021231(火曜)
『集団から組織へ・・ヒトの過去、現在、未来』という題名を考えてみた。
021229(日曜)
ロサンゼルスに8日間行って来た。初めてである。義父が招待してくれた。義弟の家で七面鳥を焼いてちゃんとクリスマスディナーをした。ユニバーサルスタジオは大人も楽しめる遊園地という感じ。Back to the Futureの車に乗って空を飛ぶ(ドーム画面で本当に飛んでいる感じがする)のが特によかった。Back
Draftで火があちこちから豪勢に噴出すのもよかった。
021219(木曜)
最近アイルランドは豊かになってきたので、アメリカに移民した人々が帰国するケースが増えている由。国民健康保険もなく公立学校に音楽や体操教師を置くこともできないアメリカに比べたら、庶民の生活はヨーロッパのほうがずっとよさそうだ。
021218(水曜)
これまでかなり意見が食い違っていると思っていた人と3時間話して、多くのことについて同意できることがわかった。こういう会話は楽しい。
021217(火曜)
どうも最近の世界情勢は日本の戦国時代の末期みたいで、アメリカが世界を統一してしないそうな気配だ。アメリカはある程度勝手なことをするだろうが、結局のところ各国が武器をとって戦わなくてもいいような体制が作られるだろうと思う。
021216(月曜)
話してみたかった人と話したのだが、どうもいまいちうまくかみ合わなかった。特定の話題に絞ろうとしたのがかえってまずかったかなあ。
ここ2,3日は働きすぎ。でも日曜はCelebration of Lightで東方の三博士のうちの一人になって少しソロも歌った。なぜかこっちでは3人のKingということになっている。私はアラビアの王様。
021214(土曜)
在家弟子の集まるディナーに始めて行った。先日の接心でいい感じを得て、帰ってきてから苦労している人が他にもいた。50台で夫婦別れしたカップルがもう一つ。ほんの数ヶ月前に別のカップルが別れを宣言したばかり。これでもう夫婦共にメンバーという人はいなくなった。
021213(金曜)
ここ2ヶ月かなりがんばって仕事したせいか、気分的に疲れが出ている。
021212(木曜)
誰かにネガティブな対応をされてがっくりきたとする。こういうとき、その誰かのおかげで自分の気分が悪化したと解釈することが多いが、後になって考えてみると、その人と話す前からすでに気分が悪化していて、ただ自分はそのことに気づかなかっただけということがある。
021211(水曜)
ダイバダッタはシッダルタと同様の瞑想修行をしたのに、悪の道に走った。昨夜の法華経のクラスで参加者が「瞑想修行をみっちりやった人間が悪に走るのはおかしい。」と言い出してその辺のディスカッションが始まった。ダルマレインでは性格の陶冶ということを重視するが、サンフランシスコ禅センターではそんな必要はないとされているらしい。
021210(火曜) 悟りを開くというのは人間の迷いから醒めることなのだろうが、それが同時に本当の親密さへの道でもあるところに不思議さがある。
021209(月曜)
臘八接心はお釈迦様の成道にちなんでこの時期に行われるが、元太の誕生日が3日なのでそれまで待ち、8日のうちの5日だけ参加した。ダルマレインとZen
Community of Oregonの合同接心なので人数が50人くらいになり、部屋一杯に静かに座る人々は迫力があった。ZCOのホウゲン先生に「ただ呼吸のエネルギーの流れに注意していればいい」と言われて、ラジニーシ時代のエネルギー感覚のことを思い出した。
021203(火曜)
元太の11歳の誕生日。SIMSというゲームソフトをプレゼント。人の生活を全部シミュレーションしちゃおうというアイデア。登場人物の性格を量的に調整できたりするからすごい。
021202(月曜)
歯の神経を抜いた後で神経のトンネルをきれいにしてゴム状の詰め物をする手術を通訳として見学。自分の歯はさんざんやられたけど自分では見えないので、今回は存分に観察した。歯医者の手際に感心。助手と世間話しながら的確に仕事を進めていく。コンマ何ミリという単位の細かい作業である。
021201(日曜) 教会の内紛で傷ついた人々の痛々しいメール。傷の痛みに怒って他人を攻撃し、そのことがさらに傷を増やす結果になるという悪循環。人の世界に住むということはうらやむようなことではないのかもしれない。
021130(土曜)
材木を買うときは、たわんでいないか、そして表と裏の両面を確かめること。釘を打って箱を作るには3/4インチが必要である。金具を床においておくと上に座って曲げてしまうことがある。サラのオフィスにEMの協力でファイル引き出しを作りつけたときの経験。材料を買うにはかなり気力が必要だ。
021129(金曜)
Rebuildingセンターというところに行った。壊れた家から拾ってきたような材木とか、引き出しとか電灯のガラスカバーとかが一杯。地下で壊したガラスカバーとオフィス用に蛍光灯にも使えるガラスカバーを買ってみた。値段はついていなくて、レジに持っていくとそこにいるお姉さんが「それは3ドル、これは2ドル」とか言ってくれる。おもしろいシステムだ。
