020331(日曜)
古い日記を読んでみると、日々の出来事の記述はあまりおもしろくない。あれをしましたこれをしました、どこへ行きましたというのは後で読み返してもちっとも印象に残らない。おもしろいのは考察だ。アイデアは古くならない。ときおり試みるスケッチなんかもおもしろい。別にどうということもない、5分くらいで描いたものが多いのだが、後でみると眼にとまる。虫の観察も後で読むとおもしろい。これはどうも、書いたとき、描いたときに自分が生き生きとしていたということなのかな、と思う。
香厳との参禅。昨日考えたことだが、私は子供の頃から何かちゃんとした計画を立てて実行するということにあこがれながら、この歳になるまで一度もしたことがない。翻訳に代わる職業を見つけようというのもつまりはそういうあこがれの続きだ。よく考えてみれば、50歳に近くなって突然ある職業に目覚めるなんていうことがあるとも思いにくい。そんなことを彼に言ってみた。彼は「座禅はDeconstructをもたらす。今までの習慣が崩れてくる。しかし、その次に何が来るのかはすぐにはわからない。これまで頼っていた観念に頼らずに、しかもばらけてしまわずにこの不確かな時期を生きることだね。」と答えた。なるほど。
イースターである。43番通りで毎年やっているご近所のイースターブランチに行った。キューバから来たという同年輩の女性と話した。父親が危うくバチスタ政権に殺されそうだったのが、カストロの革命で助かったこと、初めはそれでカストロが好きだった父親もそのうちだんだん幻滅してきて、家族でスペインにしばらく住み、その後アメリカに来たこと、など話してくれた。裁判通訳に興味を持っていることを話したら、Mediationのトレーニングを受けたらどうかと言われた。法廷の外で示談にするための交渉役だ。日本人の価値観に合わせたトレーニングがあるのかどうかが疑問だが。
イスラエルとパレスチナの間の紛争がいよいよ悲惨なことになってきた。自爆テロで殺されるイスラエル人も悲惨だし、イスラエル軍に殺されるパレスチナ人も悲惨。アフガニスタンのときもそうだったが、西側はテロリストの行動を特定の国の政府の責任にして、それを口実に爆撃したり、土地を占領したりする。しかし、例えばビンラディンとタリバンの間の関係がどんなものであるのかわからないが、タリバンが直接テロに関与していたという証拠は何もない。パレスチナ紛争でも、自爆テロが起こるたびにアラファト議長が非難されるが、彼が自爆テロを命令していたわけではないだろう。
020329(金曜)
3日間海岸に行っていた。Cape Mearsという、家が数十軒の静かなところ。ほぼ毎年一度は行っている。ごろごろした灰色の丸石、白っぽい流木、左手の崖の下の洞穴、引き潮の潮溜まり、砂浜の散歩、流木の焚き火、子供たちは流木で砦を作る。流木といっても太いのは直径1メートルを越える。真水の池が流木群の中にあって、流木を伝いながら池めぐりができる。水の中にはせりのような植物が生えている。子供たちが見つけた蛙の卵塊は小柄な大人のこぶしくらいの大きさで無色透明のゼリー状、中に1センチ弱の緑の透明な卵が数十個入っていて、各々の卵の中には細長いおたまじゃくしの赤ちゃんが入っている。中には卵からは出たがまだゼリーの中にいるのもあり、そういうのをそっと指で突っつくとばたばた動く。最初の卵塊は内側に溝があるだけだったが、他に長い草の葉を中心にして形成されているのが3つあった。最初のももともとはそうだったのだろう。中の卵が無色透明なやつもあり、そっちは赤ちゃんがずんぐりしていて、身体に白黒のコントラストがある。水は冷たいし、夏でもそんなに水温が上がるような気はしないが、こっちの蛙は低温に慣れているらしい。ポートランドでも池のあるところでは2月頃に蛙の鳴き声が聞こえたりする。
12月以来、翻訳の次に何をやるかということでいろいろ人に相談したり、考えたり、電気配線や裁判所通訳等で新境地を開拓しようとしたりしているが、今日、裁判所に行って私のケースが棄却されて帰ってきて、疲れて昼寝した後、ふと気がついた。私は成人して30年経つが、その間一度もはっきりとした職業計画を持ったことがない。それが50歳を目の前にして突然職業に関して明確なアイデアを持てると考えるのは非現実的だな、と。一生職業といえるものをもたなかった人間として、いかに良く生きるかというテーマもあるわけだ。
バンドと大集団の考察を本にしようとしている。今までに書いたこと、つまりホームページに書いたことと、メーリングリストで書いたレスの一つ一つを名刺の裏に数語にまとめ、その多数の名刺を並べてだいたいの構成を決めようと思っている。3年前から1年前くらいのメールを見直したらなつかしかった。自分の書いたものをなぞっているとと心が落ち着いてくる。
020323(土曜)
UU教会の2つの礼拝のプラニングをしている。オーガナイザーというのはこの歳になるまで殆どしたことがない。電気配線、裁判所通訳とこのオーガナイザー役が最近の新しい試みといえる。目がおかしいので目医者の本を読んでみた。疲れなどですぐ視力は影響を受ける由。軽い瞬きをたくさんすると良い、とか、一点をじっと見つめるのは良くないとか、読むときに一字一字しっかり読めとか、なかなかおもしろいことを言う。今日は自転車のパンクを直した。自分でやるのは2回目。1回目は中のチューブを出すのに苦労したが、今回は簡単に引っ張り出せた。そのかわり穴がなかなか見つからず。ステープルが突き刺さっていたので場所はわかっていたのだが、穴がひどく小さい上にちょうどゴムの継ぎ目の線上にあるので見えにくかった。
自転車でNaturesへ買い物。元太は初め行かないと言っていたが、私がロックを忘れたのを取りに戻ったら自転車にまたがっていた。気が変わったらしい。元太は新しい提案にはしばしば先ずノーといい、その後で考え直すというパターンが多い。
020322(金曜)
朝はエイモン。初めてドライウォールを扱った。1/2インチまたは1/4インチの板で、石膏を厚紙で挟んだものだ。ナイフで厚紙部分を切って切れ目に沿って折ると石膏がその線にそってきれいに割れる。そしたら反対側の厚紙をナイフで切って切断完了。簡単なものだ。
午後はラウルというウルグアイ生まれのおっさんのアパートに行って、父の日のユニタリアン教会の礼拝の相談。日本語では礼拝だが英語はService。特に何かを拝むというようなことはない。父の日は「父から受け継いだもの。子に受け継がせたいもの、子には伝えたくないもの。」というテーマで男性たちにパネルディスカッションをしてもらおうというアイデア。いきなりやっても話が拡散しそうなので、あらかじめ父親たちが集まって自分の経験をシェアして、それをもとに数人がパネルでやるという形を考えている。
020321(木曜)
昨日は誕生日。49歳。サラがポットローストとチョコレートトウフケーキを作ってくれた。私の好物だ。昔手相見に48歳がやばいといわれていたので、無事に切り抜けてほっとしている。実際、48歳のときに事故で一家全員危なかったり、仕事がなくなったり、9/11テロが起こったり、どうも物騒だった。
昨夕は芝居見物。Dinner Friends。2組の夫婦の片方が離婚するところから話が始まる。片方の夫婦は安定しているが離婚した方は男も女も新しい恋人と付き合って中年のロマンスを楽しむことになる。どっちがいいかなんていうことはいえないが、対照がおもしろい。安定組の夫が離婚した親友に「今まで何度も週末を過ごしたりしてきたのに、それがみんなうその生活だったと言うつもりか?!」と迫るところが印象に残った。
今日はRusticaでサラと昼食。ハマグリ、カラマリ、それにティラミス。ここのティラミスは本当においしい。これも誕生日のお祝いの一部。
ドラミングサークルはSoul Retrieval。気持ち次第で病気も治るというような話に花が咲いて「そうかなあ」と思ったけど何も言わず。
020319(火曜)
ごちゃごちゃといろいろなことに手を出してちょっとくたびれてるかな。記憶をたどろうとすると抵抗がある。
昨日エイモンの配線を手伝っているときに、昆虫園の虫の生活を見せる展示を作るなんていう仕事なら楽しいだろうなと思った。工作、電気、それに虫への興味を満足させることができる。昆虫学を勉強すればそっちの方向への道も開けるかな。
ユニタリアン教会の高校生グループとダルマレインの高校生グループを会わせて、それを元にユニタリアンの高校生が日曜のサービスをやるというアイデアを追及しているのだが、ダルマレインの先生が慎重でなかなかことが運ばず、そうこうしているうちに期日が迫ってきてあせっている。
今日もエイモン。ロープライトをつないで点灯。発光くらげみたいできれいだ。ぐちゃぐちゃのままか、とぐろを巻いた状態で光らせた方が風情がある。コネクタへの接続は厄介。2本の銅線の部分にぴったり突き針が刺さるようにしないと接続しない。8回接続したうち1つは何度もやり直す羽目になった。
そういえば昨日、元太のピアノの帰りにドイツ食料品店エーデルワイスに行った。何十種類ものハムやソーセージがおもしろい。ビーフサラミというのを買って見た。トルティーヤをガス火であぶってサラミを乗せ、さらに電子レンジで15秒温め、くるくる巻いて食べると美味。
020317(日曜)
昨日長い昼寝をしたせいか、朝3時ごろからなんども目が醒めた。こういうのは好きである。目が醒めているが、しばらくぼんやりしているうちにまた眠り、ふっと目が醒めるとまだまだ十分時間がある。
子供を家に残してダルマレインへ。サラはまだシアトル。妙な寝方をしたせいか座禅中にやたら気が散った。香厳の話は、このサンガがコミュニティとしてよく機能することになったということについて。成員一人一人がある程度の犠牲を払わないとコミュニティは成立しないが、犠牲よりも大きな見返りがあるという。彼は、人間は社会的な動物である、とよく強調する。私はそんな時、その一方で人間は独居性でもある、といいたくなる。
子供の頃の全能感がある傷によって打ち砕かれる。それは避けられないプロセスだと彼は言う。聞いていて、そういえば私自身自我の起源を傷に求めたことがあったなと思う。持続する歓びというのはないが、持続する苦痛はある。自我の自己像には「持続する」という以外の特性がない。傷によって現実に目覚めると共に、その現実の否定としての自我が機能し始める。
