役に立つことをやって対価を払ってもらうことを望むだけだ。


030209(日曜)

 『ブッシュの終わりなき世界戦争』(浜田和幸、講談社α+文庫)を珍しく新刊で買って読んでみた。9/11が寝耳に水ではなく、直前の株式の動きなどに、テロの内容を知っていたのではないかと思われる動きがあったり、その数ヶ月前からアメリカはアフガニスタンを攻撃するつもりになっていたとか、なかなか面白いことが書いてある。

 著者はアメリカの情報作戦に完全に踊らされている日本政府に苦言を訂している。他の国はちゃんと自前で情報を集めて自国の権益を守る手段を講じているのだという。まあそうなのだろうが、あほに徹する方がかえって好結果につながるということもあるのではないかなと思う。各国がしのぎを削る中でうまく立ち回って利益を上げることに夢中になっていると、全般的には誰も得をしない。そういうけちなことより、誰のためにもなるようなことを積み上げていくほうが最終的にはよいのではないか。武力で権益を守るアメリカの指導者を見ていると、負けるチャンスを失った者の悲劇を感じる。


030208(土曜)

 UU教会でビートルズカラオケ会があった。アメリカ人と共になつかしく思い出せる歌といえばなんといってもビートルズだ。音楽が世界の人々を結びつけるというような言い方は一般には気持ち悪いが、ビートルズの曲を聴いていると素直にそう思えてしまう。

 隣の市のUU教会の幹部が面白いことを言っていた。彼らのメンバー数は40年くらいの間40と60の間を行き来しているのだそうだ。これが面白いのは、私たちのWy’eastも50くらいで成長を目指す5年計画をはじめ、90くらいになったときに非常に難しい問題が生じていまは多分また50くらいに戻っている。ある程度の人数を超えると会員の間の親密さが薄れてしまうからかなと思う。


030207(金曜)

 近代社会はとても数学的だ。ありとあらゆるものを金額で比較できるという天才的なアイデアにより、数字の言葉を使って世界中がモノやサービスを交換している。日本やアメリカに住む我々にとっては、日常的な意識がすでにこの数学的なモードで作動しているので、ごく当たり前に感じられる。近代社会では臨界数以上の人々がこのモードで常時生きているから、自動的にこのモードが維持される。

 このモードが乱されると、モノやサービスの交換が滞り、近代社会は頓挫してしまう。


030206(木曜)

 東ヨーロッパ勢はアメリカを支持するし、スペインもそうだ。なんとなく、政権の保持にアメリカのてこ入れを必要とする弱小国がアメリカ支持に回っている感じがする。アフリカの国々とか、インドなんかはなんと言っているのか? 歴史的な流れとしてはここでアメリカが名実共に世界を統合する、ということなんだろうが・・・。アメリカがあまりなりふりかまわずイラクの石油利権を奪取すると、他の国に示しがつかない。それでは「なんでもあり」のオーム真理教みたいだし、アメリカがそうなら世界中の不安定な指導者がなりふりかまわぬ武力行使に出そうだ。


030205(水曜)

 UU教会はユニタリアン教会とユニヴァーサリズム教会が1960年代に合併してでいた教会だ。どちらもキリスト教なのだが、メインストリームではない。UUの特色は、キリスト教だけでなく仏教徒やユダヤ人や無神論者も受け入れるという点だ。すべての宗教的な思想を包含しようというすごい大風呂敷を広げているところが私は好きだ。UU独自の信仰生活もあるらしいが、そっちは影が薄い。


030204(火曜)

 勝てるとわかっている戦争を、そして貴重な資源を略奪できるとわかっている戦争を思いとどまる国があるだろうか。今のアメリカの問題はそこにあるような気がする。過去にはたとえば16世紀の明みたいに極めて強力だがそれほど他国を攻撃しなかったらしい例もある。ただ近代国家ではそういう奥ゆかしい例はないかもしれない。

 アメリカは世界の統領になったのだが、気持ちとしてはまだ一国のつもりで、世界の安定に対して責任を持つよりは他国を破壊しても自国の利益を図るという論理を捨てていない。力はやがて威厳と責任感につながるものだが、それには時間がかかる。アメリカが自分の責任に気づくまでアメリカ以外の人々が持ちこたえられるかがかぎだ。


030203(月曜)

 ニューヨークにいると、どんなときでも人の存在を感じるという。大昔のバンド社会の人間ならストレスで気が狂うような状況だろう。ところが現代の我々はわざわざ人ごみを求めて町に出たりする。