021128(木曜)
シャーリーさんによると、彼女の属するハヴァラ(ユダヤ教の親睦グループ)では30人程度のハヴァラが幾つか集まって教会になっている由。ファミリー的な組織としては確かに30人程度がいいかもしれない。
021126(火曜)
ミーティングで、言いたいことを言えるのは大事だが、それが他人の発言を抑止する結果になると今度は不満な者がだまって別行動を取るようになってしまう。人を非難することなく自分の気持ちを表現することができればいいが、たとえば怒りの感情を怒りの対象と離して表現することができるほど人間ができてる人はそんなにいない。
021124(日曜) らくすをして三拝するのはちょっとした工夫がいることがわかった。香厳の法話。座禅中に落ち着きのない子供のようにあっち行きこっち行きする心がそのうち目の前にぴたっと座るときがくる、という。
UU教会の全員ミーティング。反抗グループをめちゃくちゃ非難する人続出。彼らが怒っているのはわかるが全部反抗グループのせいにするのは非現実的。大体、自分の気持ちをシェアすること、人を非難しないこと、が約束だったのに、平気で特定のグループを非難した人が何人かいた。腹が立ったので後でメールを送った。
021123(土曜)
メンズグループ。男性のメンバーが首座をやった後でサンガから遠ざかってしまう傾向がある。運営に影響力の強い古手は女性で固められている。この辺のことを香厳が問題にしても女性たちはなんのことか一向にわからない、という感じらしい。「50歳以上の白人の男性の仏教徒の場所がない」と一男性が訴えていた。若い男性は「年上の男性メンバーのアドバイスを受けようと思っても周りにいない。女性ならいくらでもいるし彼らのアドバイスもありがたいが、男性のアドバイスがほしいときもある。」と言う。
021122(金曜) サラの誕生日。今年は40歳になるので誕生日をボイコットするとか言っていたが、最近まあいいということになった。朝は例によってベーコン。プレゼントの一部として家の掃除。TODAIレストランで日本食のビュッフェ。
夕方は私の在家弟子になる儀式。名前は螢堂大超となった。弟子になったからといって特に何も変わらないが、在家弟子の集まりが結構あるので、そのグループに参加するというところが今までと一味違うか。
021121(木曜)
牧師は優柔不断だから不満だという人がいた。人によってぜんぜん見方が違うなあ、と思った。八方美人は大変だと牧師がこぼした意味がだんだんわかってきた。
021120(水曜)
ダルマネームを4つの中から選べといわれている。大超、文越、善清および英心である。前二者はGoing beyond definitionという私のラジニーシ時代の名前を考慮に入れたもの、後は香厳と玉光両先生が考えてくれたものらしい。「もんえつ」はまずアメリカ人には発音できないからだめ。英心はなんか秀才くさい。善清はいいけど善人で清いなんて自分でいうのは妙なものだ。大超は対照的にすごく大きな名前だ。善清か大超のどちらかだろう。前者は質、後者はスケール。
021119(火曜)
サッカーシーズンもこのごろになると早く終わってほしいと思う。毎年そうだ。今日は練習の指導にも身が入らなかった。
021118(月曜)
UU教会の役員会に出席してみた。不満が不当に非難されたことについて5人のうちの3人が懸念を示していた。他の2人もこの点についてレポートの肩を持つことはしなかった。
牧師もいろいろ有用なアドバイスをしてくれて、こうして見ると悪い人ではない。話をしないと相手に対して変な想像をしてその想像がその人そのものであると妄想するようになる。
021117(日曜)
UU教会の内部分裂のアセスメントにきた北西部UUAの2人が詳細なレポートを発表。不満派が自分たちだけで集まったことを強く批判していたのが気になった。なんだか一方的である。まあ彼らにしてみれば牧師は自分たちの仲間だから肩を持つのはわかるがそれにしても牧師の行動についてはまったくなんの批判もしなかった。
021116(土曜)
雨と風と寒さの中でサッカーまた負けた。相手チームは例によって3,4年サッカーをやっている感じの子ばかりだ。私も右のフルバックを入れるのを忘れたりしてぽかをやった。子供たちは最後のほう奇声を発しながらけっこう楽しんでいるのもいたが、それに腹を立てているのもいた。
021115(金曜)
自転車の後輪の空気漏れの原因が見つからないので、チューブ3ドル50セント、それにタイヤも20ドルで新しくした。古いタイヤは路面にあたる部分が薄くなっていたので。新しいタイヤは舗装道路用なので抵抗が少ない。手間賃を3ドル50セントしか取らない。自転車屋というのはたいてい良心的だ。
021113(水曜)
98年セントラの仮運転許可をもらった。そして州都のDMVにタイトルを請求した。でも売り手の距離計読み取り確認がないので、くれるかどうかわからない。なんでDMVが距離にこだわるのかというと、距離が長い車は売る値段が下がるから、距離計をいじってごまかす人がいるということらしい。そんならタイトルに距離計の読みを50万マイルとか書いて送ってくれてもいいのだ。こっちはもうこの車を売ることは考えていないのだから。