夏休みの宿題は日本における在家と僧の関係について調べること。
ユニタリアン教会はピースページェント。ピースピースと歌っていれば平和になるという感じはしないんだが、でもいろいろおもしろくやってくれた。
最近歌うとすぐ喉が痛くなるので興ざめ。特に高音を出すとてきめんにだめ。中音域でじっくり歌いこめば声が鍛えられるかな。
020316(土曜)
ダルマレインのメンズグループ。各人が身体的、心理的な傷を披露。私はたいした怪我をしたことがないが、私より上の人たちは特に骨折とかぶんなぐられて鼻が曲がったとかいうことがたくさんあったような感じだった。人間相手に肉体的な喧嘩をしたことは一度もない。男同士のグループではそれがひけめになるのを感じた。肉体的に自分をしごいたのは陸上部の時代だ。喧嘩ではないが、痛いとか苦しいとかいうことに関しては喧嘩以上だったかもしれない。
小さな頃に、ふっと世界のすばらしさを感じるときがあったのではないか、と香厳がみんなに聞いたとき、私は狩人蜂が蜘蛛をひきずっているところを見たときのことを思い出した。当時何度も繰り返して読んでいたファーブルの昆虫記に蜘蛛や芋虫を狩る蜂のことが書かれていたのだが、実際に見たのはそのときが初めてだった。自分にとって意味のある世界と、実際の世界とがその瞬間だけぴたっと一致した。
020315(金曜)
朝5時にサラをシアトルに送り出した。自然医学の会合。
エイモンの屋根裏で間接照明を実験。もっと明るくするために蛍光灯を使おうということになった。
全世界がアメリカに降参するという意見をMLに書いたら、それじゃやくざに謝るのと同じだという意見が返ってきた。しかしそれじゃどうするかということになるとすぐにはいい知恵が浮かばない。
020314(木曜)
ヒルズボロまでポートランドのダウンタウンから電車で50分。車中で昨夜用意しておいた弁当をゆっくり食べた。裁判所では判事に「どうやって英語を学んだか? 学校にいったのか?」とか聞かれてちょっと困った。正式にこっちで学校に行ったことはない。
酔払い運転をすると最低2日間刑務所に行くか、それともDiversion Programという治療プログラムに参加させられるようだ。日本よりきついのかゆるいのかわからんが。
石原慎太郎の『弟』をPowells書店で買った。2ドル弱だから日本の古本屋よりやすいんじゃないか。父親の溺愛と彼の死が兄弟に大きな影響を与えたようだ。もっとも、二人とも好きなことで飯が食えたから良かったけど、たいていの人はあんな無鉄砲な生活をしたらもう青年期で生活が破綻しているだろう。大集団社会の中でも、バンド的心性で押し通すことのできる人たちが少数存在する。彼らは人間的によく輝くが、大集団社会の中でそういう生き方ができる者の数は極めて少数である。残りの大多数はこうした貴族的な少数の輝きを憧憬しつつ大集団原理に埋没した生活を送る。
020313(水曜)
朝ダルマレインに洗濯に行き、そのまま香厳と弟子入り相談。これが3回目。特にいうこともなし、弟子になることになった。といっても在家弟子だから寺に入るわけではない。会話はいろいろ散らばった。昼食で日本が不審船を銃撃したり、北朝鮮に拉致されたらしい女性の話で新聞が持ちきりだと話した。
夕方、ヴィパサナのグレッグクレーマーの講話。修行は遠い未来の悟りのためでなく、今この瞬間にいつでも感じることのできる苦しみを除くことにある、と彼が言うとその感じがわかるような気がした。苦しみはいやなものを避けようとしたり、好きなものを得ようとするところから来る、というので、質問として、「痛みを避けること自体が悪いはずがない。どこでそれが苦しみにつながるのか。」と聞いてみた。「何かを嫌がることで自我を作ってしまうと、それが問題になる」と彼は答えた。いやなことを避けた後で、なんか自分の存在が小さくなったような気がするとき、より小さな場所に押し込められたような気がするとき、がやばいのだろう。
020312(火曜)
Electricianという職業がある。5年くらい徒弟修業をすると、高給を取れるジャーニーマンになれる。そこまでいかなくても、自分で家を改造する人たちの電気配線を手伝うようなサイドビジネスをやりたい気がする。今日はうちのキッチンの照度調節スイッチをオンオフスイッチに取り替えた。これでキッチンの照明に蛍光灯が使える。蛍光灯は照度調節スイッチではうまく作動しないのだ。キッチンの明かりのブレーカがどれなのか捜すのに手間を食ったり、スイッチのボックスの中を見たら配線が短くてぎりぎりしかなかったり、いろいろどきどきしたが、なんとかできた。蛍光灯をひとつ加えたらとても明るくなってうれしかった。
般若波羅密経の勉強会は今日から金剛経(かな?)。英語でDiamond Sutraだから多分金剛経だと思う。般若波羅密経には短いのからものすごく長いのまでいろいろあるが、Edward
Conzeというドイツ人の訳者のものを我々は使っている。彼はなんとラフカディオハーンの書いた文章ではじめて般若波羅密経に触れ、それ以来原文で理解することを一生の仕事とした。青少年時代がちょうどナチスとぶつかって、結局イギリスに移住したらしい。この偉大な知恵に満ちた書物によって硬いヨーロッパ人の心をやわらげたい、と願った由。
020311(月曜)
キャリアカウンセリングのJRと会った。これまで書き散らしたアイデアを編集してもっと息の長い読み物にしたいということを言ってみた。作文クラスに参加したほうがいいかも。
例えば、アフガニスタンやイランで何が起こっているかということは一般人にはまずわからない。ニュースを信用したものかどうか判断の基準があまりない。しかし、日常見聞していることでも、これまでと違った解釈で見るということは誰にでもできる。その辺が私の「考える人」としての役割だと思う。カフカも言っている、「真実は我々の鼻先にあるから誰も見ることができないのだ」と。
020310(日曜)
早起き6日目。作務は火災報知器の電池の取替え。いろんな種類があっておもしろかった。今年の受戒は9人。
ランチの後すぐうちに戻り、元太と父子サッカーに行く。インドアのチームの父親と子供たちがやるというので行きたかったのだ。ルイスアンドクラーク大学のアストロターフのフットボール場でやった。雨が降っていたがみんな元気で2時間近くやった。濡れたアストロターフはボールがすべってなかなか追いつけない。でも特に膝も足首も傷めずに楽しめたのはありがたかった。
教会は音楽テーマ。Cantabileというフルート曲が快かった。
020309(土曜)
5時起き。寒い中をまたダルマレインまで自転車。幸い雨は降っていない。
ある女性の祖父は60歳で引退して93歳で亡くなるまで引退生活を楽しんだ。世界中旅行して、死ぬときにも「愛と健康にめぐまれた一生だった」と言い残した由。考えてみると、30年もただ楽しむだけの余生なんてさびしいような気もするな。社会の骨格を支える仕事は青年、政治は中年、そして老年は社会の外に放り出される、というのがアメリカ式か。もともと社会生活というのは動物としての人間には無理も多いから、ある時期がんばったあとは身を引くというのが自然なのかもしれない。伝統的な社会では老人が支配権を持っていたから、年を取れば取るほど社会の中枢に位置したわけだ。
何がしたいかというのは、ミルクチョコがいいかダークチョコがいいかというような意味で考え始めると切りがないし、定まらないが、苦行として何を受け入れられるかということになるとわりと定まるような気がする。そして、なんらかの意味で苦行をしないと人生はおもしろくないというパラドックスがある。で、本を書くというのはどうかなと思う。読書ノートをタイプすると充足感があるというのも、考えたことを発表するという線につながるからだろう。
明日美の誕生日パーティ。友達数人と宝捜し。これは謎を解いて指定の場所に行き、そこで次の謎をもらって次の場所へ、というふうにめぐりめぐって最後は目的の場所に着くというゲーム。近所の店や図書館、友人宅が選ばれた。あらかじめサラが謎を作ってそれらの場所に配っておいた。そして帰ってきた時に、サラが数ヶ月かかっていろんな人に刺繍等をしてもらった四角い布を継ぎ合わせたキルティングを明日美にはじめて見せた。明日美が13歳になるので、特別プレゼントとしてサラが大分前から計画していたのだ。明日美はとてもうれしそうだった。
020308(金曜)
今朝も5時おきでダルマレインへ。でも朝課の後すぐうちに戻って子供たちを学校に送り出した。サラは二連続出産立会い。私はそれからまたエイモンのところ。洗面台の上の間接照明の取り付け。間接的すぎて明かりが足りないんじゃないかと思うが、まあ夜この洗面台を使う人はあまりいないだろう。電気部品をいじるのは楽しい。おもちゃで遊んでいるような気持ちになる。
午後は疲れてぼーっと眠かった。
グレッグの学生時代の友人が日本で英語を教えた経験を書いた文章がある。会社で教えているのだが、日本人たちはどうも息抜きに来ているみたいで、自分はバーのホステスのような役だと結論しているのがおもしろい。
020307(木曜)
昨夜は懺悔(さんげ)の儀式。大受戒でしかやらない儀式なので、三年ぶりだ。三年前は私が受戒した。南無釈迦むに仏の名前を低く連呼しながら一列に進み、まず一番目の仏からカルマの紙を受け取り、二番目の仏にそれを渡し、三番目の仏が懺悔の言葉を私に代わって言ってくれる。英語だとAll wrong actions, behavior and karma perpetrated by me from time immemorial have been and are caused by greed, anger and delusion which have no beginning, born by my body, mouth and will. I now make full and open confession thereof.(悠久の昔から私が犯してきた間違った行動、ふるまい及び業は、身体、口及び意志から生まれた始まりのない欲深さ、怒り及び惑いが原因で生じたものです。今私はこれらのすべてについて包み隠さず告白します。)これを毎朝三年間唱えてきた。