030202(日曜)

 UU教会でコロンビア号の話が出た。ある中年の女性は「自分は60年代に育ったのであまり愛国的とはいえないが、宇宙開発関係のことになるととても愛国的になり、誇らしく感じる。」と言っていた。アメリカ人ならほとんど誰もが文句なくポジティブに話すことのできる数少ない話題がグレン中佐以来の宇宙飛行のことだ。特にアポロの月着陸は宇宙開発の初期にソ連に遅れをとっていたアメリカにとって貴重なものだった。大集団社会にとって、誰もが注目できるシンボルはとても大切だ(<A HREF = "j-b&lg#8">大集団的関係の本質的一過性とその克服)。それがどでかいことであればさらにいい。もしかしたらピラミッドなんかもそういう要求から建造されたのかもしれない。

 コロンビア号墜落のニュースの直前から直後にかけて、アメリカ国内のイラク攻撃への支持が9%跳ね上がった。スペースシャトルという国家統合シンボルが傷ついたことによって、戦争というもう一つの国家統合シンボルの株が急騰したということだろう。


030131(木曜)

 昨日、キッチンの電灯が異音とともに消えた。天井の接続部のプラスチックのふたのねじをゆるめたら水が滴り落ちてきた。家の修繕にはいつもハウスドクターという業者を呼ぶ。メインの男はいつも同じでもう顔見知りだ。こういうふうになじみのプロに仕事を頼むというやり方と、安いところや腕のいいところを探すためにいろいろ電話するやり方とあるが、まあ前者はバンド的、後者は大集団社会的な対応だろう。

 私は議論するときは組織的な社会を弁護するが、実生活では家にいて料理とか家の修繕とか庭とかちょぼちょぼ自分で工夫しながらやるのが好きだ。こういう人間ばかりでは工業化社会は立ち行かない。目いっぱい働いてどんどん自動車やハイビジョンテレビやスキーをデジタルカメラを買ってくれないとメーカーはお手上げである。


030130(水曜)

 文字を使わなかったからといっても、たとえばヴェーダの伝統は実に45万語ものリグヴェーダを暗記したりする高度なものだ。石造建築文化はそういう伝統からきているのかもしれない。エジプトの第4王朝のものといわれるギゼーのピラミッドは文字が刻まれていないが、その規模と精度からいって高度な文明のものである。第5王朝のピラミッドは技術的にずっと劣るが、その内側の壁はピラミッドテキストで覆われている。文字を書くという伝統が始まったときに建築技術が劣化したということなのか。


030129(火曜)

 大乗仏教は人々が広い地域で交易するという当時のシルクロードあたりの現実を踏まえて打ち出された都市の仏教だ。都市民がまとまるには巨大な石造建築とか、ものすごいSFX映画とか、超パワフルな仏陀像とかが必要になってくる。見知らぬ人々を信用して商売していかなければならないストレスに耐えるには声聞や縁覚のばらばらの修行、寺にこもった修行では不足だという不満に答えたのが法華経のような大乗経典なのだろう。


030128(月曜)

 一人なら理性的だけでやっていけても、人と対するには神仏が必要なのかもしれない。


030127(月曜)

 インターネットがずいぶん世界中で普及しているみたいだが、アフガニスタンの爆撃のときも、現在のイラク危機においても、現地からのメールを紹介するというのには出会ったことがないぞ。


030126(日曜)

 力を得てしかも奢らないということが可能か。アメリカは史上空前の一人勝ち状態に心理的に耐えられるか、それとも愚行を重ねて崩壊するのか。


030125(土曜)

 巨石建造物を作った文明には文字がなかったのか? 幾何学は確かに文字なしに図形だけで説明可能ともいえる。案外、数字は他の文字よりもずっと先に使用されていたのかもしれない。


030124(金曜)

 会社で働くというのは自営業とどう違うか。言われたとおりにやるということにはけっこう快感もありそうだ。自分の殻を破るのにもよい。現代の分業は主に会社組織を通じてのものだから、これを試してみないと現代社会を理解したことにはならない。


030122(水曜)

 旧約聖書のレビ記には「口寄せや占いをするものは殺せ」と書いてある(『彼岸の時間』)。そこまで強く禁止しなければならない理由はなんだったのか? 