021112(火曜) 今日のサッカー練習は大人が私のほかに3人いたのでみっちり指導できた。一人だと子供たちがあっちこっちで勝手なことを始めてもなかなか止められない。3人にグループを任せて個人指導も結構できた。なんだかんだ言ってこういうことは嫌いではない。
021111(月曜)
日本語入力をやりやすくするための設定の調節が結構できて、うれしかった。前の設定がハードディスクの破壊でなくなってしまったので、一部どうやって再現していいかわからないところがあったのだが、今は以前よりよく理解しているような気がする。ころんでもただは起きないというのはこういうことだ。
021110(日曜)
香厳の法話。3つの公案タイプ。Greed、Hatred、Delusion。Greed型は物を求める、スペースを求める、時間を求める。そしてそれらに関して気前よくもなれる(Compassion)。Hatred型は人とのコネクションを求める(Loving kindness) 。Delusion型は物事を理解することを求める(Wisdom)。香厳も私もDelusion型。サラはHatred型だろう。この型が昇華されると積極的な親切になる。彼女の特徴だ。私はDelusion型からHatred型への拡張を計っているという感じか。Greed型が最も一般的で、しかし私には最も欠けている、だから消費文化の中でアウトサイダーになってしまう。
021109(土曜)
サッカーで、左ハーフ、右ハーフ、センターフォワードをそれぞれ2人のペアにまかせるという方式をやってみた。2人である領域をカバーするという感じだ。少なくとも自分のパートナーとは話し合いながら、協力していくということ。けっこううまくいったようでもあった。
021108(金曜)
仕事が立て込んでいるところにハードドライブの再構築でかなり時間を食った。しかしまあ何をするにしても働いていることには変わりなく、特に損したという気にもならない。
021107(木曜)
コンピュータのハードドライブが急死した。幸い仕事のファイルはバックアップしてあったが、日記の一部や最近3週間のメールなどが幽明境を異にしてしまった。悪いことばかりではなく、新しいドライブは前のより大きいし、速い。いろいろな設定がデフォルトに戻ってしまったので、なかなか再構築するのが難しい。
021028(月曜)
アメリカが何をするべきかしないべきかなんて自分が考えてもしょうがない。アメリカは世界を支配しつつあり、同時に国内はだんだんおかしくなってきている。みんなが利己的に行動すれば神の見えざる手で全てがうまくいくという神話が崩れてきている。
021027(日曜)
施餓鬼接心。今回は早朝と夜だけ参加。いくら集めても本当に満足できないものを集め続ける業の深さ。餓鬼というのはそういうものらしい。子供を通じて生きようとする母親もその例だと香厳は言っていた。
021025(金曜)
植民地化されるのは部族抗争を続けて外国勢力に簡単に分断されてしまう方の責任だという言い方もできる。
021024(木曜)
子供の発案の練習を火曜にやったら、今日も「こんなのはどう?」と提案してきた子があり、それをやることになった。子供たちはけっこう乗り気でやる。だいたいあまり運動にはならないが技術練習として利用はできるような感じ。自分からアイデアを出すという気持ちは大いに買う。
021023(水曜)
晴天が続き、ポートランドには珍しい秋の空。黄葉がきれいで、赤もみかける。無花果がおいしい。このところ一日中なんかの用事をしている感じだが、ふと歩いていて幸福感に満ちてくるときがある。だいたいはしけた顔をしていると思うが。
021022(火曜)
車のタイトルが手に入らない悪夢が続く。15日以来運転できなくなっている。銀行から、売り手の借金は支払済みという証明書を送ってもらって、これで大丈夫かと思ったが、DMVではまだ売り手が距離計の読みを書いて署名しないとだめだという。売り手は全然こちらの電話に応えないからこれではどうしようもない。他の方法もあるが、何ヶ月もかかるという。カフカの「城」みたいな話になってきた。
021021(月曜)
毎日けっこう翻訳をしている。20分くらいやったら何か別のことをやる。ある程度の集中力を必要とすることの方が翻訳から頭を解放する効果が高い。ただうろうろしたりつまみ食いするだけでは足りない。休むにも努力が必要という好例。
021020(日曜)
イラク攻撃に反対する人たちが手つなぎの輪を作るというのでウィラメッテ川の岸まで家族で行ってみた。2千人くらいいれば全部つながると思ったが、ところどころつながっていないところもあった。川の二つの橋の間の部分を囲む形。そんなに盛り上がっているという感じでもなかった。
021019(土曜)
元太のサッカーチームは今日良く戦った。新入りたちも自分の役割を理解し始めたようだ。私は今日はあまり指示は出さず、基本的なことだけ交替で入っていく選手に耳打ちした。11歳くらいになると、新入りでもけっこう憶えが早いのか。2年前くらいまではもっと時間がかかったような気がする。