なじみ深さということについて考えた。ダルマレインに行くようになって6年経つ。やっとアットホームな感じがしてきたようだ。そのことを玉光に言ったら「修行というのは習慣の力です。短時間ではなんの違いもないけれど、時間がたつにつれて抗しがたい力で次第に変わっていきます。自分のこの皮膚の中で生きることが次第に楽になってきます。」と言われた。
朝ダルマレインで坐って参禅してオートミールの朝食を食べたあと、エイモンのところで配線。ロープライトというものがある。1センチ強の太さのフレキシブルな透明チューブの中に小さな電球が並んでいる。機能的にはクリスマスツリーの電球のような感じだが、18インチ毎に切断できる場所があるのが味噌。しかも電球は弾力のある透明プラスチックに埋め込まれているので壊れにくそう。かなりきつく曲げても大丈夫のようだ。最近よく見かけるようになった。エイモンは照明に凝る性質なので、すぐに目をつけたようだ。
ラジオのトーク番組がやけに皮肉っぽいのでエイモンとグレッグに聞いたら、ラジオというのは概して皮肉っぽいしゃべりが多いとのこと。もっとも、皮肉っぽいわりには「愛国的」で、タリバンが悪者だというような「前提」にはなんの疑問も挟まない。エイモンによると「大工仕事はひどい作業だからこういうのと波長が合う。」私はラジオを聞かないので、この辺のことは彼らの言を引用するにとどめる。
昨日、世界中がアメリカの属州になるのがベストだと書いたが、それをフォローすると、例えば、歴史を見ると、絶対王政が出てくる前にはたいてい封建諸侯が集まった合議制(あるいは諸侯による選挙制)みたいのがあった。お釈迦様が出た頃のインドはこの合議制だったらしいが、その500年後、最初の経がかかれる頃には王制に変わっていた。ヨーロッパではハプルブルグ家が台頭する前の東ヨーロッパの状態が選挙侯制度だ。この合議制というのは諸侯の力が拮抗して、なかなかうまくまとまらない。だから、結局の所一番力の強いやつが王様になって中央集権を実現してやっとまとまるといったことになる。このアナロジーを現代世界に当てはめると、合議制が国連、一番強いやつがアメリカということになる。今までまとまってことのないメンバー同士で統一体を作ろうとする場合、民主主義はどうも効率が悪いみたいだ。まず絶対権力でばっと基本的な価値や言葉などを全員に押し付け、その後で民主化がだんだん起こるというのが自然なプロセスではないかと思う。
020306(水曜)
自分は何が好きか、ということがくっきりと心の黒板に書かれているような人がいる。私はこの逆だ。自分が何が好きなのかを知るには、自分の行動を観察して推し量るしかない。なんでこんな面倒なたちになったのか、というのは大変妙味深い議論になりそうだが、今は触れたくない。翻訳の仕事が激減して、さて何をしようかと思っても、明らかにこれがしたいと思うような職業は見当たらない。
9/11のテロを事前に防げなかったのは、ブッシュ家と縁の深いビンラディンがからんでいるために捜査が進めにくかったため、とかいう説があるそうだ。父ブッシュとサダムフセインにしろ、子ブッシュとビンラディンにしろ、かつては味方として協力し合ったという縁が返って憎しみを強めて破局を迎えたという感じがある。もっとも破局を迎えるのは力の弱いサダムフセインやビンラディンであって、世界最強国の大統領であるブッシュは機会を逃さずに石油戦略を有利に進めていく。この辺はトランプの大貧民みたいに、負けている方はますます勝ちにくい条件を押し付けられるというつらさがある。どうせ負けるならもう全世界がアメリカにひざまずいて、アメリカの大統領を世界の大統領にしてしまえばいいのだ。そうなればそうそう無責任にアメリカの国益、石油メジャーの利益だけを追求しにくくなるかもしれない。
朝、ダルマレインで坐りながら、自分が存在するとかしないとかいうことについて考えた。般若波羅密経にも「存在もしない衆生を救わなければ成らないという難問にもひるまないものが真の菩薩だ」とかいう文句がある。ちょうど『Finding Faith in The Face of Doubt』でも、「英語はいつも主語を入れるが、例えば光が輝くなんていうのは別に輝くという動詞だけでもいいのにわざわざ主語を入れることになる。神という言葉もむしろ動詞として理解した方がいいのではないか」と書いている。私に感情や意志がある、と考えると、感情と意思のほかにそれを所有している存在があることになるが、そこに自我という観念が生まれる土壌がある。
020305(火曜)
大受戒接心に午前中だけ参加。初めて洗濯係りを勤めた。まだ皿拭きタオルと手拭きタオルの区別がつかないし、折り方もあやしいが。
『現代の生きる仏教』によると、お盆の元になっているお経は中国の偽経である由。インドでは祖先を祭るという感覚はあまりなかったらしい。仏教の血脈でも、インドの部分は全部創作だと香厳が言っていた。万世一系とかいうことにこだわるのは中国が初めで、日本はそれに習ったらしい。私はインド式の方がすっきりしているような気がするが。
020304(月曜)
『現代の生きる仏教』(三友健容編著、東書選書)のインドの仏教発生の部分がおもしろい。仏教について「“閉ざされた面の世界”といえるであろうヒンドゥー社会に咲いた“開かれた点と線の世界”である都市と通称路を基盤とする経済集団に支えられた徒花であった」(p15)としている。これは私が般若波羅密経を読んで感じる大乗仏教の都会性を確認してくれる意見だ。5世紀以降、西でローマ帝国が崩壊した頃、インドでも帝国が崩壊して通商の規模が縮小し、それに伴って仏教の勢力も失われたらしい。
今日は意識的にさぼって本を読んだりしていた。こういう時間の流れも貴重だ。寝転んでいるといつまでもじっとしていたくなり、そのうちうとうとしてくる。サラは出産立会い三日目。ときどき戻ってくるが、2,3時間してまた病院へ。このところ長丁場の出産が続いている。
020303(日曜)
今日は朝から明日美のシンクロナイズドスイミングの試合。朝先ず会場に明日美を届けていったん戻ってダルマレインへ。法話は修証義の話。これが5つに分かれていて、それぞれが五蘊の一つ一つに対応している由。
午後、少し時間があったので新聞記事を読んだり。そして近所の一家と一緒に明日美の試合の会場へ。プールサイドは暑い。
最近のアフリカの日々、リトルトゥリー、シアトルの演説などのことを考えていると、事実性とインパクトの関係が気になる。偽書の方が歴史的インパクトが大きかったりすることはよくあるらしいが。自分が物を書く場合にもこれは重要な考慮点になってくる。事実にこだわりすぎると真実を見逃すということはあるし、事実を無視すると同じことを繰り返し言うことになる感じもある。
020302(土曜)
早朝から元太のサッカー試合。一試合目は7:10、二試合目は10:30。ずいぶん久しぶりに朝の座禅をせずに行った。座禅は夜することにするが、朝やっていないというのはなんか変な雰囲気だった。コーチが大分かっかしてどなっていた。私はそれでもそれほど気にならないが、元太は後で「もうこのチームでやりたくない」とぼやいていた。ある程度の厳しさを経験するのはいいことだと思うが、さてどこまでが限度か。
午後は疲れて昼ね。夕方、味噌汁を作ってUU教会に持っていった。ポットラックである。カヌーを作るという男にいろいろ話を聞いた。朝カヌーで川沿いに漕いでいると、かわうそが土手を滑って川に飛び込んだりするのが見えるという。楽しそうだ。
020301(金曜)
今朝も配線。エイモンは足首をひねって松葉杖。足の裏が内側を向くひねり方なので私は内側にひねる、と表現したのだが、彼は外側にひねる、と言う。足首の上の方は確かに外側にずれる。つまり足首の下のほうに注目するか上の方に注目するかで内側と外側の定義が逆になる。
いそいでKKさんとのおしゃべりへ。この人、2カ月おきに日本とアメリカを往復している。時計を気にしながら2時間半互いにしゃべりまくる。今の歌舞伎俳優は深みがない由。歌舞伎の心理描写の元になっている閉鎖社会がもう存在しないからそれも無理ない、という話になった。
020228(木曜)
今朝も配線。Grgは彼の住んでいるポートランド北部が、いろんな人たちの集まりでおもしろいという。いったん落ち着いてくるとこういうおもしろさはなくなるらしい。
父のサイパンでの経験を聞かれて、話したらやはりというか重い雰囲気になった。チベット僧みたいに笑いながらこういう話ができるようになるかな、いつかは。
午後は電話で通訳。質問者が聞きにくいことを聞き、証人が言いにくいことを言おうとするので通訳も言いたくないことを言わされる。でも裁判関係はコミュニティサービスの意味があるし、法律と人間の関係を学ぶ絶好の機会でもある。
ダルマレインで洗濯係りの引継ぎ。どのタオルが何用でどこにしまってあるか、というのを憶えるのが大変そうだ。キッチンだけでも、皿拭きタオル、手拭きタオル、それにクッキーなどを覆うための布がある。さらにナプキン、プレースマット、テーブルクロス、お茶の時間用のタオル。トイレの手拭きタオル。
020227(水曜)
朝はエイモンの配線手伝い。私は木に穴を開けたりすることに対して小心だが、エイモンはどんどんやっていく。たしかにあれくらいでないと仕事は進まないだろうな。私は今の状況に合わせて生きようとする傾向が強いので、木に穴が開いていなければ開いていないなりに都合をつけるようにと考える。しかしそんな考えよりぱっと穴開けた方がいい場合がしばしばあるのだ。
昼はダルマレインで食べて道明と正法眼蔵を読む、といっても無情説法という言葉の英訳を工夫しただけ。無情説法というのは無情のものが法を説く、無情な説法、無情が説いた法、といろいろ読み方がある。そもそも無情という言葉自体、現在では薄情という意味だが、かつては情には知的な意味合いもあったようだ。道明は「つまり五蘊のうちの色だけで後の4つの精神作用が欠けた存在ということね」と言った。西島氏の解釈もそれに近いようだ。精神作用を欠いたものからの説法とは何か、ということになるが、どうもこれは精神作用なしでしかも意識的であるような状態をさすのだろうな。五蘊を日本語で憶えていないが、色の他に英語だとsensation, perception, formation (volition), consciousnessとなる。感覚、認知、意志、意識、といった感じか。とにかく道明と協力して、無情説法の新訳を試みることになった。正法眼蔵の場合、一つ一つの言葉の意味がよくわからないと同時に、言葉と言葉をどうつないでいいかわからないことが多い。それならいっそのこと、三題話みたいに、出てくる言葉を全部使って自分で文を創作していったら、というのがアイデア。