030121(火曜)

 ブッシュマンの社会では夫婦関係の外の恋人関係によって人々がゆるやかなネットワークを作っている由(『彼岸の時間』蛭川立)。性的な結合がカップルだけに閉じずに広がりを持つことは社会の安定にとってプラスであることが想像される。


030120(月曜)

 シャーマン的な意識状態が現代社会の支配層から嫌われるというのはそれほど当たり前のことではない。細かいモノに注意を集中するという工業化社会においてはシャーマン的な意識状態が労働者にはびこってはたまらないというのはわかる。しかし、現代のように人間関係が重要になってくるとシャーマン的な広い感受性も使い道が増えてきているのではないか。現代の大問題はモノに関する技術ではなく、人と人の間、民族と民族との間の関係性にあるのだから。


030119(日曜)

 シャーマン的な意識状態というのは、対人的な幻想を取り去って普段の意識よりもクリアーになった状態なのかもしれない。シャーマンがしばしば長時間孤独なときをすごすのも、他人といるときにほとんど不可避的に生じる幻想から少しでも遠ざかるためと思えば筋が通る。


030118(土曜)

 独裁制というのは国を構成する部族同士の争いを沈静し、部族間の交流を促進するという意味ではポジティブな意味をもっている。人々の帰属意識が部族から国に移るというのは一歩前進である。国への忠誠というのは、それが部族への忠誠を弱めて人々がより広域で協力できる倫理基盤を作る助けになるかぎりは良いことである。それ自体をとってみれば他国への残酷さを生むという大きな欠点を含んでいるが。


030116(木曜)

 必要がなくなっても存在を続ける組織が増えて社会全体が停滞するということがある。会社が利益をあげないと存続できないというルールはその点で優れている。


030115(水曜)

 組織というものは必要があって生じるもので、その必要が消えると存在の理由を失って崩壊する。村とか近所とかいうものが消えつつあるのは、要するに生活上の面倒は警察とか消防署とか保健所とかが扱っていて、生産は会社組織でやるようになったからだ。


030114(火曜)

 会社という形態がなぜうまく機能するのか、も考えてみるべきだろうな。


030113(月曜)

 エジプトのピラミッドの中にはほとんど装飾がないという。ハンコックはだからピラミッドは墓ではないというのだ。たしかにそうかもしれない。いろいろな数字との遊び、天体や方角との遊びが組み込まれてもいるらしい。なんで莫大な手間をかけてそんなことをしたのか。本当に奇妙な話だ。高い技術が予想されるが、材料が石というのはどういうわけだ。金属やプラスチックを使っていない。高い技術といっても現代のものとは質の異なるものだったのか?


030112(日曜)

 教会のミーティングで、「どんな教会になるかの自己イメージを考えるよりもまずここ数ヶ月のサバイバルが先決」ということになり、私もそれは了解できる。しかしまあ、組織というのは自己保存が目的になって存在理由はあいまいになってくるものなのかな。まとまっているということだけでも価値があるとはいえる。


030111(土曜)

 巨大石造建築を造った文化が1万数千年前にすでにあったとすると、氷河期に存在したことになるが、どうも氷河期に現在の南極とか北極圏に温帯に住む動物が生息していたらしい。ハンコックはどうも地軸が現在の地軸と違うところにあったらしいというのだが、そんなことが物理的に可能なのかどうか? たしかに(たとえば氷河の発達によって)表面近くの質量配置が変われば地軸にも影響が出るかもしれない。そんなことがあったら確かにハンコックがいうように洪水だけでなく、火山の噴火や地震が激発するだろう。

 それにしても巨大石造建築文化は主に人々を組織化する技術であったように見える。建築物は残っているが、たいした道具は残っていないから、人海戦術でやったのだろう。現生人類が登場してから10万年とも5万年ともいわれるらしいが、類人猿の群程度の集団から高度に組織された社会までいくには少なくとも数万年はかかるだろう。


030110(金曜)

 Monsoon Weddingとかいうインドを舞台にした家族愛の映画を見た。よくみると家長の家族成員への愛情は小さなグループのリーダーのそれである。自然な家族とはまた一味違う。


030109(木曜)

 1万5千年前に高度な文明があったというグラハム・ハンコックの『神々の指紋』が本当だとすると、『集団から組織へ・・ヒトの過去、現在、未来』の観点から見てどんな意義があるか。巨石遺跡というのは世界中に残っているが、大昔に巨石を整形し、運搬する技術があったということだけでなく、どうしてそんなに馬鹿でかい建造物を作ろうとしたのかということが重要だ。ヒトが自らを組織化する際のツールとしてこうした巨大建造物が使われたのではないかと思われる。巨大建造物は見るヒトの心に特殊な影響を与える。「信は荘厳より起こる」といった日本の宗教家は誰だったっけ。それがヒトの組織化に役立ったと考えなければ、あの巨大なエネルギーの浪費(実際的な生活という観点から見れば浪費でしかない)を説明することができない。