021018(金曜)
プロセスワーク主催のアジアフォーラムに参加した。日本がなぜ朝鮮を占領したかについてダイアローグで日本の立場を説明しようとしてみた。あまりかみ合わなかったが。日本人男性が怒って「逃げるな」と言うのを聞きとがめて後で発言を促してみた。昔は怒る人間が怖くて何もいえなかったが今は何とか「なぜ?」と聞けるところまで来た。彼は「こっちの方がよっぽど怖いんだ」と言い、私はなるほどと思った。知らないうちに彼を追い込むようなことを言ったようだ。謝る、謝らないの議論はきりがないが、日本人として、アメリカが原爆のことで謝るのを待っているのなら、韓国人が占領についてこちらが謝るのを待っているのと同じことだ。原爆のようなことでもまず許し、その上で批判することができれば、と思った。
021017(木曜)
子供たちの間の不和が今回のサッカーチームでは良く起こる。なんとか収めてあまりそっちの方に彼らの注意が行かないように、しかし何らかの被害を受けた子供が泣き寝入りにならないように、と考えて対処しているが、なかなかむずかしい。でもやりがいはある。
021016(水曜)
バイオ関係の特許の翻訳をしている。解剖学や細胞学関係の知らない言葉がたくさん出てくるが、説明もあるので学ぶおもしろさがある。
普通の生活で深みを追求することも可能だと思えてきた。
021015(火曜)
翻訳するとき、脳の疲れということに気をつけている。肉体的な活動と同じように、無理に続けようとすると後でがっくりきて回復に時間がかかり、効率が悪い。だいたい15分くらいやったら何か違うことをして、翻訳機能を休めてからまた戻る方がいいみたいだ。私はだいたい長距離走者ではなくて、ばあーっと走ってしばらく休み、またばあーっと走るというタイプだから、頭を使う作業でも間歇的なリズムをつけた方がいいのだ。
021014(月曜)
私は運動するときの体の感覚が好きだ。でも音楽で踊るという感じはわからない。動きに注意を向けると音楽を聴くほうはお留守になる。今度English Country Danceを練習しようと思っているので、体が音楽に反応するようになるかどうか、興味がある。
021013(日曜) 香厳がradical non-dualityを説明しようとした。私も質問したりしたが、今思い出そうとするともうかなりあやふやだ。大きな夢を抱いてそれに向かって努力するというアメリカ人の「期待される人間像」と、成功も失敗も区別しないという非二の立場とをどう折り合いをつけるか。香厳は、常に今この瞬間の課題に応えていくことだ、とか言っていたようだ。
021012(土曜)
UU教会の内部分裂への対応の一貫として、CONTACTチームというのが来て、メンバーを10人ずつ呼んで1人1人に4〜5分ずつ自分の思っていることをしゃべらせるというのをやった。行く前は時間が限られていたり、言いっぱなしになるのが気に入らなかったが、行ってみると他の人々の話がじっくり聞けてとても参考になった。牧師のことを心から賞賛する人もいて、同じ人物に対して人の受ける印象というものがこうも違うものかと目を見張った。
021011(金曜)
昨夜、補強運動やストレッチをゆっくりやっていたらとても満ち足りた気分になった。走るムードになっている。しばらくフルートとか歌とかに焦点が合っていたのが、今は身体感覚に意識が同調している。
021010(木曜)
いらいらしているときは、つまみ食いをすると落ち着く、ということはある。昨日は忍耐の限度に達したみたいだったが、チョコレートクロワッサンを買って食べたら大分落ち着いた。こういう理由で太る人が多いのだろうな、と思った。
021009(水曜)
役所と付き合っていると頭がおかしくなってくる。融通が利かないし、何を言っているのかよくわからないし、同じ役所でも違う人に聞くと違う返事が戻ってきたり。今日は本当にいやになって忍耐力ゼロだった。
021008(火曜)
勢いで車を買ってしまった。94年の日産セントラ。エンジ色でなかなかかっこいい。もう一台もセントラだが、こっちはタイトルのトラブルで後一週間したら合法的に運転できなくなる。実際にタイトルが手に入るのがいつになるのか心もとない。新しいやつはメカニックのチェックもなしに買ってしまったが、売り手がホーソンカフェのオーナーでわりと信用できそうだということと、見た目けっこうよく面倒を見てもらった車のように見えるので先走った。もう一人ほしがっている人がいるとも聞いていたので。
021007(月曜)
同じ銀行に電話しても、答える人が違うとこっちの質問に対する答えがずいぶん違ったりする。また、たとえば役所で「銀行でこの情報が得られる」と言われて銀行に問い合わせると「だめだ」と言われるケースもある。大きな組織と組織の間では話が通じていないというのは当たり前か。何千ドルものお金と、車を運転できるかどうかがそれにかかっているのだから心もとない。
021006(日曜) 大事なことに関して自分が何をできるのかわからないのでいろいろ考えて疲れてしまう、というようなことを言ったら玉光先生は「マントラを試してみたら?」と言った。試してみるとなかなか効果はある。