020226(火曜)
『アフリカの日々』は久々に読書の醍醐味。仏教クラスの準備に読むテキストは乾燥したのが多いので、著者の農場を訪れる客や使用人のアフリカ人たちに関するエピソードを読むと、読書とは楽しいものなのだと思い出す。アフリカ人が「物語をじっくり聞く能力を持っている」というのは耳が痛い。私は人の話を聞いていてつい先走ったりすることが多いから。アフリカ人の使用人の個人個人について著者はいろいろおもしろいことを書いているが、そういえばアメリカインディアンに関してはこういう話は読んだことない。アメリカの農場でインディアンを使用人として使うということはあまりなかったのか。黒人の話はもちろんたくさんあるが。著者がデニス・ハットンの飛行機で農場の周りを飛んだり、遠出したりするところはうらやましい。1920年代はまだ動物も多かったろうし、航空管制もそんなにうるさくなかっただろうから。鷲と平行に飛んでいる時に、デニスが飛行機のエンジンを止めた、というのがすごい。それも、鷲の鳴く声を聞くためというだけの理由で。豪胆な人だったのだろう。著者の女性(筆名はアイザック・ディネーセンという男の名前)もよほど豪胆だったのだろうと思われる。1936年の写真を見るとすっきりした美女である。でも遊んでいたわけではなくて、農園の女主人として日夜奮闘していたのだ。第一次大戦中は物資の輸送で牛と使用人の隊列を指揮して長距離旅行している。
道元クラスは『光明』。感じるところ殆どなし。慈光はこれがわかりやすいというのだから、彼女の感受性と私の感受性の違いは大きい。
020225(月曜)
『Answering Chief Seattle』という本を読んでいる。チーフシアトルの有名な演説について議論した本だ。この本によると、シアトル自身がこの演説をした可能性は極めて低い。1887年にシアトルの小さな地方新聞にはじめて紹介されたのだが、現在残っている原コピーは1部のみ、それもテープを張ったところが読めなかったりするぼろぼろの代物らしい。実際の演説は1850年代に行なわれたとその地方新聞の記事では言っているのだが、それを支持する証拠はない。シアトルの発言とわかっているものはいくつかあるが、それらは白人に完全に従順な態度を示している。白人がくれるものを高く評価し、助けてくれてありがたいという調子だ。どうやら、当時の知事のスティーブンズが彼をインディアンのリーダーとして認めたのはこの従順さのためであるらしい。これは私が墓碑で見た「Firm
friend of white people」という言葉と一致する。Education of Little Treeという本が70年代に出て、インディアンの子供の成長を見守ったノンフィクションとして売れたのだが、後にこれがフィクションであり、著者はKKK団のメンバーであることがわかって大騒ぎになったらしい。どうも、白人(日本人も含めて)がインディアンのすばらしさとして受け入れるものはインディアンではなくて白人の創作である場合が多いみたいだ。とはいっても私がこの「演説」から受けた感銘は本物であって、それは1887年の原文とも遠くかけ離れたバージョンを読んで感激した白人にとっても同じことだろう。歴史にインパクトを与えるのは本物でなくて偽書である、というのはありえる話だ。
元太のサッカー練習。コーチはパスをきちんとインサイドキックでやらせるように、と私に言うのだが、元太はがんこだ。アウトサイドキックが好きだし、いまだにインステップは「できない」といってやりたがらない。トウキックが好きで、私がいくら「トウキックではボールが動いていたら先ずまともに蹴れない」と言っても「それはもう何度も聞いた」と言うだけ。
020224(日曜)
昨夕、エイモンとジェンが夕食に参加。このごろなかなか人を招待することがないのだが、たまたま彼らが来ていたので、食べていったら、と招待した。エイモンはLord of the Ringsに批判的。殆どせりふがなくてChaseシーンばっかりだという。少し古い話になるがアメリカンビューティもきらいだった由。アメリカ人の生活がうそっぱちだというのはわかるが、それならもう『セールスマンの死』以来言い尽くされている。どうやってそれを越えるかという処方箋がちゃちなのが気に入らない、という。
夕食後、今度はジャネット&エリックとバグダッドで映画。たしか「Orange County」とかいうカリフォルニアの若者の話。サーフィンとドラッグで育った若者が小説を書くことに目覚め、スタンフォード大学で尊敬する作家の指導を受けようとするのだが、スタンフォードに入ろうとする彼の努力は家族をはじめ数々のハードルにはばまれて実現しない。でも彼は、自分の育ったオレンジカウンティが実は自分のインスピレーションを与えてくれていることに気付く。軽い映画だけどなかなかよい。
今朝のダルマレインは参禅で、計画的生活を2ヶ月ほど続けてそろそろそれも終わりのときがきた、という話をした。きのう『アフリカの日々』(アイザック・ディネーセン)を読みついで充実した気分になれたのも自分のムードの変化を示しているようだ。やるべきことをどんどんやっていく、というのは達成感があるし、自分の生活にある程度制御可能であるという感じがもてる。しかし、それだけではだんだん生活が味気なくなる。
仏海が常住プロジェクト(葬式等への対応)の説明をして、人が死んだ時用の白装束や、頭をそるかみそり等をみせてくれた。人が死ぬときの準備というのは赤ちゃんが生まれるときの準備に似ている。うちの子供たちが生まれたとき、母が白いネルの襦袢のようなものを送ってくれたが、してみると人は死ぬときも白、生まれるときも白い衣に包まれるのだ。
ユニタリアン教会では、アメリカ人女性が「自分はベトナム戦争には反対だったけど、湾岸戦争は正しいと思ったし、今度のアフガニスタンのことも自分の子供や孫に安全な環境を与えるために正しい処置だったと思う。この教会の人たちは殆どこの戦争に反対だったのでこういう意見は言いにくくて今まで黙っていたが。」と告白。こういうふうに誠意を込めていわれるとなるほどと思うが、同時に私の中には「そんな無茶な!」という叫びも沸き起こった。私はこういってみた、「アメリカ人を見て感心するのは、攻撃されたら怒って反撃するという健康さである。敗戦後の日本で育った私はどんな場合でも戦争は良くないという風に教えられてきた。しかし、攻撃されたらやり返すというのはたしかに健康なことである。ただ、日本を含めて世界の多くの人々は、この正当な怒りを行為に移してとんでもないしっぺ返しを受けた。だから我々は屈折している。」例えば近親が死んだときにでも、日本人はアメリカ人ほど率直に悲しみを表さない。これは伝統的なつつしみということもあるかもしれないが、むしろ戦争であまりにも多くの死を経験し、いちいち悲しんでいたら生活ができない状態に追い込まれて、死に対する感情を麻痺させてしまったのではないか。愛するものが死んだときに感じる感情をGriefといい、日本にも喪に服するという伝統があるが、その中身の感情は一般の日本人の意識からは姿を消して深く潜行しているようだ。
誰かの発言を聞いたときに、呼吸が深くなって体の中を涼しい風が吹くような感じになったら、まず自分も発言するべきだ。何を言えばいいのかよくわからなくてもとにかく立ち上がって言い始めるとなんとかなる。そういうときに口から出る言葉には気持ちがこもるので、多少舌っ足らずでも何かが通じる。
020222(金曜)
オリンピックの審判不正問題は国際政治を反映していて興味深い。アメリカの愛国ムードが他の国の神経を刺激している。同時に、いくら反発しても結局アメリカが経済的にも軍事的にも強いので、アメリカ側は聞く耳をもたない。冷戦終了後10年以上を経て、アメリカは初めて国際社会で自分が勝手し放題だということに気付いたのかもしれない。アメリカを罰することができる国はない。こういう事実と、ブッシュ氏のような国内向けムード派を大統領に選んだということは無関係ではない。もっとも、これで良くも悪くもアメリカという国がどういう国か他の国にわかりやすくなったともいえる。国家的利害を超えた観点をもてる可能性をもった国としてやっぱりアメリカは最先端の位置にあると思うが、それでもこの程度だというのもやっぱり現実なのだ。
020221(木曜)
シャーマニックジャーニーのイメージで、全ての動きが円を描く踊り手が登場した。現代人はいろいろなことに首を突っ込んでいることが多く、「忙しくて」というのが合言葉だが、一つ一つの行動において目的追求の直線的動きだけしていると全体がギクシャクしてくる。腕も足も体も全てが円を描いて踊るこのオレンジ色の踊り手を見て、なるほど日常やっていることでもこの円の動きをイメージすると多数のしがらみの中をひっかからずに動いていけるのかなと思った。
Rtによるとチベット人とポーランド人はどちらもにこにこしている点で似ているという。チベットに行ったときそれでとてもアットホームに感じたという。私はダライラマの「うぉほほ」という笑いに魅了されたのだが、どうもこれはチベット人一般の特性らしい。
020220(水曜)
一万年前ごろ、人間の集団行動が突然大変化したとき、いったい何が引き金になったのか。というようなことを考えているときにふと思い出したのは、人間はそれまで周りの自然の理解に使っていた思考機能を人間関係の方に振り向けたのではないか、ということ。シャーマニズムで動物がたくさん出てくるのもそのせいじゃないかな。つまり、サルはイノシシの行動を理解しているが、しかしイノシシのような行動を集団の中の自分の役割として演じて見せることはない。ところが人間の場合はあるとき、自分がイノシシになる、という発想の大転換をしたのではないか。この新しい発想によって、これまでずっと豊かに蓄積されてきていた他の動物の行動に関する知識が人間の集団行動のパターンの豊饒化に役立ったのではないか。