030108(水曜)

 宗教は個人的か集団的かというような問いかけをしてみた。宗教が集団のものであるということは個人主義が近代に台頭するまでは当たり前のことだったろう。個人というコンセプトがなかったのだから。私が一人で宇宙と相対した場合、別に何の問題もないので、宗教的な修行の契機はない。しかし別の人間がそこにいると、物質だけの宇宙に対していたときに平静はすっかり失われる。私にとって、宗教は人と人の間の関係を扱うノウハウである。


030107(火曜)

 法華経は修行に凝る僧と世の中で活躍する在家との間の深刻な対立を解消するために打ち出されたというようなことを岩波の訳者解説で読んだ。昔の文書はどういう目的で書かれたのかを知らないと理解しにくい。法華経の場合、僧と在家を融合させるのに最近の映画みたいな特殊効果満載の荒唐無稽な話になっている。実際、教えの内容などというものはほとんどないといっていい(というと怒られるだろうが)。多分、なにか具体的な教えを入れるとそれが対立するどちらかに偏ってしまうから具体的なことを何も言わなかったのではないかと思われる。


030106(月曜)

 昨日書いたことは後味が悪いが、そうかといって書かなければ腹にたまる。

 家族愛、恋愛、友情によって無情なシステムに反撃するという乗りの映画が受ける。でも本当のところ家族愛が優先すれば他人を公平に扱うということが不可能になり、それこそシステムが機能しない。家族愛を誉めそやすのはテロリストに武器を贈っているようなものだ。キリスト教だって仏教だってまともな宗教はまず家族愛の絶つことから始めている。そうでなければ人の集まりが有機的な組織になることが不可能だからだ。

 復讐とか謝罪を求めることの基本的な問題もここにある。


030105(日曜)

 法話は慈光が「あやまる」ということについて。これは私にはむずかしい課題だ。外から抑圧されているという感じがあるときには謝るという行為がそもそも真実にならない。

 韓国人が日本人に対して謝罪を要求するのは、かなり残虐な行為があったことを考えれば当然のことだろうが、日本語の強制など、日本がしたことの大半は典型的な同化政策であって私が当時の日本のリーダーだったとしても、それほど違うことができたとは思えない。外から欧米の圧力を感じ、一国では守りきれない現実を考えれば日本が韓国や中国を含めて大東亜共栄圏を考えたのは当然である。

 『集団から組織へ』の観点から見ると、当時まだ部族、血族意識が強すぎて国単位でまとまるという可能性をもっていなかった韓国はどちらにしても辛酸を舐める運命にあった。日本が占領しなければ、欧米に占領されて奴隷化されるか、共産化して独裁者に支配されたことだろう。絶対的な独裁者だけが部族の集まりを統一できるからだ。もう一つ重要な点は、日本にしても国としてまとまるという背景には欧米の侵略に対する強い恐怖感があった。ヒトはよほどの恐怖感がなければ組織としてまとまりたくはない。恐怖で心が萎えてこそ集団が組織としてまとまることができる。国という組織の存在が脅かされたとき、その恐怖がまたよみがえってひどく残酷な行為に走る結果になる。真珠湾への恐怖からアメリカは非戦闘員に満ちた都市への原爆投下を決断した。9/11への恐怖から今度はそもそも交戦国でもないアフガニスタンに過剰な爆撃を加えた。


030104(土曜) 今日の社会では男がいろいろ窮屈な思いをするようになっている。セクハラで訴えられたり、なんだかんだと悪者扱いされるので思っていることを言う自由がない。しかしまあ、思っていることを勝手に言えた時代なんてそもそもなかったのではないか。30年前までは男が比較的勝手なことを言えたということがあるから今窮屈さを感じるのだろう。


030103(金曜)

 我々が人間関係に悩むのは、本能の赴くままにやっていたのでは、社会が成り立たず、引いては自分の生存も危ういので、常に何か人工的な規則に従わなければならないということにある。


030102(木曜)

 今年はしばらく『集団から組織へ・・ヒトの過去、現在、未来』について毎日考察してみようか、というのが新年の決意。