021005(土曜)
元太のサッカーの試合。サイドラインからのコーチングは良くない、とか自分で言っておきながら、今日はどなりまくってしまった。サッカーをまだ良く知らない子供がチーム内に増えたこともあり、11人制のポジションを教えるには試合で言うしかないという感じ。元太に後で聞いたら別にうるさくは感じなかったそうだが。
021004(金曜)
人が集まって、攻撃・闘争本能が作動しないと、自我の境界がぼやけて集団が心理的に一体となる。これは個人の意識とは両立しないので、一人一人はこの一体状態を憶えていない。ときどき自我が目覚めて何かを感じるが、一体であるときに起こることは自我が自我であるかぎり理解不能だといえる。あるいは、自我はある程度目覚めていて、自我から見て何が起こっているかを理解するが、それは一体としての集団に起こっていることとはまた別のことなのだ。仏教でいう[空]の概念はどうもこの集団融合現象と関係しているのではないか。
021003(木曜)
日本旅行はとても良かった。いつまでもとっておきたいような経験がいくつもあった。そしてそのために今はとても落ち込んでいる。山が高ければ谷も深い。そのときどきで、耐えられる限界の高さと深さが与えられるという法則があるみたいだ。
021002(水曜) 通訳のことで通訳会社と面倒なことになった。自分がどんな考え方から特定の行動を取ったかを説明するしかしょうがないと思った。規則とか相手の期待とかは私にとっては直接的な経験でないから。
020929(日曜)
人の集団はどのようにしてまとまって行動できるのか、は私の十年来の疑問だが、今日はこの疑問を踏まえて自伝的な文章を書いてみようかと思った。自伝っぽいものはすでに書いてみたが、それはずいぶん前のことなので、今また書いてみればおもしろいかもしれない。前のを見ながら厚みを増していく書き方ができるかな。
020928(土曜)
在家と僧の修行の関係の勉強会。僧として師匠についた修行をしないと深くはいけないという考え方と、職業的な僧よりも在家の方がいいという考え方とが歴史上混交しているようだ。雲水のDMは雲水生活の制約のきつさをこぼしていた。アメリカ人にとっては個人的な自由を犠牲にすることは大変なことだろうなと察せられる。
020925(水曜)
2週間日本に行っていた。母の里である新潟に行ったのがハイライト。親戚というのは一度もあったことがなくてもなんとなく心休まる。意識していなくても同じ文化を背負っているからか。
020907(土曜)
走ってみたが、左脚に力が入らず、左腿裏も怪しいので無理せず。左脚が弱いのだからカーブのときの方がバランスが取れるのかもしれない。カーブでは右脚により負担がかかるから。カーブを出るところでかつて肉離れを起こしたのは、左脚への負担が増えたからかも。
020906(金曜) 腿や腰の筋肉がどんなに強くても、足首が弱くては蹴りが効かない。だから日頃かかとを地面につけずに歩いたりする地味な練習がいいと思う。空手の大山さんがたしか二本指で腕立て伏せをすると言っていたが、これも実際に相手の身体に当たる部分が強くなくてはいくら腕っ節が強くてもだめだということだろう。走るとき地面に触れるのは足の裏、それも理想的には足指とその付け根の部分だけなのだから。
020905(木曜)
走っているとき、地面についている脚は体重の支持と前方への押し出しという二つの役割を果たす。腿の表側の筋肉は膝を伸ばす方向に働くので体重を支える。裏側の筋肉は膝を曲げるので足を後ろに蹴ることになり、前方への押し出しに寄与する。といってしまうと簡単みたいだが、これが股関節の動きと連動すると複雑になる。
020902(月曜)
Sandy川の川下り。ヤードセールで買ったゴムボートを試した。大人2人と子供1人乗れる。晩夏で水量が少なく、2.7マイル下るのに3時間くらいかかった。
020831(土曜) ダルマレイン禅センターなどのヤードセールで2人乗りのゴムボート(5ドル)、CD付きのラジカセ(10ドル)、単一まで充電できるニッカド充電器(1ドル)などを買った。夏の土日はヤードセールが多い。普通の人が庭先にいろいろ持ち出して売っている。
020830(金曜)
翻訳をやっていると頭が疲れる。これに気付かないでいると妙に機嫌が悪くなり、何をしても良くならない。どの辺で切り上げて休むかが考えどころ。今日はちょっと昨日までの仕事の疲れがたまっていたようだ。気をつけなくては。
020829(木曜)
Ani Tenzin Palmoというチベット僧は西洋人女性で、洞窟に12年こもって修行したという。きのうダルマレインで彼女の話を聞いた。アメリカでは仏教徒のサンガを在家がサポートしないから大変だというようなことを言っていた。アジアでは在家のサポートでサンガがやっていけている。台湾で尼僧が非常に多くて、社会的な活動を活発にやっている由。ただ、スピリチュアルな充電が不足していて中年になって落ち込む場合が多いようだ。私はまあ在家主義だけど、彼女みたいな人もいてほしいと思う。どんぐりの背比べでは世界が狭くなる。インドで25人の若い尼僧の修行を監督しているという。