午前中はエイモンの配線の手伝い。いろいろ二人で相談しながらやるのが楽しい。単なる役割分担はあまりおもしろくなさそう。
昼食は久しぶりにダルマレインに、その後道明と正法眼蔵の『光明』を読む。AのBという表現があった場合、「の」が何を意味するかは文脈によるのだが、道元の場合その文脈がよくわからないから難しい。せっかく二人で正法眼蔵の日本語にチャレンジするんだから、ここから今学期のレポートを作っていこうという話になる。
おととい買った『Finding Faith in The Face of Doubt』を読み始める。やはりというか、著者は大学で生物学をやっている。スタンスが自然科学系で親近感を持ったのもうなずける。私は昔から自分の立場をはっきりさせてものを言うという点で統一教会の人たちにも好感をもっていた。実際、ある教会員は「私が神がいてほしいと思う。だからいるという仮定のもとに生きます。それがもし外れていたとしても悔いはありません。」と言っていた。これはこの本の著者の言っていることに近い。証明不可能なことについて果敢に憶断を持ち、それをてこにして世界とかかわっていく、というのが有意義な人生を送る秘訣のようだ。憶断といっても、理性的に納得に行くものでないといけない。この本の中の引用に「頭で納得できないものを心で崇拝することはできない」というのがあった。
明日美のシンクロの練習。片手で水をなでるだけで、足をすっと伸ばしたままで水平に浮かび続けることができる。「僕だったら足が重いから水平を保てない」といったら、「いや、練習すれば誰でもできる」と反論された。
020219(火曜)
なんか風邪気味で3週間くらいぐずぐずした感じがするが、寝込むほどでもない。
今日は般若波羅密経を英語で30ページくらい読んでばてた。
昨夜サラとしばらく卓球の打ち合いをして楽しかった。持ち方をかつてと同じペンホルダーにして打っていると、大学院時代によくやったときの感じを思い出す。そういえば卓球の打ち合いは瞑想的でもある。元太とやるときはシェイクハンドグリップにして左手で打つ。彼がサーブをダイレクトに入れる形でやって、ときどき彼が勝つくらい。大分うまくなってきた。
020217(日曜)
ダルマレインに歩いていった。急ぎ足で20分ほど。普通は自転車か足けりスクーターだが、今日は天気が良かったので。涅槃会だった。仏海が法話。彼女は葬式のやり方を確立するプロジェクトをやっていた。ダルマレインは人の生き方を学ぶところだから、葬式は今まで一般メンバーの関心が薄かったが、メンバーの一部の高齢化により、まじめに葬式の形式等を考えるようになっている。私は「なにか自分は人の死に鈍感な気がする」と質問してみた。彼女は「他人の感じ方と自分の感じ方が違うからといって思い悩むことはない」とあっさり答えた。なるほど。
西島&クロス訳の正法眼蔵第2冊目を買った。プロの僧になる修行をしている人から、「日本語を勉強したい」と言われ、それなら正法眼蔵を見ながらそこに出てくる言葉から入っていこう、ということになったのだ。西島&クロスは逐語訳で、余計な解釈が入っていないので(彼自身の解釈は脚注に書いてある)原文と比較するのに向いている。漢字の言葉もちゃんと漢字をプリントして説明を加えているという親切なところがある。
ユニタリアン教会ではJoseph S. Willisという人の説教。これは「自分は不可知論者だが、Faith(信)を持っている」という発言がおもしろかった。彼は「究極の真理は理性では知りえない。しかし真理に対する自分の憶断をはっきりさせ、それに賭けて生きていかないと人生がうそになる。」と言うのだ。これには感心した。負けたと思ったので彼の本を買った。『Finding
Faith in The Face of Doubt』という本だ。
020216(土曜)
そういえば水曜の夜は明日美の「真夏の夜の夢」の公演。中学校の催しだ。明日美はヘルミア。トーガを着た姿はすらっとしてなかなかかっこいい。声も良く通る。あれだけのせりふをよく覚えられると感心してしまう。
今朝はダルマレインのメンズグループ。傷を負わせること、傷を受けることで生まれる関係ということを考えさせられた。Robert Blyの『Iron John』はこのグループにうってつけの本だ。
冬季オリンピックを見た。すごい技術だと思うけど、なんか痛覚の発達していない人だけのスポーツが多いような気がするなあ。
020214(木曜)
バレンタインデー。といっても特に贈り物とかはなし。元太は学校でカードをやり取りするための箱を用意していた。昨夜はコンピュータでハートを描いてカードにしていた。
昼にサラとデート。近所のFusionという50年代のテーブルや椅子を集めた骨董屋的な喫茶店。エルンスト・ユンガーを扱ったホームページがあることを発見して喜ぶ。読書ノートのユンガーについて書いた部分(940303から)をアップロードしてあるので、掲示板にそのことを書いておいた。
020213(水曜)
道元クラスのレポートとして、無情の教えについて考えてみようかなと思っている。1/24にも書いたが、無情の教えといった考え方はインドにはなかったみたいだ。インドのは人間中心主義というか、心の中に生じる感情や感覚に非常に細かな注意を払っているらしい。例えば英語では感情というと怒り、恐怖、喜び、悲しみ、くらいだが、サンスクリットでは感情をあらわす言葉が70個だかあって、そのことが英語に訳したインドの経典を理解するときのむずかしさになっていると香厳が言っているのを聞いたことがある。ただ、手付かずの自然を鑑賞するといった姿勢は2000年前のインドではあまりなかったようだ。例えば高度成長期の日本で人々が人工物(車、テレビ、ステレオ、スキー)に注目して自然にはあまり興味を示さなかったように。手付かずの自然にひきつけられるのは、人工物への興味が一段落してからなのかもしれない。勃興期の文明にとって自然は単なる材料であって、それ自体価値あるものではないのだろう。人々は新しい文明の原理に興奮していて、その原理を自然に対して行使するのに夢中だから、自然そのものに価値を認めることは後ろ向きの姿勢と受け止められるのだろう。
020212(火曜)
かなえさんに借りた『森博嗣のミステリー工作室』という本(講談社文庫)を読んでいる。私より4年若い建築学の先生で、5年前に突然ミステリ作家としてデビューしたという。ルーツ・ミステリ100は彼が選んだミステリ100選。Xの悲劇とか、アクロイド殺害事件、黄色い部屋の秘密、皇帝のかぎたばこ入れ、といったミステリに興味のない私ですら読んでへえっと思ったクラシックも入っているが、星の王子様とかデミアンとか普通の小説も入っている。森氏は感動する能力が強くて、しかもそれを明快に表現できる人であるらしい。かもめのジョナサンを小説の切れ味の極限として絶賛しているのにびっくり。私は全然ぴんと来なかった。筒井康隆を非常に尊敬しているのは同感。20世紀後半の日本を代表する作家、とまでほめている。私なら辻邦生を挙げるだろうが。サリンジャーも激賞している。何か書こうとしているときに読むと筆力が研げるというような表現をしている。なるほど、そういう本をいくつか常備しておくと便利だろうなと思った。
ニューポートのGrand Juryで通訳してくれないかと頼まれたが、断った。法律関係はやりたいのだが、ニューポートは車で2時間半の遠方である。車の運転はできるだけしたくない。
道元クラスは『古鏡』。録音係のアシスタントに立候補したので、マイクやテープレコーダの使い方を見学。まあなんとかやれそう。何か実際に役立つことをやりたかったので録音係に目をつけたのだ。録音係は後ろに坐るので、質問がしにくい。内容はよくわからず。生まれつき鏡を身体の前に持ち歩いているように見えたというカヤシャタ師(仏陀から18代目)の話。道元は正反対の用語を折りたたんでくっつけてしまう。パンをこねる要領だ。不二の境地をなんとか伝えようという熱意を感じる。わかんないけど。言葉で構築された世界は基本的に両極でできている。上と下、善と悪、熱さと冷たさ等。切り分けることを放棄すれば世界の広がりが失われてしまう。切った片方にしがみつこうとしてもやはり世界はつぶれる。
020211(月曜)
隣の女性の新しいBFは居合を修行したというやせた青年。今も剣道をやっている。ガレージの前で木刀を構えたりしている。彼の流派は防具をつけずに木刀で立会いをする由。だから型をみっちり教え込む。一つ間違ったら命が危ないから、気付き(アウェアネス)の修行としては最適だろう。18世紀に日本で作られたらしい日本刀を質屋で100ドルで買ったといい、見せてくれた。残念ながら中央に割れ目が入っているが、見事なものだ。鍔はすかし模様。手で持つところの中のほうは鮫の皮だというぶつぶつのあるプラスチックみたいな材質。なんでも日本政府は海外に流出した日本刀をインターネットで買っているそうだ。
電話で通訳という仕事が突然入った。法律関係の相談だった。電話で通訳してお金をもらうというのは初めてのような気がする。難しいケースだったが、ちゃんとやれたので、可能性が開けた気がした。通訳というと現場に行くだけで長時間かかることが多いのだが、これだと本当に通訳している時間だけしかかからない。
020210(日曜)
朝はダルマレインでチベット僧の法話を聞く。起きているときに混乱や執着があると夜寝るときにもそれが出てくるというのだが、私はいくら昼間悩み事があっても夜眠くなればみんな忘れて寝てしまう。もちろん今までそんなに大きな悩み事がなかったからだといわれればそうだが。そこで、夜よく眠れる人のために何か言ってくれないかと尋ねてみた。彼は人が眠りに落ちるときと死んでいくときの平行性を説明するために、土の要素、水の要素、火の要素及び空気の要素について語った。死とかシリアスな話をする問いにおかしくてたまらないといった柔和な笑い方をするのが印象的だった。ダライラマもこういう笑い方をしたっけ。西洋人も日本人もこういう笑い方はしない。攻撃的でなく、ただ楽しむ笑い、楽しいことが特になくてもでてくる笑い。