020828(水曜) 精神の緊張を保つ、ということに関心を持っている。ただ、緊張といっても同じ筋肉をずっと緊張させて硬くしてしまうような緊張ではない。鈴木正三の「死に学ぶ」という感じに触発されている。何をするにせよ、気持ちの張りを保つということ。一生懸命やるという姿勢も実は精神的な弛緩に通じるときがあるのがむずかしいところ。
020827(火曜)
明日美が代数の試験に合格した。勉強のできる友達と一緒に幾何学をとるために、夏休みに一人で勉強して、今日試験を受けたのだ。わからないことがあると私に訊いていたが、ほとんど一人で4週間ほど毎日2,3時間もくもくとやっていた。普通の授業なら半年はかかる範囲だろう。アメリカに住んでいるとよくホームスクールといって、学校に行かずに家庭で勉強する子供がけっこういることに気付く。大勢がいる教室では自分の進度に合わせた授業が受けにくいから、誰か質問できる相手がいて、いい教科書があったら、そしてやる気があったら勉強は一人の方が効率がいいのかもしれない。
020826(月曜)
翻訳でどでかい表に出くわし、さすがのTRADOSも効率悪かった。マウスとキーボードを忙しく使って何時間もかかってやった。おかげでいくつか新機能を学んだが。実にカフカ的な作業であった。
また走った。タイムは計らず、100〜150くらいの快調走を数回。やっと蹴り足と突き出す膝が一体になる感じがした。腕の振りを大きくすると身体のぶれを防いでいい形で走れるようだ。スピードは無理のない程度。こうやって無理せずひんぱんに走れば少しずつ身体ができてくるかな。
020825(日曜)
13歳の少女2人が行方不明になった事件がとうとう死体発見という段階に入って、容疑者は2人の友人の父親ということになった。彼のまた父親もかつて若いカップルを殺したことがあるという。UU教会でそのことが話題になり、スクールカウンセラーの女性が「こういう反社会的行動は遺伝的に強く支配されていることがわかってきている。」と言った。たしかにそうなんだろうけれど、それなら社会的に許容され、称揚される行動だって遺伝的に強く支配されているのだろうに。犯罪者にだけ都合よく遺伝を云々して人間性を否定してしまうような言い方はまずいなあ。そういうことを言う人は自分自身の「自由意志」も遺伝的に支配されているのだと認めるのだろうか?
020824(土曜)
走りたくなってトラックに行った。前回に続いて400mを走ろうかと思ったが、そのかわりに軽く200、ややまじめに300、そしてややまじめに200、と走った。400だと最後の100はフォームが保てないので関節にきついかなと思ったのと、疲労が取れにくくなると思ったので。走った後膝をときどき冷やすようにしている。300は学生のころの400の記録より遅いというペースだったが、このくらいのペースで走っていれば徐々に身体ができてくるのではないかと期待している。
明日美がダウンタウンのシンクロのチームに入るかもしれない。そうなるとほとんど毎日練習である。学校と宿題とバイオリンとシンクロ、これだけやったら休む暇はない。明日美はけっこうそういうスケジュールが向いているみたいではあるが。
020823(金曜)
会話中に「**は人の話を聞くけど自分の意見を絶対視して結局他人の意見を尊重しない」とかこぼしたら、「ということはあなたも自分の意見に固執するということね」と言われてうなってしまった。なるほど。
鈴木正三の仁王禅の話など読むと、こうした戦士的な強持ての姿勢が後の日本を支えたと共に、第二次大戦でその剛直さがわざわいしたのかなと思う。日本軍の姿勢に納得しなかった父と大叔父の血を引く私には正三の姿勢はアブナイ感じがする。
020821(水曜)
翻訳のクライエントの会社まで行って話してきた。別に大きなプロジェクトではないけれど、地元のクライエントを大事にしようという一貫。両親と娘と息子と娘の夫、それに小さな女の子がみんなオフィスのどこかにいるというほほえましい会社。みんな北欧系である。
久しぶりに翻訳をたくさんやった。TRADOSを使ってみて、なかなかおもしろいと思っているが、まだわからないことも多い。
020820(火曜)
今度の車は日産セントラ。余計なものは何もついていない。ハンドルもマニュアル。トランスミッションもクラッチでやる。となると坂道発進とか坂道駐車はちょっと技術がいる。今までオートで甘やかされていたので、ちょっとおぼつかない。でもこういう車の方が運転していて外界と自分の間に緩衝物がなくて気持ちがいいということもある。テントで寝るのが家の中で寝るのと違うように。
020818(日曜)
玉光と参禅。思考の下をくぐる、という私の最近のフォーカスについて玉光は懸念を示した。全ての思考から逃げようとしている、というふうにも受け取れるからかな。そうではないつもりだが、一方で何かを目指すという姿勢の欠落は自分でも気になっている。
仏教徒として心するべき5つのことのうちの一つは「成し遂げること」だといわれた。しかしこれは世間的に認められるようなことを成し遂げることだとは限らない。夜ゴミ箱を外に出すときにふと涼風と星空に魅入られる、元太と自転車で近所を走る、明日美に代数を教える。そういうときにすっと生じる幸福感も一種の達成なのだと玉光はいう。例えば今走ることにまた惹かれているが、この衝動に沿った達成というものがあると思う。
法話も今日は玉光。準備なしに超越的な体験をしてしまった人たちの悲運について。これはわかる気がした。そういう体験をしてしまうと、今さら新弟子として修行する気にはならない。といって、修行という基盤なしに超越してしまうとアブナイ人間になってしまう。修行というのは超越的体験をするための修行ではなく、その体験に圧倒されないための修行なのだ。普通の人間は罰が怖いから行いを正す。しかしそういった恐怖を超越してしまうと、今まで押さえていた怒りが爆発して他人や自分を傷つける行動に出てしまうかもしれない。戒律で悪を止めること、善のみを行なうこと、と最初にいめしめるのはこのためだと思う。そういう姿勢がしっかりとした習慣となって体にしみこんでいれば、恐怖がなくなってもひどいことはしないだろう。
020817(土曜)
25人の会合で、はじめ話がわりとばらばらに散ってまとまりないなあと思っていたのが、誰かが過激な提案をしたら、予想外の手ごたえがあり、それからはぐっと求心力が強くなって話が進んだ。過激だと思った提案も、実はみんなが心の中に持っていたことだったのだ。不満な状況に対してまず文句を言うことにまず壁がある。そして、文句をいうことができるようになっても、じゃあどうするかということになるとまた壁がある。今日はその壁が破られたのを目撃した。
020816(金曜)
車の花子(マツダMPV)についに引導を渡すことになった。今度は日産セントラを買おうと思っているのだが、それにはいろいろな売り手の車を比較しなければならない。私はこの比較という作業が大の苦手だ。二つのものを比べて一つを選ぶという作業は憂鬱だ。一つしか次元がなければ話は簡単だ。80点と95点なら後者を選ぶ、くらいは私にも出来る。しかし、例えばAはBと比べて年数は古いが走行距離は短い、というふうに二次元になるともうお手上げだ。どっちの次元を重要視するか特に基準はないように見える。それにさらにAは修理記録が不明でBはわかっている、といった細かい要素がどんどん加わると頭がパンクしてしまう。もともと車なんか走ればいい、というくらいの認識しかないので細かい議論は耐えがたい。
020815(木曜)
私は走るのでも泳ぐのでも60秒間以上がんばるのはいやだ。陸上部では400メートルをやった。これは50秒程度だ。泳ぐのも50メートルくらいまで。数十秒の運動を1回やったら後はしばらく休む。これがとてもきもちいい。人によっては長距離走でランナーズハイになる人もある。こういう人がマラソンなんかやるのだろう。短距離型と長距離型、あるいは間歇型と一定型という区別があるようだ。間歇型は緩急のリズムを楽しむ。一定型は同じ調子で深みに入っていく。同じテーマでまとまった本を書いたりするのは知的長距離走者といえる。そういえば村上春樹はマラソンを走る。大江健三郎は長距離をプールで泳ぐ。俳句は短距離型かも知れない。十七文字に集中して出来を吟味する時間は数十秒程度だろう。でもだいたい世の中で評価されるのは長距離型だ。
020814(水曜)
一昨日と昨日はコロラドの友人DHの一家が来ていた。仏教が執着を棄てることを説くことについて、彼は「それではMotivationはどうなるんだ。全部の執着を棄てたら我々はだらだら寝て暮らすことになるんじゃないか?」という疑問を呈した。そういわれるとうなってしまう。特にやりたいことがなければ何もしなくてもいいのか、それともとにかく何かすることが大事なのか。江戸時代初期に武士や庶民に仕事に献身することがそのまま仏道であると説いた鈴木正三のような人もいる。
020813(火曜)
またぞろ400メートルが走りたくなって、少しずつ筋肉強化練習をしている。走ると膝や足首にきついので、周囲の筋肉を強化する練習をいろいろ工夫している。かかとをつけずに走れれば膝への負担は少ないだろうということと、足首のけがを防ぐためにかかとをつけずにゆっくりバウンシング運動をしたり、ジョギングをしている。大またで歩き、一歩ごとに膝が地面に触れるくらいまで腰を下げると腿の表側及び腰の筋肉が緊張する。階段のぼりもかなりやっている。これも膝への負担が走るときより小さく、また脚の筋肉の強化に良いからだ。腿の裏側の筋肉が先天的に弱いので、これも補強運動を工夫している。仰向けに寝て膝を立て、両足と肩で荷重を支えて腰を突き上げると腿を後ろに蹴る筋肉が緊張する。膝をねせぎみにしてこの運動をすると腿の裏の筋肉に荷重がかかってくる。このときは足の先をソファに乗せるとやりやすい。この他、走るとき脚だけでなく腰のひねりもストライドに寄与するように、腰を振り振り歩いてみたり。1メートルくらいの浅い水中で走るのも足腰の強化によさそうだ。水中で膝から下を後ろに蹴ると腿の裏側が強化できる。走るという簡単な動作の中にいろいろな筋肉と関節が複雑に絡み合っているのをいまさらのように感じる。