午後はユニタリアン教会のサービス、私が在家リーダーとして進行役を勤めた。ヴィパサナを修行しているキャレン・マイルズさんがNoble Eight Fold Pathについて話した。チベットのPrecept Prayerとういのを私が詠唱したが、とても気持ちがこもってきて驚いた。人間の集団に向かって読み上げるということの効果について教えられた気がした。
020209(土曜)
木曜の夜はドラミングサークル。リタの友達が「一生に出会う人の数は多くても、実際には百人くらいのスピリットが形を変えて表れているだけだという説がある」といい、それに対して私が「サルや類人猿の脳の大きさと彼らが形成するグループの大きさには相関があり、それを人間の脳の大きさに外挿するとグループの大きさは150人程度になる。人間が心の中でもちうる人間のイメージの数はその程度なのかもしれない。」と言った。会社なんかでも200人までは創業者が統率できるがそれより大きいとプロのオーガナイザーが必要になるそうだ。ダルマレインなんかもその辺の規模である。これを超えるとグループの性格が変わる。お互いを知り合っているという感じがなくなるのだ。
今日はプロセスワークセンターで臨済宗の禅マスター福島先生のお話を聞いた。臨済禅の公案を使った修行についていろいろ学んだ。二項対立的考え方にとらわれている限り公案は解けないという。禅マスターになるには20年の修業が必要、というのもなるほどと思った。
020206(水曜)
明日美のシンクロナイズドスイミングの練習で、母親たちの会話に参加。とにかくお稽古事からスポーツまで、母親たちは子供を乗せて車を運転する。そして子供たちが終わるまでひたすら待つ。「退屈でたまらない。本だってそうたくさんは読めないわよ。」とぐちる母親も。アメリカは何でも車だから、かえって日本より子供たちが親の世話になる。日本なら10歳の子供でも電車やバスでお稽古事に通える。アメリカでは16歳になって車の免許をとるまで、親が運転手である。
020205(火曜)
クッキーというのはえらく簡単にできる。小麦粉と蜂蜜または砂糖、それになんらかの油があればそれらをまぜてクッキーシートに乗せてオブンに放り込むだけだ。卵とかバニラとかココナツとかココアとかいろいろ入れられるが、入れなくてもけっこう食べられるだろう。
このところ収入が少なかったので、小切手が届いたりするとうれしくなる。かつてはこの十倍の額の小切手が届いても別にうれしくなかったのに。大体、自分の世界を豊かにするには自分の身体と頭を使って何かするしかない。お金で何を買ってもそれだけでは瞬間的な満足に終わる。
般若波羅密経のクラス。今日はDetachしつつしかもEngageするということについていろいろ質問が出た。ドウミョウが「ピアノを習いたいと思っても、手が使えなくなれば弾けなくなると思うとその気がなくなる。」というようなことを言い出し、私は「一生ピアノが弾ければ私の幸福は全うされる」といった高校の先生に感銘を受けたことを話した。香厳は「有望なピアニストで筋萎縮症にかかった人を知っている。頼りになるのは仏道修行だけだ。」と言う。この辺、なにか最近の個人的な事情が反映されているような気もする。
020204(月曜)
日曜はダルマレインでドウショウのシュソウホッセン。漢字はわからんが、一年間禅センターの運営を取り仕切っていたドウショウさんが最後の問答に答えてお役ごめんになる日。ずいぶん多くの人たちが質問した。彼にはじめて禅を教わったという人がけっこういたのに驚いた。人徳があってしたわれているのだなあと感心した。
ユニタリアン教会ではあなたにとって究極の価値は何かとかこの教会に来る意味は何かとかを参加者に質問しておもしろかった。人がたくさん集まって、それぞれが心のシールドをおろすと奇跡が起こる、というふうに考えてみた。大きな建物ができたり、インターネットができたり、月にロケットが飛んだりという奇跡もあるし、原子爆弾とか公害みたいな奇跡もある。いずれも人々が自分の領分だけにこもっていたら決して生じなかったことだ。
ただ集まっているだけでは心のシールドはおりない。何か共通の目標があるとみんなの心がそっちに向いて、お互いの間の壁がなくなる。その辺がリーダーの手腕の見せ所だ。過去一万年の人間の歴史で、この集団の奇跡をうまく手なずけた文明はいまだにない。この奇跡にはなにかしら本質的に不安定なものがあり、またそれが人間を魅了する。
夢を見た。学校の二階に行く階段を登ったら、その階段がくずれて私は床から5メートルくらい上の窓枠におしりを半分乗せて、窓の上の出っ張りに手をかけてようやく落ちるのを免れている。しかし手が疲れてきた。まどを下ろしてまどの上にもう片方の手を掛けてみた。それにしてもいつかは疲れて落ちるだろう。下にいる生徒たちに助けを求めようにもみんないかにも頼りない。ふと思いついて「警察を呼んでくれ」と言ってみた。しかし応答なし。そのうち数人の巨人が入ってきてそのうちの一人が私を見て笑い、手を伸ばして私の身体を両手で包むと、そっと床に下ろしてくれた。
020202(土曜)
元太のサッカー試合。インドアのコーナーの丸みをうまく使うチームと試合。元太のパスはうまく効いているが、まあこのチーム相手では勝ち目はない。
Monsters Inc.を見た。Shrekと似ているがもっと子供っぽい。
疲れているので書くのもぶっきらぼうになる。
サラの大学の友達であるサラのパーティに行った。だんなのジョナサンが子供のころからよくやっていたパズル(一辺が1の正方形を5個つなげた形は12種類になるが、それを6 x 10のスペースに詰める)を私も去年作ったので、持っていった。ジョナサンの兄弟のダニエルが一番入れ込んでいて、半分ずつに分けてつめるやり方もあるとのこと。いろんな対象形が入っているので一つで32種類になるというつめ方を実演して見せてくれた。
020201(金曜)
月曜は日本から帰ってきたかなえさんと話し込んだのだが、なぜかころっと忘れていた。台湾には中国の歴代の美術品が大量に運び込まれていて、本土の美術館よりもずっとよいものが見られるのだという。蒋介石も妙なことをしたものだ。日本人のお上への信頼感が国としてのまとまりを支えてきたというかなえさん。言われてみればそうだ。僕の場合は父の代からその信頼がなくなっているからこれまでぴんとこなかったのだろう。
ユニタリアン教会のダンスパーティに行ってきた。バンドは70-80年代のロックでけっこうよかった。踊り方は知らないが、しばらくいるうちにだんだん気持ちがほぐれてけっこう踊ったり、子供たちのやっているリンボーダンスを試してみたり、フラフープもやってみた。フラフープはなんと生まれて初めてまともにできた。小学生のころに試みて挫折し、その後もときどき試したができたことがなかったのだ。筋肉の力はどんどん弱っているが、器用さは今でも進歩しているようだ。もともとひどく不器用だったから進歩の余地が十分ある。
020130(水曜)
正法眼蔵にでてくるいくつかの言葉は英語に訳すと雰囲気がどうも出ないような気がする。ような気がするというのは私自身よく理解していないので、どんな雰囲気が正しいのかわからないことが多いからだが。そういう言葉について英語で解説を加えてウェブに載せれば他のメンバーにとって役に立つかもしれないなと思う。自分でもおもしろいだろうし。漢字はアメリカの普通のブラウザでは読めないから、イメージとして載せるとして。うん、これはおもしろそう。
020129(火)
今日からMSワードのウェブページモードで日記を書いている。リンクやブックマークがやりやすいから採用したのだが、さてどこまで使いこなせるか。
今朝はヒルズボロのLaw Enforcement Center(拘置所が入っている)で通訳。Arraignment(罪状認否)である。罪状認否の通訳は初めてで、とまどった。通訳の規則を読んで理解しているかと裁判官に訊かれて、「いいえ」と言ったら困った顔をしていた。結局彼女が簡単に規則を説明して私が宣誓をしたが、こっちはそんなものがあることも教えてもらっていないのだ。後で通訳部の人に言って規則をプリントしたのをもらって帰った。重要なことは「説明してはいけない」ということ。あくまで言葉を訳することに徹してほしいということが強調されている。これは実地ではむずかしいことだ。
道元クラスでは「無情」とはどういう意味かと訊かれて困った。現代ではこれは「薄情」というのと似ているが、もともとは人間や動物のように知性を持った存在を有情といい、岩とか草木のように知性を持たないものを無情といったのではないかと思う。正法眼蔵に「無情説法」という章があって、それが草木も説法しているという意味なのかそれとも情という言葉の範囲外になにか知恵があるのか、その辺が問題になった。それと「恁麼(いんも)」という言葉が問題になった。これは英語ではしばしばただ「It」と訳されるのだが、「如」なんかと似て微妙な意味合いを持っているようだ。
020127(日) 今朝の参禅(独参)はユージーンのエジョウさん。オレゴン生まれで日本の仙台で修行した若いお坊さん。人と話すときの気持ちの齟齬について尋ねたら「Expectation(相手の反応に対する特定の期待)を持っているとそれが壁になる。」と言われた。「何も期待せずに言うべきことがあれば言い、なければ言わなければいい。」とも。なるほど。
法話は慈光。懺悔について。聞きながら、例えば日本の過去の所業について、素直に謝る気持ちになれない自分について思い、また、過ちを認めつつ、しかもそれを批判しないという姿勢の難しさを思った。7年前の自分の読書日記をタイプしていて、「おもしろいことをいうやつなだなあ。こいつと一度じっくり話してみたい。」と感じたことをシェアした。自分の過去の行為についてポジティブな価値を認めることは今までとても難しかった。
ユニタリアン教会では仕事や子育てできりきりまいする人生の中でときには昔のキリスト教の安息日のように休み、遊ぶことが必要だという話。おもしろくなくてもただ20分集団で笑うというセラピーもある由。