020812(月曜)
車のトランスミッションがこわれたらしい。まだ走るが変な音や振動がある。経験豊富そうなトランスミッション屋さんに運転してもらったら「これはプラネタリーギアが壊れているみたいだ。Pan(底?)を開けてみないと詳しいことはわからないが、最悪なら2800ドルくらいかかる」というご託宣。そんなにかかるのならこの車はあきらめて安いのを買うか、しかし3000ドルくらいじゃろくなのがないだろうな。お金がないのでこういう決断がますますむずかしい。
020811(日曜)
日曜の夜はゴミ出し。家中の小さなゴミ箱を集めて中身を大きな容器に移し、家の前の歩道に出す。夜気が涼しいのでしばしば立ち止まって薄明るい都会の空の星やその空を背景に黒々と浮かぶ木々をながめる。暑くもなく寒くもない、このまま一晩中星を眺めながら涼風にあたるのも悪くない。
ラズィは結局おととい死んでいた。明日美はしばらく取り乱していたが、やがて埋葬の手順を考え始め、どこに埋めたらいいか私に聞いてきた。あじさいの下なら間違って花や野菜を植えることもないだろう、ということで場所は決まった。棺おけとなった厚紙の箱の中には明日美が石ころや花を入れ、元太は小さな爬虫類のポケモンカードを入れた。おじいちゃんのお墓みたいに花を活けられる穴の開いた墓石を木で彫りたいと言い出した。
020809(金曜)
7/18から8/7まで自動車でコロラド、シアトル、オリンピック半島と回ってきた。
例によって冷房のない車での長距離旅行となり、霧吹きで手足や首を冷やしながらテープでいろいろな物語を聞いた。みんなで同じテープを聞いても楽しめる。
コロラドは旱魃で火事が多く、友人の家からすぐ見える岡の斜面は前日の火事の熾きがまだところどころ残っていて、夕闇の中でオレンジの星のように輝いていた。ボールダー市は節水で公園の芝生もみんな茶色に枯れていた。週に2回、15分ずつしか庭に水をやらないように指導している由。
別の友人宅で泊まったのだが、ダウンタウンに近いのに庭には鹿がやってくる。数ヶ月前には猫がマウンテンライオンに殺されたという。私たちが去った日には熊が近所で目撃されて、アニマルコントロールの人が探していた由。みつかった大型猛獣は人家から離れたところに移される。3回人家に戻ってくると射殺される由。猛獣とも何とか共存していこうという市民の意向がうかがわれる。
コロラドからシアトルへのドライブは2日間、各700マイルの強行軍だった。700マイルは日本なら青森から広島までくらいか。幹線道路は80マイル近い速度で走れるから助かる。それでも夏ということも工事中の区間が多く、徐行を余儀なくされたこともたびたびあった。
オリンピック半島は温帯降雨林があり、夏でもけっこう涼しい。北西部の海岸はインディアン居留地がいくつかあり、我々が泊まったところもそうだった。リゾートそのものが土地のインディアンの経営である。アメリカ各地でインディアンが特別の許可をもらってカジノを経営するケースが増えているが、それよりも落ち着いたリゾートを経営する方が好感が持てる。
020808(木曜)
昨日、3週間の旅行から帰ってきたら、やもりのラズィーがひどくやせて弱っていた。明日美が心配して獣医に電話したら「脱水症状だろう、便秘かも知れない」と言われた。診察すると47ドルだという。私が手で持ち、明日美と元太がスポイトで少しずつ水と蝿のジュースを飲ませた。息絶え絶えだがなんとかときどき口をあけて水分を飲み込んでいるようだ。糞もしたから、便秘ではないらしい。3人でやもりの口元を一心にみつめていると、獣医につれていくよりこの方が良かったと思えてきた。
020716(火曜)
しばらく連絡がなかった友人から電話。なんか落ち込んだ声だなと思っていたら、前立腺癌と診断されたという。いろいろリサーチして、放射線療法を試みることにしたという。手術そのものは簡単で、外来でやってしまうのだそうだ。10年後の生存確率が70−80%だから癌としては悪くない。ほとんど同年輩なので、自分のことをつい考えた。胃カメラを最後にやったのは6年前。前立腺もチェックしておいた方がいいか。年を取るにつれて、死が観念から現実に変化していく、といったのは北杜夫だったかな。
020713(土曜)
明日美のシンクロ州大会。デュエットで見事なできばえ。「練習のときよりずっと良かったぞ」とほめたら「あたしはプレッシャーに強いの」と平気な顔をしていた。
このところ「コントロール」という言葉がよくでてくる。別れた妻に腹を立て続ける男、結婚を考えたが子供がほしくなくて最愛の女性と別れるつもりの男、いずれも人生において支配権を放棄したくないというところから思わぬ行動に走っている。英語のコントロールは制御というよりは支配の意味が強い。
020710(水曜)
大分日にちが空いた。なかなかおもしろい生活だったが、書きたくなかった。
ポートランド生活についてここに住んでいるほかの日本人の参考になるようなことを書いてみたいと思い始めた。
020602(日曜)
香厳曰く、「無の方向に明るくよりかかっていくように、と原田老師が言っていた。」これ、なんとなくわかるような気がする。