020126(土) 一昨日タナハシ氏と話していて思ったのだが、年配の日本人男性としゃべるのはむずかしい。たいてい話の腰が折れて、しかもつまんないことを言ってしまう。日本語だと相手の年齢に合わせて言い方を変えなければならないので勢いがそがれるということもある。私自身の英語で考える頭と日本語で考える頭の間の齟齬があるのか。
94年の読書日記をタイプしてアップロードしつつあるのだが、940307の記述の中で「暴力を必須の一部分として取り入れた世界観」という表現が心に残っている。これはエルンスト・ユンガーの世界観なのだが、平和主義だけで世界を理解しようとすることの物足りなさはわかる気がする。自分は絶対に破壊の張本人にはならないぞ、という志は傲慢と無知から来ているのかもしれない。
ゴッホのテオへの手紙をアーヴィング・ストーンが編集した本『Dear Theo』を読み始めた。少なくともゴッホにはテオがいたんだなあ、と改めて思った。ゴッホほど孤独な魂は他にないとストーンが前書きに書いているが、これほど何でも書ける相手を持っているのはむしろ幸運なのではないかな。
020125(金) 電気配線をしに行って、ワイヤーナットの使い方についてかなり考えさせられた。合わせるワイヤーをあらかじめねじっておいた方が一本だけ外れる事故がなくていいのではないか、とエイモンが言い、私はそれだとワイヤーナットのねじ切りが食い込んでないワイヤーがあってもわからなくなると言った。こういう問題は経験者に聞くしかないだろう。理屈はどちらにもある。図書館から借りた電気配線の本を読んだら、エイモンのやり方を推奨していた。しかし、ワイヤーナットの袋にはそういうやり方は紹介されていない。電気配線をすることで、普通の家の部屋を見る目が変わってくる。
一万年前の人間と今の人間、そして一万年後の人間。蜂の場合、何千万年か前の方が社会生活をする蜂の種の数が多かった。一見するとこれは常識の逆である。独行性の蜂より社会生活をする蜂の方が進化しているように思えるから。ところが社会的な蜂は一時繁栄した後やや下り坂であるらしい。人間の場合も極端な大集団的社会はピークをすぎつつあるのかもしれない。あるいは大集団的な生き方をする人間と、バンド的あるいは独行性の人間が分かれてくるのかもしれない。
020124(木) 般若波羅密経は大乗仏教の基本らしい。紀元前後のインドで原型ができたと理解している。ふと思ったのだが、この経には無情による教え、つまり石や木も常に仏道を我々に説いているといったセンスが見当たらないような気がする。これは中国で発達した考え方なのかな。洞山(多分唐時代)では明らかに無情による教えが重視されている(2/13参照)。
タナハシ・カズアキ氏が道元について語るのを聞きに行った。書の大家であると共に道元の翻訳でも知られている。しゃべり始めるとなんともいえない軽くてポジティブなエネルギーを感じさせる。過去とのつながりを無視し、未来に対する責任を持たないものが今・ここに集中しようとするのは逃避である、という彼の発言について、もう少し話してくれ、と質問した。彼はこの点において東洋の仏教者は失敗していると言う。彼は国の非武装化や核兵器削減の運動に加わっている由。一万年計画にもかんでいるらしい。後で一人で話しかけたときはなんかつまんないことばかり言ってしまった。
一万年前の人類に何が起こったのか、活発なスペキュレーションを行う必要があるなあ、と彼に触発されて思った。偉い人には会ってみるものだ。
020123(水) Eの屋根裏の配線を先週に引き続き手伝った。やってみると時間はかかるができないことはない。なんか自信がついた気がする。配線に使うケーブルはみんな単芯線。曲げるのに苦労するときがある。多芯線のほうが曲げやすいだろう。多芯線は高いのかな。それとも、単芯線だと間違ってケーブルを切断したときに1芯だけ残ってそこに電流が流れて火災が発生するなんていうことがあるのかな。単芯線は太いので良いヒートシンクになる。
赤飯を作ってみた。昨日から水に漬けてある3カップのもち米と1.5カップのあずき。まず小豆をある程度煮る。かなりやわらかくなったら、もち米を加熱して沸騰まで持っていく。そしたら両方を陶器のボウルに移して混ぜ、ふたをして電子レンジで3回3分間加熱。3分毎に出してかき混ぜる。これで出来上がる。小豆の煮え加減が勝負。煮えすぎているともち米と混ぜてかき回したときにくずれてしまう。生すぎれば電子レンジの後も硬いままだ。食べてみて、食べられるけどちょっと硬いかなというくらいのときにもち米に加えるのがいい。
020122(火) サラとダウンタウンまで自転車で行ってずぶぬれになった。気温も多分4℃くらいでけっこう寒い。いったん慣れてしまうとそれほど気にならないが、ニットのミトンは風が通って手が冷たくなる。そういえばアメリカ人は雨が降ってもあまり傘をささない。寝るときにおなかが冷えないように、なんてことも気にしない。身体が冷えにくい体質の人が多いのかな。
Perfection of
Wisdom(般若波羅密)のクラスは、菩薩がニルヴァーナについて瞑想するが、そこに至ることはしないという微妙な表現についていろいろ考えさせられた。ニルヴァーナというのは基準点みたいなもので、そこに行くことが目的なのではない、というのが私の仮の解釈。
020121(月) 母が録画して送ってくれた紅白歌合戦を家族で見た。シルクハットをかぶった元気な丸顔の小柄な青年がおもしろかった。そのほか、布施明とか加山雄三とか西城秀樹とか前川きよしが元気なのが頼もしかった。布施明なんか若いころより聞かせてくれるような気がする。郷ひろみは以前は歌えない人だったので、今ちゃんと歌えるのは修行の成果だろう。「明日があるさ」とかいう昔の歌に新しい歌詞をつけて歌っていたのが明るくてよかった。
今日は生まれて初めてパンを作った。酵母特有の臭いとパン種の手触り。ちゃんとしたロールパンができてうれしかった。母から送られてきたママレードをつけて紅白を見ながらみんなで食べた。パン作りはずいぶん前から一度やってみたかったのだが、けっこう時間がかかるのでなかなか実行できなかったのだ。
020120(日) 昨夜はProgressive dinner。5軒の家が協力して、最初の家でオードブル、次の家でスープ、次の家でサラダ、次の家でメインディッシュ、最後の家でデザートを食べる、というふうに進行する。みんな近所なので家から家に歩いて移動する。男性5人、女性5人、子供が4ヶ月から13歳まで12人くらい。これで多分3年目くらいだが、だんだん子供が成長して手間がかからなくなり、大人が会話に集中できるようになってきた。
ブランディは20代のころバウンサーをやっていた由。バウンサーというのはナイトクラブの用心棒のような仕事。といっても本当にけんかすることはそんなにないらしい。むしろ、おもしろい人間に出会えてとても楽しかったという。彼はシカゴのユダヤ人街で育ち、7人兄弟だったこともあって子供のころからいろんな人々と交流する機会があったようだ。そのせいかとても人懐こくて、対人恐怖なんてものは全然ないらしい。
初めて会った中国系フィリピン系アメリカン(?)のパットは理学療法士。自分の家のキッチンや地下を自分の手で改造した。「新しいことを学ぶのが好き」という。孫子の戦争論を英語で持っている。
最後の方は女性陣と男性陣が分かれてそれぞれ話が盛り上がった。釣りの話など。許可証を持っていないとかなり罰金を取られることもあるらしい。ブランディはダイビングでバラクーダに出会った話。男同士でこうして気楽に話す楽しみは最近なかなかないので、貴重な経験だった。
今朝のダルマレインの法話では質問のときに私がゴッホのことを話した。私の尊敬する人は、子供のころがファーブル、30代になってJohn Cowper Powysに傾倒した。20代のころはユングとかバグワンとかに惹かれた。でもゴッホも気になる人だった。この人のことを考えていると涙が出てくるのだ。特に彼の絵に心酔しているというわけはもない。理解者が全然いない中で自分の芸術を信じ続けて創作を続けていったガッツに感心すると共に、その孤独さを思うと泣けてくる。彼の最後の自画像はブルーの背景の中に描かれているのだが、彼自身の青い目などが背景と連続していて、とても透明な印象を与える絵になっている。その前の、耳を切った直後の自画像では大分中にたまっている感じがわかるが、青い自画像では彼自身が透明になっている。
法話の後でキャロリンという最近くるようになった女性が話し掛けてきた。「あなたもゴッホのように表現したいものがあるのか?」と聞かれて考えさせられた。言語表現技術は最近10年間でかなり向上した。自分だけが表現できる、しかし万人と共有できるものは何か。
ある青年は「一時期、ゴッホの手紙ばかり読んでいたことがある」と言っていた。
020119(金) 特許の翻訳をクライエントの事務所に持っていった。いろいろ仕事上のヒントをもらって大変有益。でもクライエントに会うといったことは本当に久しぶりなので、ぐったり疲れた。
12月始めの接心の後に、毎朝一日のスケジュールを作ってそれに従うようにすることにして、これまでずっと続いている。もちろんその通りにできるわけではないが、生活の一本背骨が通っている感じで悪くない。ただし、今日はクライエントと会って集中力を使い果たしたので怠けることにした。
夕方はシングアロング。3,4カップルが集まって、歌の本の中から好きな歌を歌っていく。ギターを弾ける人が4人もいてなかなか豪華な伴奏付。アメリカの古い歌は本当におもしろい。流れ者の歌にも暗さがない。日本だと、落ち着きたいんだけどつい流れてしまう、といった感じで歌われるが、こっちのは放浪生活の良さを歌い上げる。年寄りの歌でも「死亡広告に自分の名前が出てなかったから今日も自分は生きている。」とか「ちょっと歩いてもふうふう息が荒くなるけど、全然息をしないよりはずっといい。」とか「歯はっコップの中、目は机の上、耳も机の上において寝る。何か他にも外す器官があったんじゃないかなと思ったりする。」とかウェットにならないで現実を見つめるのがいい。
020117(木) おとといの道元クラスで、正法眼蔵の「現成公案」の中で「木が灰になるのではない、木は木として過去と未来を持ち、灰は灰として過去と未来を持っている。」という一節が話題になった。これを木や灰でなくて、自己の場合として考えるとおもしろい。昨日の私と今日の私は因果の関係があるが、「同じ私」ではない。昨日の私はそれ自身の過去及び未来のイメージを持っていたし、今日の私はそれとは違った過去及び未来のイメージを持っている。ある瞬間に私はある特定の過去と未来のイメージを持っているが、それでは時間がその私が描いたイメージに沿って流れるかというとそうではない。ほぼ円軌道をめぐる地球のある瞬間瞬間の速度を外挿すると接線方向の直線になる。しかし地球は決してその外挿された直線の方向へは行かないのだ。
木と灰の場合はさらに、言葉の問題がある。「木」と言ってしまうと、過去に「木」を見た記憶が全てそのイメージに影響してくる。それが木であるといえるのは、そのときの自分の状態が過去に木を見たときの状態をある程度反復しているからだ。それは灰を見ているときの状態とは違う。ううむ、言葉で表すのは難しい。言葉をパントマイムで演技して他の人にその言葉を当てさせる遊びがあるが、「責任」とかいう抽象的な言葉だと非常に難しい。つまようじを組み合わせて「愛」を表す形を作れといわれたらどうするか? 相手が愛という概念を知らない場合、自分も言葉でいえないとき、それをどう表すか。トルストイはある一つの感情を表現するために長編小説を一冊書いたという。
Artという芝居を見に行った。3人の男の友達。1人が大金を払って真っ白な絵を買ったことから友情にひびが入る。サラが「男って、どうやって友達でいるか知らないみたい」と評した。
020116(水) 今朝はエイモンの屋根裏で電気配線を手伝った。コンセントやスイッチに配線するのだが、14ゲージの一芯線2本とグランド線1本入ったケーブルは折り曲げるのにも力が要る。線をつなげるには、ワイヤーナットを使う。これはプラスチックの円錐の中に金属でテーパーになったメスねじが切ってあって、ワイヤーを2〜4本突っ込んでねじるとねじ切り部分がワイヤーに切り込んでいってしっかり接続できる、大変便利な代物。ただ、3本のワイヤーにこれをつけるとかさばるので配線箱に収めるのが大変。ケーブルをあらかじめ折りたたんでアコーディオン式に出してからワイヤーナットをつけ、それから箱に押し込むといいようだ。
3時間エイモンと相談しながら配線したが、とても楽しかった。作業を中心に人と話せること、手を使ってできる仕事であることが、翻訳の解毒剤になる。
020114(月) しばらく仕事探しで自分からEメール出したり電話していた反動が来たらしく、引きこもりたい感じがする。しばらくこもっていて外の世界に接触すると、最初はおっくうだがそのうち楽しくなる。しかしその後で反動が来る。
今朝はエイモンのうちに行って屋根裏部屋の改装を手伝う相談。彼は電気に弱いので、配線を手伝うことにしている。男同士の付き合いを充実する一環。
ユニタリアン教会で仏教徒を招いて話してもらう相談をうちでした。この人は60歳くらいの女性で、前はチベット仏教だったが今はヴィパサナを教えているそうだ。今度ゴルフプレーヤーにヴィパサナを教える企画がある、と話してくれた。たしかにゴルフは雑念がもろに邪魔になるスポーツではある。
020113(日) このところ意識的な破壊ということを考えている。昔は犠牲として人を殺したり、羊を屠ったりしていたのだが、今では生産することが神聖になっていて、破壊はタブーだ。ところが、破壊をタブーにすると、かえって制御不能な破壊が起こる。アメリカの安全を保障するための戦争が他国人を大量に殺すことになり、それに対してアメリカ人が適切な感情をもてないといったことは、「破壊」を適切な枠に入れるための土台となる思想が現代のアメリカには欠けているためではないか。もちろんこれは日本についてもいえる。
「苦痛」についても状況は似ている。これについては森岡政弘氏の『無痛文明論』に詳細な議論が見られる。この場合も、苦痛を避けようとすることによって、かえって表現されない苦痛が増大してくる。
昨夜は珍しく明晰夢を見た。明晰夢というのは、夢の中で「これは夢だ」と意識しながら見る夢のこと。意識がはっきりしているから、好きなところに行ったりできる。最も昨夜の夢は「これは夢だ」とわかっただけで、たいしたことをしないうちに本当に目が醒めてしまった。
ダルマレインの法話は慈光。サリー・チズデイルという実名で著書も出している人だが、仏法の上では香厳の弟子で、師匠になる見習といったところ。今この瞬間にも死ぬかもしれないということとどう折り合いをつけるか、という話。WTCに飛行機が突っ込んだとき、迫る火勢に追い詰められて飛び降りた人たちは落ちるのに14秒間かかったそうだ。その間何を考えていたのだろう、と慈光は尋ねる。
ユニタリアン教会のほうは、マーチンルーサーキングに関連して、非暴力だがアクティブな抵抗ということについて。右の頬を打たれたら左の頬を出せ、というのは単なる無抵抗ではなく、実は右の頬を打つのは左手で、当時イエスのいた地方では左手は不浄の手で、その手で打たれるのは屈辱だったとのこと。左の頬を出すのは、相手に右手の使用を強制するという意味合いがあったという。打たれはしても屈辱を受けるのは拒むという気迫を示しているのだそうだ。
020110(水) MLTという、オルタナティブコミュニティスクールの高校生の教室に行って、日本の話をしてきた。日本の高校なら机はきちんと縦横に並べられ、先生が入ってくると、起立、礼、と号令をかけるなんてことを話した。このクラスには15人くらいいたが、携帯電話を持っているものは一人もいなかった。日本なら殆どが持っている、という話をした。漫画の話を特にしたかったので、図書館から借りた『犬夜叉』とか『メゾン一刻』、『アキラ』、そして『ナウシカ』を持っていった。これら全部英訳が出ている。一人ナウシカを全部読んだという男子生徒がいて、自分の好きなユパとチトが死んだのは残念だった、と言っていた。ナウシカの映画の方も、「風の谷の戦士」というタイトルで英語版が出ているらしい。彼はそれも見たそうだ。
この学校は小学校くらいの小さな敷地に小学校から高校までの生徒がいて、とてもリベラルな雰囲気だ。ポートランドでは公立学校システムの中でもわりと自由度が高くて、親が教えることになっている学校とか、うちの子供たちのように日本語を特に勉強する学校とか、芸術を強調したり、科学を強調したり、いろんな色合いがある。環境に対する意識を高めることを焦点にした学校もある。
帰りはウィラメッテ川の東岸沿いに、バーンサイド橋からOMSI(オレゴン科学工業博物館)まで新しくできた自転車(プラス歩行者)道を試してみた。この道は車が通らないからスケートボードやローラーブレードでも安全だ。OMSIの前には古くなった原子力潜水艦が永久停泊している。中も見られるようになっている。
020108(月) 特許弁護士に電話してみた。2,3週間前に日本語特許の翻訳を頼んだし、ときどき需要はあるということ。よしよし。
Robert Blyの「Iron John」はメンズグループの指定図書だ。なかなか面白い。男性の心の中に住んでいる「ワイルドマン」を呼び起こせ、という感じ。
020107(月) 日曜はダルマレイン。香厳の法話は観世音菩薩の像から話し掛けられた男の話。人間以外のものから話し掛けられるなんていうことは現代では妄想として取り扱われてしまう。その男は中国のお寺でそれを経験したのだが、周りの中国人の僧たちは何の問題もなく男の経験を受け入れた。彼はしかしその後数年間、西欧人向けの書き物にはそのことを書けなかった。
私は虫の話を教会でする準備としてJoanne
Lauckの「The Voice of the
Infinite in the Small」の一説(p323)を読んでいたのだが、そこには「世界から見られている」という感覚が現代人からは失われているという指摘があった。見られている、という感覚がないから好き勝手なことができる反面、人類全体として癒しがたい孤独感に苦しむことになる。全ては無意味だという実存主義的なペシミズムはその孤独感の論理的な帰結だ。
020105(土) 朝、ダルマレインのメンズグループに行った。去年の011216の日記のとき以来、2回目である。今日は香厳の提案で各自が父親及び男性のロールモデル(模範となった人)について話した。12人くらいがそれぞれの父親について次々と語るのを興味深く聞いた。父親との接触の多かった人たちはそこから多くを得ている。そうでない者の方が多い。私も父親との接触は少ない。興味が一致しなくて父親に嫌われていると思ったという男性は、後になって父親の方が彼の世界に少し近づいてきた関係で今は良好な関係を保っている由。父はゴルフと車が好きで、私はどっちも興味なかったから、まああまり趣味が合う方ではなかった。男だけの会合というのはあまり経験したことがないが、たしかに何か男女混合の時には出てこないような要素が出てくるようだ。
このところ、朝起きてから夜寝るまでほとんどずっと何かしているようにしている。昼寝したくなってもしないで何か簡単なことをする。この方が一日が引き締まる。今日もダルマレインから帰ってすぐ 020104(金) 昨日、元太と友達のショーンをスケートボードパークに連れて行った。市の北西の端でかなり遠いが、スケートボード用に作られた斜面がいろいろある。真ん中の四角い島の片側は上のほうがほとんど垂直になっている。ここを登る者もいるのだろうか? 我々は主に端にある洗面所の流しみたいな四方から入っていける凹みでダイブインとかターンとか。私はスケボーはできないので、スクーターでダイブして反対側に上がる程度。でも面白かった。十代の少年3人が小さな自転車で曲乗りをしていた。斜面を登り、上に着く寸前に回転し始めて後輪で立ちながら1回点半を決めるアジア系の少年。女の子が二人寒そうに立ったままずっと見ていた。ガールフレンドか。
ウェブで探した地元の特許弁護士にEメールしたらすぐ返事が来た。すぐに仕事にはならないが、こういう営業努力を続ければそのうちなんとかなりそうだ。それでも当面は本当に何もない。
020101(火) ニンジンと大根をきざみ、水菜をゆで、鳥肉を小さく切って醤油、味醂、しょうがで炒め、醤油、味醂、酒、しいたけで味付けした汁に餅と一緒にいれて雑煮にした。子供のころ母が作ったのと同じ味がして満足。